第3話 試験結果
--12年04月10日(火)14:58 20--
俺は、ひたすら睡眠をむさぼっていた。
ほとんど、仮眠と言っても差し支えないものだったが、今の俺にとっては、貴重なひとときだった。
だが、その時間も長くは続かない。
教室に流れるチャイムの音に続いて、
「時間です。
答案用紙を後ろから回収してください」
教壇のそばに置かれた折りたたみ椅子に座る、唐藤先生からの指示が飛ぶ。
俺は、眠りから目を覚ますと、担任の指示に従い、前の生徒に黙って答案を手渡すが、
「佐伯、結果はどうだ?」
と、前の席に座る男子生徒から、気さくな返事が返ってきた。
「ああ、小中、普通だな。
採点されるまではわからんが」
「俺のことは、二つ名である『闇夜の雷撃』か、真名である、『ドアール』で呼ぶがよい」
俺も調子を合わせて小中に返事をしたのだが、小中は満足しなかった。
主に、小中への呼び名に関して。
小中は、自己紹介の時に、次のような発言をした。
「我が名は、ドアール・ド・ラインベルガー。
三大貴族の一人だが、学友に対するよしみとして、特別に名である『ドアール』か、二つ名である『闇夜の雷撃』で呼ぶ栄誉を与えよう。
我が寛大な処遇に対し、感謝をするがよい」
小中は満足そうな様子で宣言すると、周囲を見渡した。
周囲からは、「またか」という痛い視線と、「この人は何を言っているのでしょうか?」という表情をしている人に分かれた。
前者は、小中を知っている人で、後者は小中を知らなかった人だろう。
唯一の例外は、俺だった。
どちらかに分けるのであれば、後者に属すべきだが、厳密な線引きをすれば、「お前の知識は間違っているぞ」という、別の区分に分類される。
なぜなら、三大魔貴族の二つ名は「闇夜の月光」、「漆黒の流星」、「暗黒の太陽」であり「闇夜の月光」の二つ名で呼ばれる者の名前は、アウグスト・ロータ・スパークスである。
そして、ドアール・ド・ラインベルガーは存在しなかったことを知っていたからだ。
もちろん、俺はそのようなことを小中に指摘するつもりはない。
もし、俺の言葉についての確証を示せない現在、このようなことをすれば、小中との壮絶な舌戦が開始され、終わりのない不毛な争いとなる。
周囲のクラスメイトたちからの、白い視線に囲まれながら。
たとえ、その戦いに勝利したところで、その先に待ち受けているのは、「真の痛い人間」という名の称号をクラスメイトから寄贈されるだけだ。
それは、望むことではない。
俺が、魔王を倒すのには不要な称号なのだから。
俺は、小中との話を適度に切り上げると、そそくさと帰宅を急いだ。
徹夜明けの疲れが残っていた。
テストの回答を済ませた残り時間を、仮眠に当てているが、それでも疲れはとれない。
こんな時は、早く帰って休むに限る。
体調がよくなければ、魔王なんて倒せない。
それにしても、さすが進学校というところか。
春休み中に高校の勉強をさせて、すぐに高校1年レベルの試験をさせるとは。
そして、ほとんどの生徒がそのことに納得しているということも。
というか、小中は頭が良かったのか?
