第3話:『少年と変人』
あの夜から1年が経とうとしている。
僕を取り巻く環境は、残念ながら大差ない。
相変わらず首から下は本当に実在するのかわからないし、タブロはどうでも良いことはこっちが聞かなくてもべらべら喋るくせに、こと治療の進展に関しては何も言わない。
せめて触覚だけでも何とかならないか? と聞いたことがあるのだが、「全身の皮を剥いた状態で熱くて冷たい芝生に包まれるような状態になると思うが、それでもいいなら」とニッコリされたので、お断りしておいた。
――本当に大丈夫なんだろうかこの身体は
実はドロドロの触手になってましたーとかそんなろくでもない想像をしたのは何度目だろうか。何度考えてもぞっとしない。
「心配するな、とは言わんが、まぁ大丈夫だ」
怖気に震えていると視界の外から声がする
「といっても坊の全身を見たのはこの石櫃にうつした4年前が最後だから、今どの程度成長しているか解らんがね。当時の記憶ではどちらかといえば母親似であったかな」
まるでこちらの考えが聞こえていたかのように話しかけて来る。
しかし、そうか。母さん似なのか。
それを聞いて安心している自分がいる。
別に父さんに似たくない、というわけではない…わけではないのだが、流石にあの威圧感の塊のような外見はちょっと遠慮したい。
この世界の美醜がどういった基準にあるかは解らないが、記憶にある母さんは恐ろしいほどに美人だった。
透き通るとはこのことか。と思わせる肌に、更に白い髪。
父さんと並ぶとどこぞのボードゲームのようだ。
「まぁ美人でも泣き顔しか見てないからアレだけど…って居たのか」
「いるともさ。挨拶はどうした? 会話の最初は挨拶からと何度も言っているだろう?」
自分からいきなり話しかけてきたことを棚に上げて、魔術師が言う。
「…おはよう、タブロ」
「あぁ、おはよう。坊。元気かね?」
「相変わらずだよ。っていうか、僕がどんな状態かはタブロが一番知っているはずだろう?」
「あぁもちろん。ジータ嬢よりも誰よりも、君の事は一番良く理解しているとも。
まぁ挨拶のアクセサリーようなものだ。会話の潤滑剤ってやつだね」
なんとも気持ちの悪い事を言うが、事実であるから仕方がない。
宮廷魔術師タブロ。フリーザン家所有の山に研究所を持つ変人であり、僕をこの石櫃に閉じ込めた張本人である。
「それで、何の用?」
「今日は随分と冷たいじゃないか。用がなければ来てはいけないのかい? そもそも此処は私の研究所だったんだけどね。君が産まれてはや5年。私の研究所の1/3を占拠して、5年だよ? 軒を貸して母屋を盗られるとでもいうのかね? なんと恩知らずな。大体君がこうしていられるのは私のお陰だと何度も言っているだろう?
言葉だってそうだ。ワーワー喚くことしかしなかった君に、根気強く言葉を教えてあげたのは一体誰だったかね? そんな恩人に君はなんと…」
「・・・わかったから。で、何の用」
止めなければ1日だって続くであろうそれを制して再度尋ねる。
「人の話を遮ってはいけないと何度も言っているだろう? 相手に不快感を与えるばかりか、円滑なコミュニケーションを阻害する一番の原因だよ? 大体だね…」
「一方的に延々と話し続けるのは円滑なコミュニケーションで不快感を与えないとでも言うのか?」
「ふむ… しかし勘違いしてほしくないのはね、これは君の為でもあるんだよ? 事実君は素晴らしい速さで言葉を習得したじゃないか。
私が君にこうして思考の全てを言語化するなんていうしちめんどくさいことをしてアウトプットに時間をかけて、この麗しい喉を嗄らさんばかりに語りかけているのは全てその為だというのに…外では寡黙な魔術師と呼ばれているこの私がだよ?」
――あからさまな嘘も円滑なコミュニケーションには必要なんですかね? と思うだけで口には出さないで置く。
寡黙? とんでもない。
ただこの変人は自分に興味がないことに動かす舌を一切持っちゃいないだけだ。
僕はこの変人の研究対象であるらしいので、僕の前では常にこうだ。一度で良いから黙ったところを見てみたい。
「君だけに見せる私の本当の姿、というのはグッとくるものがないかね?」
