第1話 17位の男
--12年05月24日(木)15:53 17(17)--
「……17位、おい17位」
背中から、シャツを引っ張られた俺は、感覚をとりもどす。
「よく寝ていたな、17位よ。
黒田は、あきらめて私に答案を渡してきたよ」
俺は、振り返ったところを、丸められた紙束で頭をたたかれる。
俺は、完全に目がさめた。
俺は素早く周囲を確認すると、自分が学校の教室に居ることだけは理解した。
しかし、頭をたたいた生徒の事は知らなかった。
少なくとも、俺の知る厨西第二高校1年3組でないことは、外の景色からすると明らかだ。
その生徒は、俺の考えなど知るはずもないので、丸めた紙を広げて俺に手渡しながら、俺に話しかけてきた。
「17位。
お前は、あいもかわらず17位なのだな」
「ええっと……」
「私は47位だ。
7位も下がったよ、今回は。
別に、これまでのように北条じゃなくて、47位と呼んでもらってもかまわない。
私だって、もうこのクラスに慣れた。
ランク外とか呼ばなければ、別にいい」
「……そうかい」
俺は北条の言葉の意味が理解できないまま、てきとうに相づちをうって話をあわせた。
「俺の順位に、驚かないようだな。
まあ、他の生徒の順位も確認すればいいさ」
黒縁眼鏡をかけている北条は、丸められた紙に視線を向ける。
俺は、丸められた紙を広げて、の一番上に記載されたリストを眺めるうちに、「17位」とか「47位」の意味を理解した。
中間テストの学年順位のようだった。
俺の名前の前には17位と記載されており、47位の後には、北条の名前が記載されていた。
「それにしてもお前、大変だったのに、よく順位を維持できたものだ」
「大変だった?」
「はぁ、お前さんは相変わらず大物だねぇ」
北条は半ばあきれ、半ば感心した表情で返答した。
「何のことだ?」
「一家離散したのに、よくもまあ、そんな余裕の表情ができるものだ。
本当にいつも思うよ」
「一家離散?」
「あ、すまん。
気に入らない言葉があったらあやまろう。
ごめん」
北条の表情や眼鏡にに少し陰が見えた。
「……いや、そうじゃない。
気にはしてない」
俺は、北条に気にしていないことを説明する。
北条の表情は好転し、話を続けた。
「そうか、ならいいのだが。
進学コースへの転科が決まった翌日に、自宅が差し押さえになって、家族との連絡が付かないなんて、私だったら、自暴自棄で家に引きこもるレベルだ。
もっとも、引きこもる家がなくなったのだけどね」
「そ、そうだな」
俺は、俺のことを17位と呼ぶ北条に対して適当に相づちを打ったが、どうやって俺は生活しているのか疑問に思った。
それを教えてくれたのは、北条だった。
「17位は本当に、運がよかったな。
10位、いや今回9位の八里家のお嬢様に助けてもらったのだから」
北条の視線に釣られて、視線を向けた先には背中まで届くような、長くてまっすぐな黒髪の美少女がいた。
少し大きめな瞳と、少しうつむいた表情、細い体つきは、大和撫子という言葉がよく似合いそうな印象を持った。
「八里家……」
「なんでも、江戸時代から続く大庄屋で、戦前までは『石を投げれば八里家の田畑にあたる』とまで言われたそうだ。
名字の由来も、家から8里(約31.4km)先までは自分の土地であったことが、由来だそうだ」
北条は、黒縁の眼鏡を右手で押さえながら話を続ける。
「戦後の農地解放で、かなりの土地を手放したそうだが、明治時代から地域の鞄産業を起業したおかげで、ごろ寝しても8代は持つと言われているほど財産を持っているな。
もっとも、そのおかげで戦前に盗賊により当主の命が狙われたが、棺に隠れて難を逃れたというエピソードとかもあるらしいがね。
お前のことだ、毎日一緒に帰っているから、それくらいのことは知っているだろうがな」
「……」
「それにしても、クラスメイトを助ける為とはいえ、一軒家を提供するとは、スケールが違うね」
「足を向けて、眠れないな」
俺は、素直な感想を口にする。
「……」