今日は、一人での帰宅だ。
絵里香は、新たにできた友人たちと一緒に帰るようだ。
絵里香は社交的な性格のようで、すぐにクラスメイトに囲まれるようになった。
「今日は一緒に帰れないから……」
「構わないさ」
少し、申し訳ないという表情で謝る絵里香に、俺は問題ないことを告げる。
自宅を確認できたので、もはや迷うこともない。
「……もう少し、残念がってよね!」
絵里香が、俺に文句を言い出したが、俺にはその理由がわからなかった。
--12年04月11日(水)15:32 32--
翌日の放課後、俺は担任から呼び出しを受けていた。
呼び出された場所は、職員室からほど近い、小さな会議室だった。
座っているテーブルの上には、数種類のプリントが積まれていた。
恐らく、三年生の授業に使用する物理の教材だろう。
この高校が、公立高校のなかで、有数の進学校であることは知っているが、さすがに大学入試レベルの問題を一年や、二年にさせるつもりはないだろう。
それにしても、物理か。
魔王を倒すのに「円運動」や「熱膨張」、「粉塵爆発」などの物理学が役に立つとは思えないが、俺はテキストの内容を確認していた。
もちろん、後ろの二つは高校では、物理というよりはむしろ、化学で習う内容だった気もする。
そんな、どうでも良いことを考えながら時間をつぶしていた。
なにしろ、呼びつけた担任が、
「資料を用意しますので、ちょっと待ってもらえませんか」
と呼び止めてから、10分経過した現在、未だに姿を見せないからだ。
回答はともかく、問題内容だけならば読むことは可能だ。
魔法のトレーニングを使用して時間をつぶそうか、とも思ったが、俺は首を横に振る。
練習だけなら、いつでもどこでも簡単にできる。
だが、いつ、誰に見られるかわからないことが問題となる。
残念な事に、今の俺に魔法を使うことはできない。
そのため、練習風景を人に見られても、俺が魔王を倒そうと考えていることを知られることはないだろう。
だが、普通の生徒が俺の行動を見たとしたらどのように思われるだろう……
俺が、物理のプリントを眺めながら思考にふけっていると、会議室の扉が開かれた。
淡い暖色系の春物のブラウスを身につけた担任の唐藤先生であった。
入学式の日に身に着けたスーツのように、胸元が開いていないブラウスであったため、下着が見えることはなかったが、大きな胸の形が強調されていたことから、ホームルームや授業中は、男子生徒からの視線が唐藤先生の胸元に集中していた。
俺は、視線をすぐに唐藤先生の顔に移した。
唐藤先生は急いで来たようで、少し疲れたような表情をしていた。
「待たせました?」
「ええ、ゆっくりさせてもらいました」
申し訳ない表情をしながら、俺の反対側の席に腰掛ける担任に対して、俺はいつもの表情、いつもの声で答えた。
「それなら、よいのですが」
唐藤先生は、俺が眺めていた資料に視線を移したので、俺は素早く資料を戻す。
「それで、話は何ですか?」
「そうですね、さっそく話をしましょうか」
唐藤先生は、手持ちの資料を確認しながら説明を始めた。
「昨日のテストを確認しましたけど、君の成績を見て驚きました」
「驚いた?」
俺は首を傾げる。
俺は、一夜漬けで試験に臨んだ。
正直、疲れていたのでテストの内容はほとんど覚えていない。
しかし、睡眠時間を確保するために、適当に答えを埋めてから仮眠をとったはずだ。
それなりに回答したはずだから、問題なんか、何もないはずだ。
「最初の15分で回答して、残りの時間を睡眠にあてるということは、普通にはあり得ないことです」
「すいません。
あまりにも、眠たかったので。
テストの成績が悪かったですか?」
俺は素直に謝った。
授業中なら、怒られても仕方のない行為だ。
「いいえ、点数は平均以上でした」
「ああ、そうですか」
俺は、頭をひねる。
ならば、どうして呼び出しを受けたのだろう?
