第4話:『Second Cry-1』
五日後の夜。月明かりが頭上から降りてきた頃、扉を開いて入って来たのはタブロだった。
片手にズタ袋を背負い、もう一方でなにか長物を引きずっているその姿は、銀光差し込む暗い地下室において随分とアレなイメージを持たせてくれる。
「なんというか、物々しい格好だな…他の人はいないのか?」
その問いにタブロは答えず、目深く被ったフードを脱ぐ。下からウエーブした黒髪と褐色の肌が顔を出した。
パールピンクの唇をキュッと噤んだまま、彼女は僕に一瞥もくれずしゃがみ込む。
完全な死角に入ったため姿は見えないが、ガチャガチャと ――おそらく頭陀袋の中からだろう、何かを取り出し、再び目の前に。
見るとその手には太い鉄杭が握られていた。そしてそのままその鉄杭を石棺にむかって打ち込み始める。
石棺の四方には隙間を埋めるように海綿のようなものが敷き詰められているのだが、そこに鉄杭がズグリと沈み込んでいく
鉄を叩く大音響とともに振動が棺を伝わって僕の頭を揺らす。
「おい!もうちょっと静かにできないのか?」
たまらず声を上げる僕に、やはりタブロは答えない。
密閉された石造りの空間で鉄塊をぶっ叩いているものだから反響する音で僕声が届いていないのだろうか。
「…おい」
ガチン…ガチン…
「おいってば!なにをするつもりだ!」
ガチン…ガチン…ガチン…
振動で震える僕の声を無視して、タブロは一心に鉄杭を打ち込んでいく。
普段は無駄に多弁な彼女の姿に否応なく不安は募る。
いくら叫んでも返事がないどころか玄翁が立て続けに伝えて来る衝撃に頭がクラクラと明滅する。
少しでも楽になるようにと、眉間に力をこめて目をギュッと閉じること十数分。
ガツッ- という音と共に振動が止み、室内がいつもの静寂を取り戻した。
そっと目を開くといつの間に上に登ったのか、タブロが僕の頭のすぐ横に立っていた。
普段から履いている黒のストッキングに、これまた黒のタイトスカート。途中でローブを脱いだのだろう、上は緋色のコルセット。その大きく開いた胸部は一連の動作で激しく上下していた。
出会って5年。初めて見るローブを脱いだ彼女の姿は、ボディラインを強調するその衣装も相まって、ひどく扇情的に映った。
いつもの僕であれば「眼福眼福…まて相手はタブロだぞ…いやしかし身体に中身は関係ない…」などの思考を気取られることなく、冷静な目でかつさり気なく。チラッとじっくり凝視することが出来るのだが…今日のコイツはおかしい。
いや、彼女がおかしいのはいつもの事なのだが、というかこの鉄杭を打ち付ける動作はおそらく僕を外に出すための過程であると容易に予想できるので、おかしな所は別に無いのだが…
混乱に目を白黒させていると、ゆっくりと呼吸を整えたあとタブロが口を開いた。
「こんばんは。坊」
「あ、あぁこんばんは」
返事を返したがその後の会話が続かない。タブロはずっと僕を見おろしたまま動かずにいる。
普段から何を考えているかわからない彼女だが、今日はいつもにもまして何を考えているかが読み取れない。というか…眼から感情を感じ取れない。
「あのさ、タ…」
「今日は私だけだよ」
「は?」
「先ほど聞いただろう?他に誰かいないのか、と。そして静かにできないのか?という質問に対してはもう終わったからいいだろう。何をするつもりかについては尚の事答える必要もないな。無論坊をここから出すためだ」
一息でそう言ったきりまた口をつぐむタブロ。というか、聞こえていたならなぜすぐ答えないのか。
いつもに輪をかけておかしいこの変人をどうしたものか、と思案していると、彼女は一瞬目を閉じ「ふぅ」と息を吐いたあと再び僕を見てこう言った。
「すまない。順番に答えよう」
あぁ、そうしてくれると助かる…
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カチャカチャという音が室内に響く。僕の首周りの薄い鉄板を外しながら僕とタブロの会話は続いた
「つまり皆は母さんのお産で大騒ぎってことかい?」
今宵は満月。前回タブロが言ったことが本当であれば、臨月に入っている母の出産は今日明日と見て間違いないのだろう。
「あぁ。悪い言い方になるが…次は失敗できないというのが屋敷の者達の本音だろう」
「悪いと思ってるならもうちょっと言葉を選べよ…」
「私が何度も言っているのだがね。アレは唯の運だと。まぁ理屈ではわかっていても、というところなんだろうね」
待望の”健康な”跡継ぎが産まれるかどうかの瀬戸際なんだ。気持ちは十分わかるつもりだが…さすがに誰も来ないのは寂しい。
前線に行っている父さんはともかく、ジータさんくらいはこっちに来てくれると思ったんだが…
「ちなみにジータ嬢は私が止めた」
「当たり前のように心を読むな…って、なんでさ?」
「何だ?寂しいのかい?」
「そんなんじゃ…ほらこの作業も一人よりは二人のほうが楽だろう?」
僕がそう言うとタブロは僕の首周りの鉄板を立てて外し、そのまま石棺の下の床に落とした。
眼下の外で鉄板が床を跳ねる音が弾ける。
「ずいぶん乱暴だな…面倒なのはわかるが歪んだらどうするんだ」
顔を顰めながら苦情を言う
「別にいいだろう。もう使わないんだから」
「いや、そりゃそうだけど、もし失敗したらまた使う…」
「次はない」
「え?」
「次はないんだ」
見上げるとタブロはこちらを見つめ「いいかい?」と続けた
「今からこの石櫃を破壊する。同時に中の魔素を分解させる。坊は外に放り出される。ここまではいいね?」