北条は、出来の悪い冗談を叱責するような冷ややかな表情で、俺を眺めていた。
「?」
「……、ええと。
『一緒に寝ているから、それはない』と、この前否定していなかったかな?」
北条は声を潜めながら説明し、
「な、なに!」
反対に、俺の声は大きくなった。
「静かに」
北条は人差し指を口にあて、俺を落ち着かせようとした。
「さわぐと、千代水家の、……12位のお嬢さんから、嫌がらせをうけるぞ」
北条は、今度は視線を教室の窓側前から2列目の席に座っている、女子生徒に視線を移した。
そこには、鮮やかなブロンドの髪を緩やかなウエーブをかけて肩のあたりまでなびかせている少女の後ろ姿が見えた。
もちろん、俺たちの位置からは、彼女の表情を確認することなどできない。
「千代水家?」
「おや、知らなかったのかい?」
北条は俺の言葉に首をかしげる。
「まあ君はいつも、あのお嬢さんと口論ばかりするから仕方がないか。
千代水家は、元々、宮大工の流れを汲むらしいが、自分が気に入った木材を入手するために、この周辺の森林を管理するようになったのが始まりだと聞いている。
その後、大正時代の頃には、いつしか森林王と呼ばれるまでにその規模を拡張していった。
千代水家は、その資金を元手に、この町の土地を買い上げては造成し、そこに自分が育てた木材で家を造っていったそうだ。
それこそ、『棒野区の土地で、千代水の手が入ってない土地などない』と言われているくらいにね」
北条は、よどみなく説明する。
説明が上手なら、教師に向いているかもしれないと、俺は勝手に考えた。
「それにしても、千代水本家のお嬢様と、正面切って喧嘩したのは君ぐらいだね」
「けんか?」
「おやおや。
本当に君は、大物だねぇ。
あれだけのやりとりをけんかとは思わないとは」
北条は、俺の言葉に不信感を持ったようだ。
「……」
「君は、あのお嬢様に、『君が両親や家族、そしてご先祖を誇ることを否定する気はない。
だが、それ以上に重要なのは、自分が何を成すのかだ。それをせずに、仲良しごっこをするのならどうぞご自由に』などと、のたまったそうだね」
「……」
俺は、自分がなぜそのような発言をしているのか理解できずにいると、
「あら、騒がしいと思えば、17位と……47位でしたか。
あなたたちには、困ったものです。
無駄話をする暇があるのなら、少しは勉強したらどうかしら?
無駄かもしれないけどね」
皮肉を込めた口調の女性の声が聞こえた。
俺が声の主に視線を移すと、ブロンドの髪の少女が現れた。
少女の髪の長さから、千代水だと確信する。
彼女の表情は、先ほどの皮肉の口調とは異なり、少し顔を赤くして緊張しているように見える。
それでも、整った顔立ちと、少し高めの鼻を見ると、ブルーのカラーコンタクトレンズを入れれば、外国からきた美少女と言われても驚かないだろう。
手の色を見るかぎり、おそらく、顔の赤みが抜ければ、透き通るような白い肌も見えるだろう。
彼女の後ろには、彼女のお友達なのか、背が高く、おとなしい感じの女子生徒がいた。
しかし、俺を見る目つきは、怪しい言動を繰り返すオジサンを蔑むような視線だった。
俺は、彼女に対して何をしたのだろうか?
そんなことを考えながら、
「ああ、そうかもしれないな」
と、てきとうに返事した。
「えっ、なんですって!」
彼女は、驚いた表情をみせた。
「努力すれば報われる。
そんなことを信じるほど、子供ではない。
残念なことにね」
俺は、ため息混じりに首を左右に振る。
「……、所詮あなたはその程度ということね。
失望したわ」
「そうかい。
だが、知らなかったよ。
失望させてしまうほど、君は俺のことを期待していたとはね」
俺は、そう言いながら、千代水の顔をのぞいた。
「えっ、何を言っているの?」
千代水は俺の期待どおり困惑していた。
「もともと、だめな奴と思っていれば、失望する事もないということだ。
いったい17位の俺に何を期待していたのかな?」
俺は皮肉を込めて質問に答えた。
「……あなたに期待することなんてありません。
本当にあなたは失礼な人ね!