平均以下であれば、「ちゃんとテストを受けなさい」と指摘されてもおかしくないのだが。
「本来なら、君に言ってはいけないのですが」
唐藤先生は、そう前置きをすると、
「君の高校入試の結果を確認しました。
内容は、本当に合格ぎりぎりの成績です。
年によっては、不合格になってもおかしくありません」
「……」
「それなのに、今日の成績は平均以上でした。
しかも、ケアレスミスがなければ、トップ10に入るほどの成績です。
さらに、普通の半分以下の時間で回答しています」
「……」
俺は沈黙を貫く。
ようやく、俺は自分が特異なことを行ったように見られた事を理解した。
だが、返す言葉は思いつかない。
「君は、何か隠していませんか?」
唐藤先生は、話終わると俺に視線を向ける。
さて、何を回答すればいいのだろうか。
「ええ、そうですね。
隠していますよ、いろいろと」
「たとえば?」
唐藤先生は、俺に少しだけ顔を近づける。
「先生は、とても魅力的ですねと密かに想っているとか」
「!」
唐藤先生は、顔を赤くする。
「先生を、からかわないで」
唐藤先生の声が少しだけ高くなる。
「別に、からかっているわけではありません。
うちのクラスの男子生徒のほとんどは、俺と同じ事を考えていると思いますよ」
「そういう事ではなくて、自分の成績についてよ!」
「そうですね、自分なりにがんばったとしか答えようがないですね」
俺は肩をすくめた。
「もしかして、カンニングとかお疑いですか?」
「最初は、それも考えました。
ですが、数学をあの短時間で回答した以上、ありえないとわかりましたから」
唐藤先生は落ち着きを取り戻したのか、低めの声に戻った。
「そうですか」
俺は、少しだけ安堵の表情を見せる。
「ところで、本題はなんですか?」
俺は、唐藤先生に本題を切り出すように督促した。
「何から話しましょうか。
……、『特進クラス』は知っていますか?」
「ええ、知っています」
俺はうなずく。
我が厨西第二高校は、普通科と特別進学コースが存在する。
特別進学コース通称「特進クラス」とは、その名のとおり、一流大学の理系学科や医学部等への進学を目標にする生徒を集めている。
1学年9クラスのうち1組が特進クラスとして設置されており、1学年時から理系中心の教科を履修することになる。
「本来であれば、普通科から特別進学コース、あるいは逆への転科は認められていませんが……」
「いませんが……」
「去年の卒業生の大学合格率が、かなり低い状態でした」
「そうなのですか?」
唐藤先生は、俺に1枚の資料を見せてくれた。
確かに指摘のとおり、年ごとの合格率のグラフが右下に下がっているのが確認できる。
「それで、俺にどうしろと?」
「今年から、試験的に転科を認めようという話があります。
特進クラスをやめて、私立高校に入学した子が2人いました。
今年は2人分の枠を補充しようという話になりました。
それで、君に話が来たのです」
「そうですか。
……?」
俺は、首を傾げた。
「そんなに、俺の成績が良かったのですか?」
俺は、額に右手をあてる。
先ほどの唐藤先生の言葉との違和感を覚えたからだ。
「ええ、平均以上でしたから」
「まだ俺より、上の生徒がいるじゃないですか?
なぜ、俺に話が来るのですか?」
「学年総合17位です。普通科では君だけです。特進クラスの平均点以上の成績者は」
「え?」
俺は思わず頭を抱えてしまった。
俺は、目立つ事を避ける必要があった。
可能性は低いが、ここに魔王もしくは、魔王側の人間がいるかもしれない。
急に成績が上昇した生徒を怪しむかもしれない。
それに、特進クラスは課題も多いし、土曜日は任意と言う名の、半強制補習が存在する。
確実に俺の自由時間が奪われてしまう。
「君にとっては、良い提案だと思いますが、どうですか?」
唐藤先生は、真剣な表情をみせた。
「返事は、いつまでに?」
「今週中に。
本当は、この場で回答してくれると助かります」
「それでしたら……」
俺はこの場で結論を出すことにした。
「お断りします」
「理由は?」
唐藤先生は、少し驚いた表情を見せる。
「唐藤先生の担任するクラスに、居たいからでは、いけませんか?」
「からかわないで!」
唐藤先生は、少し怒った声を出した。
