第1話:『少年は竜騎士に憧れる』
少年は竜騎士に憧れる
「おめで……す」
「おぉ!…」
「…は見事な……」
「よくやっ……」
……!
…………!
「はじめまして……
私の可愛い――」
産まれた時のことは良く憶えていない。まぁ普通はそうだろう。
飴玉のロゴデザインで有名なチョビ髭の画家は憶えていたらしいけれど、怪しいもんだと思う。
「生まれる前の記憶」すら保持している自分でさえこの程度なのだから。
――良い天気だなぁ…
今日も僕は空を見る。
窓の向こうに見える青空は澄み渡り、雲ひとつ無い。
最近はやっと思考と意識のずれが収まってきて、時間の過ごし方がずいぶんと楽になった。
産まれて直ぐは、眩しいわ五月蝿いわ、鋭敏すぎる五感と処理しきれない理性がとにかく強烈で、我慢できずに泣き叫んだ。
その泣く理由も、当時の頭では理解できずにいたものだから、ワケの解らぬ漠然とした不安と不快感が更に呼び水となって悲鳴を上げさせる… と、まともに考えることなんか出来やしなかった。
そんな状態が1年以上続き、少しずつではあるが自分の状況というものを理解して行くに至り、3年経った今では1日のほとんどをこうして思索に費やしている。
というか、他にすることが…出来ることが無いからなんだが。
ぼーっと空を眺めながら物思いに耽っていると、人の気配が近づいてくるのを感じた。
――この足音はジータさんだな。今日はいつもより少し遅いけど、何かあったのかな?
そう思っていると、ドアをノックする音が室内に響いて耳を打つ。
四方を石で覆われたこの部屋は、長大な吹き抜けと相まってノック一つでもずいぶんと響く。ここが地中に位置しているということも大きいだろう。
「お早うございます。ぼっちゃま」
「おはよう。ジータさん」
今まで何度と無く交わされた会話。
「御変わりはありませんか?」
「いつもどおりだよ」
「それはようございました」
「いいことじゃないとおもうけどね」
「……ッ」
あ、しまった。余計なことを言ってしまった。
視界の外でジータさんがビクりとこわばるのを感じる。
「もうしわけ――」
「ごめんごめん。そんなつもりじゃなかったんだ。ごめんね」
「とんでもございません!私がぼっちゃまの――」
「ごめんね?」
「……はい」
本当にごめんなさい。
ジータさんに当たるつもりなんか無かったのに。
なんだ? どうした、俺。
虫の居所でも悪いのか?
昔の自分なら容易に抑えられたであろう感情が、不意の拍子にポロリとこぼれてしまった。
まぁ、自制の利く3歳児というのも不気味なんだろうが。
とにかく空気を変えなくちゃいけない。
「きょうはおそかったね?なにかあったの?」
「――っ…えぇ。今晩、旦那さまが御戻りになられるそうで、朝より家中総出でお出迎えの準備を。夜にはこちらにもいらっしゃるかと」
「とうさんが!うわあ!たのしみだなぁ!」
「…旦那さまも、お坊ちゃまにお逢いするのを楽しみにされているとおもいますよ」
「ほんとに?」
「えぇ。勿論でございます」
露骨過ぎただろうか? こちらが気を使ったのがバレバレな気がするが、まぁ仕方ないだろう。
強張った彼女の声が、いつものような柔らかさを取り戻して行く。女性にしては少し低くハスキーな声。
口調は固いが、滲み出る優しさにいつも安堵している自分が居る。
生まれてから一番多く聞いた声だ。多少の刷り込み的な依存もあるのだろう
「それでは、朝食をお持ちいたします」
顔の横にトレイが置かれる音と同時に、やっとジータさんの顔が視界に入る。
褐色の肌にブルネットの髪。メイドという仕事の為か、シニヨンで後ろにまとめてあるが、解いたらさぞ綺麗なロングヘアーだろう。
一度で良いから見てみたいものだ。いや、うなじの後れ毛も悪くは無い。悪くは無いのだが…
「それではお食事を始めさせていただきますね。はい、お口を開けてください……」
目の前の3歳児がそんなことを考えているとは思いもせずに、スプーンで甲斐甲斐しく皿と口を往復するジータさん。
食事の内容は相変わらず、スープというにはとろみが強く、ゼリーと呼ぶには微妙な、なんというか硬いとろろのようなものである。
3歳になり、ある程度歯も生えそろってきてはいるのだが、とある理由からこれ以外の食事は出来ない。
味は…ほとんど無味。ひどく薄い青汁のようなモノだ。
バリエーションが一種類しかない癖に、量は結構なもので、軽く1リットルはある。
それをスプーンで手ずから運んでいくのだから、随分な重労働ではないだろうか。
そう思って、以前、
――水差しのようなものに入れて傾けておいてくれれば後はこっちが勝手に飲むよ
と伝えた事がある。だが、それを言った途端ジータさんに「私が不要とおっしゃるのですか? 何かご無礼をしてしまったのでしょうか?」 と矢継ぎ早に問い詰められ、事の仕舞いには、ぐすぐすと泣かれてしまったものだから、それ以来その要望はタブー。この餌を貰う雛鳥のような体勢に甘んじている。
「はい。もう一口。あーん♪」
理由の一つに、この「あーん」が恥ずかしいというのがあったのだが… それをやめてというと、また悲しそうな顔をされるのでもうどうにもならない。
左手を僕の頬に添えて、一匙、一匙。
慈しむ様な眼差しが暖かく、こそばゆい。
そこに多少憐憫の色が混ざってしまうのは仕方の無いことだろう。
石の櫃に顎から下の全身を覆われて、頭部も上を向いて完全固定。唯一自由に動かせるのが瞼と口だけ。
