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葛餅の香り  作者: 岸上ゲソ
4/13

さん葛

「あ、ここからちょっと歩きますよ」

 バス停に降り立ち、私は素っ裸になった寒々しい賑わいを誇る木々に見下ろされた"道"を指さして言った。マフィアはハイと返事をしながら興味深そうに"道"を眺めている。

 何故奴がこんなに興味津々に足下を見ているのか、それは簡単な事だ。ものめずらしいのである。私が足下を興味深く眺める場合は金銭が落ちていそうな気配を察知した時に限られるが、奴は違う。奴は何と言っても金持ちなのである。臓器売買なのである。ミンチなのである。いやミンチは私の役割だ。

 今私たちが踏みしめているのは、長きに渡り人の足によって踏み馴らされて出来た自然のままの道だ。恐らく、この首領の目に(省略)箱入り息子のマフィアは、走っても靴が泥だらけになったり時にウンコ踏んだりするようなむしろウンコの割合の方が多いようなそんな道、見たことも通ったこともないのだろう。気をつけないとこの道、ウンコが多いから踏んだら大変だ。マフィアが踏んだら私の寿命は瞬時に縮まるだろうし、指を指して全力で爆笑してしまう自信が全身に漲っている。こんなに自信を持ったのは小学生の時国語の授業で書かされた絵本「ゴンぎつね」のその後エピソード作文以来ではなかろうか。

 そうあれは小学生の頃…。あまり良い思い出ではないが、その作文、一人一人前にでて己の肉声でクラス全員に語って聞かせるという羞恥プレイが漏れなく付いてくる代物で、私が己の作った自信作を拳握って滔々と語って聞かせたところ、クラス全員がどうしてか大爆笑の渦に見舞われた曰わく付きの作品である。しかもそれで羞恥プレイは終わった訳ではなく、更にその後クラスメイト全員が読み終わると突如「斉藤のゴンぎつねアンコール!」と予想外に拍手まで寄越され再び壇上に上がらねばならない羽目になった。加えて授業が終わったあとも暫くゴンの余韻は抜けなかったらしく、「是非ギャグ作家を目指せ」と某星のちゃぶ台返しの達人ばりの濃さで言われてしまった。断ったらちゃぶ台を持ってきてひっくり返して帰って行くに違いなかった。だから小心者の私は実はこれ本人至って真面目に書いたつもりの作品であるとは遂に声に出すことが出来ず、更に加えて言えばストーリーの盛り上がりを重視し感動要素ふんだんに取り入れたつもりで入れたエピソードこそが「特に腹がよじれた」と後日友人に語られ涙した記憶は未だ根強く残っている。頭がおかしいと言われたような物だ。

 そうだ、考えてみればここで私の自信のなさは形成されたに違いない。恨むべきはゴンぎつねだ。しかしどうして私はゴンに「腐肉の臭いがたまらないから」とラフレシア探索へアマゾンの奥地に旅立たせてしまったのか不思議だ。恨むべきはゴンでも質すべきは小学生の私かもしれない。いやきつねはどうでもいい。

 私は脳内に繰り広げられる腐肉の光景を思考より追い出しながら、マフィアに大丈夫かと聞いた。道はなだらかで決して辛くも何ともないが、問題はそのマフィアの履いている靴だ。

「この地区の道は全て補正されて無いんですよ。ですから少し汚れるかも――いえ、決して市長がケチっているわけでも補正が出来ぬほど貧乏しているわけでも観光者への嫌がらせ目的でもありません。外観のためです。外観のためだけなのです」

 決して金持ちへの嫌がらせではないと誤解されないように懸命に弁護したが、マフィアはもとから気にしていなかったようだ。金持ちは心が広い。

「えぇ、大丈夫ですよ。自然が溢れていてとてもいいですね。」

 そう言って、惜しげもなく上品な光を纏う皮靴で土の上を歩き始め、乾燥した土の砂埃がその表面を白く汚してしまった。私は胸の内に唇を噛み締めるほどの悲しみと切なさと覚えた。

 私のようなスーパーのワゴンセールで二足1000円の安物靴ならどうということは無いが、どうみてもマフィアの履いている靴は職人が心を込めて手作りした匠の気配がする一点物、貧乏人が口にするのもおこがましい、所謂オーダーメイドだ。斉藤家にそんな靴があれば神棚に置かれてご神体として崇め奉られ、最終的に父によりインターネットオークションに出されるだろう。だからこそ、今砂埃が汚したことが私は残念でならなかった。何て事をしてくれるのか、価値が下がってしまった。いやもらえるわけではないのだが。