やかましい。度々思うが、こいつ人の心でも読めるんじゃなかろうか。
「そんなことはないよ。ただ、目は口ほどにものを言う、というだろう? 君は目と口以外動かせない所為か、目が非常に雄弁でね」
…本当に読めている気がしてきた。
「で、今日は何の用なんだ?」
「まぁ、いつもどおり、君とコイツの調整とチェックだよ」
僕を包む石櫃をノックしながら3度目の問いかけにやっと答えるタブロ
「まぁ、そうだろうとは思ってたけど、随分前回と間が開いたね?」
「それは当然。4ヶ月で10倍になるような新生児の頃じゃ有るまいし。少しずつ間隔は開いてくるさ…っと」
話しながら縁に手をかけて石櫃を上ってくる。
「でもまだまだ成長期だからね、こうしてチェックをしなきゃいけないのさ」
そう言いながら、僕の横にかがむと、右手を僕の後頭部と石櫃の間に突き入れた。
右手には透明なゴム手袋のようなものをはめており、でん粉における唾液のようなものなんだろうか? その手袋で触れると、僕の身体をガッチリ固定しているスライムのようなものが、まるで粘土のようにその硬度を失ってズブズブと右手を飲み込んで行く。
そのまま、ふむ…とか、うむ…とか唸りながら目を閉じるタブロ。
「どう?」
ふむ…
「ねぇ」
…うむ
「ねぇってば」
ほう…ほぅ?…ふーむ
答えやしない…ため息を吐いて目をそらすと、片膝を着いたタブロの下半身が目に入る。
全身を包むローブの前がはだけて、黒いタイツに包まれた太ももが露になっている。膝を折ることによって伸びた生地が薄くなり、透けて見えるグラデーションの地肌が艶かしい。
このタブロ、奇言妄言何でも来いの残念な性格の変人だが、れっきとした女性である。
しかも、頭まで覆うローブで普段は見えないが、かなりの美人にカテゴライズされる。残念だが。
中身が残念でも、目の前の光景に罪は無いので、是眼福とばかりに凝視していると、頭の上からタブロの声がした。
「おかしいな…」
「え?」
何か問題があるのか? ゾッとして問いかける僕。
そもそも前回のチェックはこんなに時間はかからなかったはずだ。見上げるとタブロが眉間にしわを寄せて唸っている。
一体何が起こっているというんだ? タブロ、いったい僕の身体に、何が…
「膨張が確認されない。もうちょっと脚を開いた方が良いのかね?」
…
……こんなに人を殴りたいと思ったのはいつ以来だろう。父さんと話したあの夜以来だろうか。
「お前なぁ…」
怒りで震える僕にタブロはいつもの調子で続ける
「成長度合いをチェックしているんだ。何を怒ることがある」
「僕はまだ5歳だぞ。何をチェックしてるんだ何を」
「何をってナ」
言わせねぇよ?
「ふむ…坊のジータ嬢との読書タイムでのだらしない顔を見て、てっきり色を知る歳かとおもったのだが…」
何を言っているんですかねこの人は。僕がいつそんな顔をしたというんでしょうか。
「脚ではなく胸の方が良かったかね」
やめてください。おねがいします。
「そうかね。しかし、坊はまだまだ子供だったか」
「当たり前だろう」
「いや、坊は普通の5歳とは思えぬほど達観しているからな。少なくとも精神面においては、成人男性並と言っても良いと思っていたんだが…ふむ。やはり精神が幾ら成熟しても、器たる肉体が幼いとそうも行かないらしい」
確かに僕は生まれる前の記憶を保持している為、そこいらの5歳児にくらべ随分異質な精神構造をしているとは思うが、肉体は完全な5歳児のそれである。
肉体は魂の器とは誰がいったか知らないが、どうやら精神というのは随分と肉体に引っ張られるものらしい。
乳幼児のころは、どれだけ我慢しようと腐心しても、寂しければ泣くし、腹が減っては泣いてしまっていた。
今だってこの身体が動けばトンボを追い掛け回して1日潰せる自信がある。
ジータさんに会うと甘えたくなってしまうし、口調も幼いそれになってしまう。
僕がこんな話し方が出来るのは、タブロを相手にしている時だけである。それ以外は何故か見た目より大分ませた子供、程度の話し方しか出来ない。
「タブロ相手だとこうなんだけどなぁ…」