そんな状態の幼児を哀れむなというほうが無理というものだ。
長く静かな食事が終わると、日課となっている物語の読み聞かせが始まる。僕の唯一の楽しみと言っても過言ではない。
日常的な会話こそある程度、というか3歳の半ばを越えただけにしては異常なほどにこなせるようになってはいるが、読み書きとなるとそうは行かず。
何分、本 のページすら自分で捲れないので、(一々「ページを捲ってくれ」と言うのも、意思を伝えるのも煩わしい)ジータさんが本を読み聞かせるのが今日に至るまで続いている。
彼女が「それでは失礼します」と石櫃に登ってその縁に腰をかける。
ヴィクトリア風に良く似た、黒と白を基調としたロングドレス。先ほどまで胸元から上までしか見えなかったジータさんの全身が視界に入る。
最初彼女は、石櫃の前に椅子を置き、そこから僕に本を読み聞かせていたのだが、そうするとこちらからは彼女の顔が全く見えない。
感情の制御が全く効かなかった当時の僕は、心細さを抑えることが出来ずに泣き出してしまった。
しかも録に呂律が回らず、意思を伝えることもできなかった為、ジータさんはあたふたするしかなかった。
次第に顔を見せるとこちらが泣き止むということに気づき、その後は椅子の上に立ったまま読み聞かせるようになってくれたのだが、1日の殆どを寝てすごすような乳幼児期ならまだしも、日に日に伸びて行く日中の覚醒時間に比例して、読み聞かせの時間は伸びていく。
こうなってくると、ジータさんはその間本を持ったままずっと立っていることになる。
流石に気の毒なほど伸びてきた読書タイムに、自分を覆うこの石櫃に座って読み聞かせてくれないかと頼んだのがおよそ1年前。
最初は「そんな失礼なことは出来ません」 と頑として受け入れてくれなかったジータさんだが、「直接見て文字を覚えたいし」というこちらのもっともらしい要望にやっと折れてくれた。
実際部屋の半分は石櫃が占拠しており、石櫃は部屋の三方と一体化しているため後ろ手にまわることは出来ないので、本をこちらに見せながら読み聞かせるにはこの体勢しかないのだから、仕方の無いことである。
けして未だにジータさんの顔が見えないと寂しいからではないし、石櫃に座った状態で本を僕の手前に置くことにより頭部に仕方なく接触してしまう双丘の感触を狙ってのことではない。けして。
「今日は何のお話にいたしましょう」
「いつものがいい!」
「またですか。ぼっちゃまは本当に竜騎士がお好きですね」
「うん!」
「それでは今日は…そうですね。東の竜騎士、スヴェルトのお話しをしましょうか……」
ジータさんが読み聞かせた物語の中で、僕が喜んで聞いたものは英雄譚だった。
この国で読まれている英雄譚のジャンルは大きく別けて4つ。
一つはこの国を建国した初代国王を扱ったもの。数としてはこれが一番多い。プロパガンダもかねているのだろう。
次に多いのが竜騎士の物語。空の覇者である竜にその背に乗ることを認められた騎士が、相棒の竜と共にあらゆる苦難を乗り越えて行く。
これもやはり戦う理由が国のためであったり、美しい王女の願いであったりするのは、「竜に認められた国」と呼ばれるこの国としては仕方の無いことか。
そして未知を発見するストレンジャー、冒険者達を扱ったものと、人に害為す巨獣を屠るジャイアントキリング。とくに邪竜を滅ぼすドラグスレイヤーの物語が好まれている。
これらは数こそ少ないものの、庶民に強い人気がある。
それらの中で僕が一際好んだのは、竜騎士を扱ったものだった。
長い吹き抜けの先にある天窓から見える空。
僕の唯一知っている景色。
手を伸ばしても…伸ばすことすら敵わぬこの身は、思い焦がれてしまった。
残酷なまでに遠い空と、その空を自由に駆ける竜の姿に。
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気が付くと、射し込んだ西日が部屋の中を茜色に染めていた。いつの間にか眠りこけてしまっていたらしい。
「お目覚めですか?」
「ごめんなさい。ねちゃって…」
「いいんですよ」
柔らかな夕日に照らされながらジータさんが微笑む
「少し、首周りがキツくなってきたのではございませんか?」
僕の頬から顎にかけてのラインを撫でながら彼女が言った。
「んーと…だいじょうぶじゃないかなぁ。このまえかえたばかりだし」
「いえ、いけません。育ち盛りなんですから。あとでタブロ様に伝えておきます。束具の調整をしてもらいましょう。御髪も随分と伸びてきました。明日鋏を持ってまいりますね」
「うん…」
自分では全く解らないが、この身体は順調に成長しているらしい。
この世界は魔力というものに満ちている。
大気はもちろん、流れる水、草花、大地、石くれに至るまで、万物に魔力が存在する。
人体も例外ではなく、脊椎の内部、脊髄のさらに中心に『魔堆』という魔力を流す為のラインが存在し、そこから枝のように生えた『魔脈』が、脊髄、神経と絡み合って身体全体に魔力を行き渡らせている。
このラインに何らかの不具合が起きると、魔力の流れが阻害され、あらゆる障害が身体を襲う。
脊椎への強い衝撃による魔堆損傷や、老いに伴う魔脈の劣化などの後天的な理由以外に、稀に先天的に魔堆や魔脈に障害を持って生まれてくる子供が居る。
『先天性魔堆断裂』
僕、リヴィロ=フリーザンはこの世界に生を受けた。
魔力で満ちたこの世界において、致命的ともいえる障害を持って。