せっかく、うちの高橋に勉強を教えさせるつもりだったのに!」
千代水は、白く落ち着いた顔色を再び赤く染め出した。
俺が、千代水をなだめようか考えていたところで、
「高橋って、執事の?」
北条が、千代水の言葉に食いついてきた。
「ええ、そうよ47位さん」
千代水は、きわめて平坦な声で北条に言葉を返す。
「あの高橋メソッドで有名な?」
北条は、好きだったゲームの続編を予約して喜んでいる中学生のような口調で説明を始めた。
「君が、一年生でありながら、硬式テニス部のエースであることと、勉強で12位であることが両立できる唯一の勉強法だね。
さいたま市を拠点にした大手進学塾の講師で、『赤紫の高橋』と呼ばれた理数系のカリスマだったはず。
彼が考案した『高橋メソッド』と呼ばれる、独自の理論を駆使して数式を生徒の体になじませる方式は、多くの医師の卵たちを有名私立医大に送り込ませることに成功したと聞いている。
そんな講師を個人的な家庭教師として雇うために、本来であれば、小さな塾を買収するほどの年俸を支払ったと聞いていたのだが、……」
北条は、一度話を切って、俺と千代水に視線を移す。
心なしか、北条の眼鏡も太陽の反射により輝いて見える。
「その高橋に、17位の勉強を見させるというのは、どれだけ17位を優遇しようとしているのかな?」
「……」
俺は、北条の言葉にあっけにとられていた。
「じょ、冗談に決まっているでしょう!
まったく、17位といい47位といい、私の冗談が理解できないのね。
ほんと、失礼するわ」
千代水は、捨て台詞か、去り際の挨拶か、よくわからない言葉を残すと教室から去っていった。
千代水の後ろにいた女子生徒も、俺に対して呪いをかけるような表情を見せてから千代水の後をついていった。
賑やかだった教室に、つかの間の静寂が訪れた。
「それにしても、この呼び名はテストのたびに変わるから呼びづらいな」
俺は、北条に自分の考えを漏らす。
テストのたびに、呼び名が代わるのは覚えるのに時間がかかってしまう。
そして呼び慣れたころには、次のテスト結果が発表されるだろう。
「そうだな」
北条も同意した。
「そのことについて、話がある。
しばらく時間をもらえるかな?」
俺たちの目の前に、一人の女子生徒が現れた。
目の前の女子生徒は、黒とブラウンとの中間のような色をした髪をカールさせ、少し大きめの胸元を隠すように前に垂らしていた。
顔に視線を移すと、赤い大きめの眼鏡がひときわ目を引く。
眼鏡によって、顔全体がかわいらしい印象を与えているように見えるが、口元で少し失敗している。
女子生徒の口は、あたかも自分が一番であるかのように、不敵な笑みを浮かべていた。
「美筆の淑女か」
「できれば、6位と呼んで欲しいのだが」
女生徒の口が少しだけ歪む。
「ああ、すまない」
北条は、女子生徒から北条に向けられた冷たい視線に気づくと、素直に謝った。
「美筆の淑女?」
俺は名簿で6位の名前を、真田美由だと確認しながら、北条に質問する。
「ああ、17位は知らないのか?
6位の彼女は、学業よりも書道の成績のほうで有名だったのだが。
小学校の入学前から、祖母に手ほどきを受けて、めきめき頭角を現したと聞いている。
それこそ、出展すれば入賞確実な程に」
「それで、ついたあだ名が……」
「ここでは、『二つ名』と言って欲しい」
俺の発言に、北条が突っ込みを入れる。
「私は、それを『二つ名』と認識していないのだが。
二つ名は、勉強法、得意な教科あるいは、テストの回答方法により決まるものだ。
だが、その名前はいずれにもあてはまらないと考えている」
真田の言葉に、北条はうなづく。
「なるほどね。
……6位の考えはよくわかった。
でも、少し考えて欲しい。
6位の能力は、国語の成績にも反映するし、私のように読みづらいことで減点をされることもない」
「なるほどな。
確かに一考に値する説明だ。
だが、私が今求めているのは、これから私の話を聞いてくれるかどうかという質問に対する答えなのだが?」
真田は、俺に視線を向ける。
「どうするつもりだ、17位?」
北条は、真剣な表情で俺を見つめる。
だが、一度後ろの席の方に視線を移してから、俺は断言する。
「すまないが明日以降にしてくれないか。
俺は、今日用事があるから」
「どうして?」
真田は不思議そうな表情をしていた。
「……」
俺は、理由を口にしなかった。
だが、提案を断る明確な理由が存在する。
前回の反省を踏まえなければ、成長していないことになる。
俺は、一人の女子生徒に視線を移した。
「佐伯さん、一緒に帰りましょうか」
「……喜んで」
八里家のお嬢さんは、明るい表情を俺に見せてくれた。
よかった。
これで、自分が帰るべき家の場所を教えてもらうことができる。