「それは私が坊を子供扱いしていないからだろう。バルディアの奴も、君が賢いというのは理解して、認めても居るが、やはり君に対する目は子供へのそれだよ。
ジータ嬢にいたっては言わずもがなさ。
人の存在というのはやはり自己のみで完結するものではないということかね。
精神は肉体に引っ張られ、さらに観測される側からも影響を受けるということか…
ふぅむ。興味深い。が、別にこんな物は子育てや教育に役立つぐらいで私には必要のないものだな」
その容姿を知るものからすれば随分と勿体ないことを言いながらタブロは一人納得している。
「で、どうなんだ?」
「どう、とは?」
「僕の身体のことだよ」
「ふむ…やはり外因的な刺激がないためかね、同年代のそれより随分と幼いが、きちんと育っているよ。膨張はしないがね」
それはもう良い。しかし、そうか。成長しているのか。
「じゃあさっさと動けるようにならないかな。いい加減父さんや母さんを安心させたい」
あの夜以来父さんには会っていない。
どうやら西が少しきな臭くなってきたらしく、砦を離れられずに居るらしい。となると母さんは独りっきりということになってしまう。
「ねぇタブロ」
「なにかね?」
「僕、まだ母さんに会っちゃいけないのかい?」
「ファクシー嬢か…難しいね」
「どうしてさ。僕もこうやってしっかり話せるようになったし、ジータさんからは大分元気になったと聞いてるよ?」
母さんもいつもジータさんに僕の様子を事細かに聞いてくるようなので、嫌われているというわけではないと思うのだが…
ジータさんが僕を哀れんで嘘を吐いている、とは思いたくないが、否定する材料がない。
「母さんが僕に会いたく無い…とか?」
「それはないだろう。君に会わせないと決めたあの日以来、私は随分と嫌われてしまってね。
君の治療の進捗を事細かに聞いてはくるものの、すべてジータ嬢を通してだ。私の顔など見たくもないらしい」
「それじゃあ、どうして…」
「そりゃあ、此処は小高いとはいえ山の頂だからね。こんなところに身重の女性を連れてくるわけにはいかんだろう?」
――は? 今なんて?
「身重…って?」
「懐妊、受胎、懐胎ともいうかね」
「いや、そうじゃなくて。聞いてないぞ僕は」
「言ってないからね」
しれっと言いきる。
こういう奴だ。どうでもいいことはべらべら喋るくせに、肝心なところを抜かしてくる。
「タブロはこういう奴だから仕方が無いにしても、何でジータさんまで…」
ジータさんは毎日のように家や外の様子を僕に伝えてくれていた。
母や、遠く西の砦の父の風聞はもちろん、山の葉が色づいただの、後輩のメイドが出来なくていつまでも下っ端あつかいだの、小麦の値段が上がっただの、事細かに。
母の懐妊などという大きなニュースを僕に伝えないのは、意図的に避けたとしか思えない
「嬢にもいろいろ思うところがあるのだろうさ。怒らずにおいてやれ」
「…怒るわけないだろう。ただ、驚いただけだ」
ジータさんが僕に話さなかった理由は考えるまでもない。
気を使ったのだ。フリーザン家の長子として生かされている僕の存在価値を揺るがすかもしれない兄弟の存在を、いまだ動けずにいる僕に話すことが出来なかったのだろう。
しかし、それは大きな勘違いだ。
弟か妹かわからないが、きょうだいが増える。
父さんはあの日の約束を守ってくれたらしい。
なら、僕も、約束を果たさなければ。…俄然やる気が沸いてきた。
「タブロ。子供はいつ生まれるんだ? それまでにさっさとこの石櫃からおさらばしないと」
問いかけるとタブロが右手についたスライムの様な物を払いながら答える
「次の、満月だろうね」
「次の満月!? もう1週間もないじゃないか!」
前の世界でも、満月の夜は出産率が上がるという統計があった。
この世界での月は強大な魔力の塊であり、魔力に支配されているこの世界ではその現象がさらに顕著だ。
基本的に子供は満月に生まれるものと思って良い。
「流石に一週間じゃどうにもならないか……
でも、せめて。せめて産まれた子が歩けるようになる頃にまでには、なんとかならないか?」
問いかけると、タブロは手をひらひらさせたままこう答えた。
「なんとかもなにも、言っただろう
次の、満月だと」