「からかっているわけではないのですが……、そうですね」
俺は、他の理由を考えることにする。
確かに、今の理由では、俺が断った理由を他の先生たちに伝えるときに困るだろう。
「そうですね、とあるプロジェクトを立ち上げるのに忙しい。
というのは、どうでしょうか?」
「どうでしょうか?、って何のことですか?」
唐藤先生は問いただす。
「その理由の方が、他の先生方を説得しやすいかと」
「その、プロジェクトとはどのような内容ですか?」
唐藤先生は、期待を込めて俺の顔を見つめた。
「唐藤先生をアイドルにするプロジェクトですが」
「却下します。
そもそも、君には、杵島さんがいるじゃないですか」
唐藤先生は、俺の言葉にあきれた表情を見せる。
「どうして、絵里香の話題が出るのですか?」
俺は、唐藤先生の思考の飛躍についていけず、思わず問いただす。
「幼なじみじゃないですか?」
「そのようですが、どうして絵里香がアイドルにならなければいけないのですか?」
俺は、話に絵里香が出てくる理由が理解できなかった。
「私が良くて、杵島さんがだめな理由がわからない」
唐藤先生も、なぜ佐伯は自分の話が理解できないのだという口調で俺に説明を試みた。
「俺もわかりません」
「おい!」
「冗談です。
プロジェクトについては、詳しくは話してもらえなかった事にしてください」
「……。
そうですか、わかりました」
唐藤先生は疲れた様子で、会議室を後にした。
教師も大変だなと、そのときの俺は思った。
--12年04月12日(木)15:58 33--
翌日の放課後、俺は教室に残っていた。
寂しそうな顔をする、絵里香には、
「悪いな」
と、言ったが、
「そう、じゃあまた後で」
と絵里香は言って、教室を後にした。
幼なじみの後ろ姿を、少しだけ目で追ううちに、先日、母親と絵里香とは一体何を話したのか、少しだけ気になったが、直ぐに頭を切り替える。
「さて、俺も準備を始めるか……」
誰もいなくなった教室で、俺は魔王を倒すための練習を開始した。
「癒しの風よ、ヒール」
「轟け、サンダー」
「燃えろ、ファイア」
「凍れ、フレイズ」
「護れ、シールド」
「黙せ、サイレント」
室内に、俺の声が響きわたる。
最初は、小さな声だったが、音声は少しずつ大きくなっていく。
俺は、魔法を使用するための訓練をしていた。
俺が、魔法を実戦で使用するために、克服すべき課題がいくつか存在する。
その、最たるものは「現時点で魔法が全く使用できない」である。
本来、致命的であるその問題点については、現時点では無視することにしている。
友人が遺したノートには、「魔法は誰もが使用できる。たとえ君であってもね」と明記されていた。
友人は、冗談は言っても嘘は言わない。
だから、俺は信じることにした。
それ以外の課題点としては、「即時に魔法詠唱ができるのか」、「適切に魔法を行使できっるのか」という点をあげることができる。
今日は最初の課題をこなすことに、重点をおいたトレーニングを続けることにした。
ちなみに、呪文の詠唱は「それっぽい言葉」で発動することができるのだが、基本設定の呪文を詠唱している。
「癒しの風よ、ヒール」
「轟け、サンダー」
「燃えろ、ファイア」
「凍れ、フレイズ」
「護れ、シールド」
「黙せ、サイレント」
素早く、簡潔に、そして確実な詠唱を繰り返す。
「よし、次に進むか」
30分ほど経過した頃だろうか、俺は少し疲れた声で、つぶやいた。
俺は、能力使用の訓練を始めようと準備をしていた。
能力とは、経験により身につけた、特殊な力の総称である。
先日収得しようとして、結局できなかった武技もその中に含まれているし、さらに広義に解釈すれば、魔法も含まれる。
学校に木刀を持参していないので、今日の練習は魔法と同様に、発声練習の繰り返しになる。
それならば、魔法の練習と一緒にしても、今の状況であれば問題ないだろう。
もっとも、魔法と違って、能力発動の為には、特定の準備動作が必要となるため、将来的には別メニューで取り組む必要が生じる。
その特定動作を覚えていない、今の俺には、関係ないが。
俺は、詠唱を再開した。
「闇夜の神矢!」
「……、ねえ啓司、何をしているの?」
俺のそばには、残念そうな表情で俺を見つめる幼なじみがいた。