8月6日 女男家族列伝
――――――この物語は男と女の物語ではない。この物語は女と男の物語である。
『女男家族列伝』はそう言う書き出しから始まる物語である。
この物語では男と女の役割が逆転して書かれている。
夫が『女』として家庭活動を行い、妻が『男』としてサラリーマンとして働いている。これくらいならばまぁ、良くある家庭環境としてもあると思われる。しかし、この物語は本当に男と女が逆転して作られている。
男であるはずの夫が子供を出産する。まるで『女』のように。
女であるはずの妻が子供を育てるのに苦労する。まるで『男』のように。
豪快な妻と、繊細な夫。
男として取るような行動は妻がやっており、女として取るような行動を夫がやっている。そう言うやり取りが繰り広げられている小説だった。
2人は子供を産む。
男の子と女の子がそれぞれ1人ずつ。
名前は男の子のほうが『A男』と、そして女の子のほうが『B子』と名付けられた。恐らく、本名を使うと不味いんじゃないだろうかという事に作者は思ったのだろう。まぁ、夫と妻の名前もそのような感じに『Aくん』と『Bさん』と名付けられているのだけれども。
夫は『A男』を可愛がる。
『A男』に買う服は全て女物、おもちゃも女物、まるで娘を育てるようにして、『A男』を育てる。
妻は『B子』を可愛がる。
『B子』に買う服は全て男物、おもちゃも男物、まるで息子を育てるようにして、『B子』を育てる。
そして、『A男』は立派な女装癖を持つ男性として、『B子』は立派な男装癖を持つ女性として育った。
「なるほど……男と女とは何かを考えさせられる作品だな」
『男』がやるような行動は『女』が。
『女』がやるような行動は『男』が。
そうやって、進む男女逆転の物語。
誰もその事に疑問を持たないストーリー。
そしてこの『A男』と『B子』。
この2人はまるで、瀬島蒼龍と大神義愛の事を言っているように思える。
「そして極めつけはこれだな」
そう思いながら、僕はこの物語の1番最後のページ、裏表紙の裏側のページを見る。
【この物語を我が愛すべき息子、蒼龍に捧ぐ】
と言う文字と共に、横には大神文豪と読めるサインが書いてある。
この『蒼龍』とは十中八九、瀬島蒼龍の事だろう。そして大神文豪が『愛すべき息子』と言っていて、春日先生から聞いた情報だと、『大神文豪は大神義愛の実の父親』だと言う事。
「つまり、瀬島蒼龍と大神義愛は列記とした……」
”兄妹”
ではないんだろうか?