「あ、ああ、でも次はないって――」
「問題はここからだ。坊の身体は今中に満たされた魔素とつながっている。これは擬似的な胎内だと思ってくれていい」
僕の問に被せるようにそう言いながら石櫃を踵で叩く。
「本来であれば生命は外部より魔力を取り込み、それを体内で循環させることにより生命活動を行う。が坊の途切れかけた魔椎はその流れに耐えられず、四肢に魔力を行き渡らせることができなかった。それを補っているのがこの棺だ――」
今まで何度となく聞いた説明を再度聞く。この棺の中に満たされた魔素には一定量の魔力を留める性質があり、地脈や月光から送り込まれる魔力を蓄えている。その魔力は、毛穴という毛穴を通して僕の身体の中に送り込まれていく。いうなれば魔力の人工透析機のようなものだ。
「この魔素とのリンクを今から絶つと同時に、休眠状態にあった坊の核と魔椎のリンクを復活させる」
「核?」
「いうなれば…心臓が血液におけるポンプなら、核は魔力に対するそれだ」
「そんなものがあるのか?聞いてないぞ?」
「聞かれなかったからね。まぁワザと言わなかったわけだが。意識させるわけには行かなかったからね。核の胎動は人の意志によって大きく左右される。リンクを切った状態で…まぁ長くなるからよそう」
この解説好きにして、ありえない台詞をつぶやく。そして見慣れた手袋をつけると僕の横に跪き、肩口までその腕をつき入れた。
「今から坊の背中に刺さった「針」を抜く」
「針?」
「『魔痺針』といってね、魔椎と魔脈の流れをカットするんだ。主に罪人の拘束用に使われるものだが、こういう使い方もできる。」
あるかないかわからないような鈍い感触が、僕の背中にかかる。
「これを抜くと坊の魔椎は核と体内の魔脈に魔力を送り始める。…さて、いいかい?」
「あぁ、それは必要なことなんだろ?それなら構わないが――」
というが早いか、ズズッっと僕の背中から何かが抜ける感触がした後、魔素から抜いた腕をタブロが後方に振り上げる。死角の外でチャリンと何かが落ちる音がした。あれが魔痺針というやつなのだろう。
「さて…しばらく時間があることだし質問に答えていこうか…」
そう言いながらタブロが石棺を降りる。
「…」
「どうしたね?」
いや、ここまで露骨だとさすがに目の前の変人が重大な事をあえて言わないでいるのがわかる、が…コイツが言いたくないほどのことだ正直聞きたくない。というか何となく想像がつく
「時間があると言っても限られているんだよ?聞くことがないならこれからのプロセスを説明するが」
僅かではあったのだろうが随分と長く感じる沈黙の後、僕はおずおずと口を開く。
「次は無いってことは…失敗すれば僕は死ぬのか?」
「いや?死なないよ?」
随分と勇気を出した問いに、これまたあっさりとした返事をするタブロ。じゃあさっきまでの思わせぶりな態度は何なんだよ…
安堵と呆れのため息をつこうとした僕に彼女は言う。
「――死にはしないが次はないんだ」
「え?」
「言っていることが判るかい?」とタブロが背を向けた。
「今日は一年で一番月の魔力が強い日だ。大気中に濃密な魔力が満ちている。」
天窓から差し込む月明かりが僕とタブロの間を隔てる。
「魔素から出た坊はまず体内の魔力を身体の中に押し止めなければいけない。今まで石棺内で往来自由だった魔力を循環させ、なおかつ体外に漏れ出ないように。それができなければ坊の体内からあっという間に魔力は流れ出し枯渇し、坊は死ぬだろう」
やっぱり死ぬんじゃないか…
絶望に揺れる僕の視線を背に受け彼女は続ける。
「別にね、魔力を押しとどめることに失敗しても直様さっきの針で魔椎を核と魔脈から切り離せば命は助かる。そしてまた魔素で坊の身体を覆ってココに置けば坊は生きていけるだろう。だがね、次はないんだ。」
「……」
「――坊が生まれてもうすぐ6年になる。これ以上魔脈と身体との齟齬が大きくなれば坊がまともに動けるようになる可能性は低くなる。それに身体が大きくなればなる程必要とされる魔力は大きくなる。来年の満月の魔力ではおそらく…いや間違いなく足りない。そしてここら一帯に此処以上に魔脈の満ちた場所はない…魔力を他所から持ってくる方法もあるが…」
「もういいよタブロ。わかった」
僕をこの状態で生き存えさせるのに、既に父や母には多大な負担を強いている。外から魔力を持って来るというのがどういう手段を取れば可能なのかは知らないが、間違いなく安くはないのだろう。でなければ今この場にその手段があるはずなのだ。わざわざ年に一度の満月を待つ必要もない。それに――
「もう産まれるんだったな…」
今屋敷では新しい家族が産まれようとしている。弟か妹かは判らないが。その子が無事に生まれた後、果たして僕は生きているか、ということだ。
タブロは言った「死にはしない」と。ただ、そうなって僕が「生きる」ことを選ぶかというのは別の問題だ。
そして僕は今日この場にタブロ以外の誰も居ないことの答えに思い至る。
「もしも失敗したら?」
振り返ったタブロが僕の目を見る。
――ジータさんがいたら、許しちゃくれなかっただろうな。
「…私を誰だと思っているんだ?安心したまえ――痛みは、ない」
「そうか…ありがとう。タブロ」
何の事はない。僕は既にギリギリで、1年前、父さんと話したあの夜に、僕自ら背水を引いたのだ。そして…
「僕は兄にならなくちゃいけない」
あの日の誓いを。僕は守らなければいけないのだ。
「あぁ、そうだね」
僕の視線を真っすぐから受け止めたタブロが頷いた。