 因みに、今は冬だから視覚的に可哀想なハゲ木だけにとどまっているが、等間隔に植えられたこの木は桜の木である。春こそ薄紅色の桜吹雪にワァオと両手をあげて気持ちよく団子買いに突っ走れるが、これが夏だと毛虫は降るわ鳥はウンコ落とすわ、阿鼻叫喚しながら夏の甘味菓子求めて疾走しなければならない。しかも道ばたには犬とイノシシのウンコが数多く生息している。上下の注意などとても不可能、真夏にその道を抜けた後の姿というのは、涙無しに語り尽くせる格好ではない。

 つまり、私の言う「大丈夫か?」は、ここに込められた私の意図は、金持ちぼっちゃんマフィアに果たして延々と続くこの歩きにくい獣道の如き道が通れるか、その高そうな革靴にうんこを付けることにそしてたまに故意につけられることに依存はないか、道に迷って街灯一つたたない真夜中の畦道をたまに田んぼへ足を滑らせながら涙と鼻水を垂らして泥まみれで帰った二十歳の女が隣にいることを知っているか、その三点だ。最後は知らなくて良いかもしれないし、むしろ知っていてほしくない事実だ。

「ここをまっすぐでいいのでしょうか」

 ふと突然隣にマフィアの声を聞き、驚いて横を見れば景色が後ろへ流れている。いつの間にか勝手に足は動き、まっすぐざしざしと食い物商店街へ向かって早急に歩行運動をしていた。恐るべしは己の習性かと思わず感心する。

 私はとりあえず脳内に美味い物マップを広げ、マフィアの言葉を肯定しながら説明をした。

「はい、ここからまっすぐ行って、えぇーっと…チーズケーキ屋を饅頭屋の方へ曲って団子屋の隣の道を芋パイ屋まで進んだ処に確か葛餅屋はあるんですけどね」

 全部食い物屋で説明してしまった。他にも目印はあるはずだが、私が覚えているのはそれしかないということだ。沢山あるんですねと感心するマフィアに薄笑いを寄越しながら、私は己の中にある何かに敗北した気分になっていた。それは恐らく、もはや形すら見えなくなった「乙女」という心に違いなかった。私の中の乙女は私がパソコンに集めたモザイク画像に「このボカシいらねーよなぁ」と笑い飛ばしたあの瞬間あたりに荷物纏めてでていってしまったのだと思う。何て短気な乙女だろうか。乙女の風上にも置けない。今度見つけたら雑巾みたいに絞ってコンコンと説教してやらねば―――しかし永遠に見つかりそうにないのは何故なのか。

「あぁ、あったあった。ココですよ」

「あ、ここがクズモチ屋!ありがとうございます!」

 言葉だけ聞くととってもいい感じの「乙女探し思考」を中断し、私は漸く辿り着いた葛餅屋を指さした。マフィアはさすが外人といったオーバーアクション風に喜びを示し、なにがしかのジェスチャーをしていたが私はやっと生還できると胸をなで下ろしていた。案内は終わったのだ。私のミッション、それは葛餅屋への案内!つまり!

「さて、それじゃあ楽しんで来てくださいね!」

 ゴーホームファッキンミーだ!

 偉そうに英語を多用してみたものの、多分著しく表現を間違っていると思うので日本語で宣言し直すが、つまり私は帰る。帰るのだ!

 私はすちゃ、と半分口で言いながら手を挙げると、マフィアが目に見えて動揺した。視線の先はサングラスでちっとも解りゃしないが、とりあえず「えぇッ!?」と言った感じに上がった眉やら開いた口やらが動揺と驚愕を示している。そしてそれを見た私はすこぶる焦った。

 まさか追っ手が!亡命がばれたのか!

 それは大変だと拳を握り、まずい、私は今すぐに君をおいて逃げると言いかけたところでマフィアが困ったように言葉を紡いだ。

「クズモチ、一緒に食べてはいただけないのですか?」

「いや私は死にたくな―――は?」

 迷うことなく己の命を最優先させた私の見事な判断力が、見事なまでに真っ白思考に浸食された。鼻水を垂らさないのが奇跡なくらいの呆然ぶりをその面に浮かべ、目をしぱしぱと瞬いた。

 一瞬私も道連れにする気かと思ったが、そこまで根性悪そうには見えない。何故また一緒になど、と疑問を口に乗せようとすると、マフィアの困惑に満ちた穏やかな声がそれを遮った。

「私はまだ、あなたにお礼をしていません。日本では受けた恩には必ず礼を返すという仕来りがあるのでしょう。私にもそれをさせて頂けませんか」

 お礼?

 マフィアの言葉に私の目は点になった。

 受けた恩に礼というと、アレだろうか。少々素行の宜しくない学生の皆様方が卒業と同時に行う集団による愛の拳乱舞行為―――その名も「お礼参り」!

 殴られるのか。

 私は焦り、待てそれは恩を仇で返すというのだマフィアよと一瞬目を剥いたが、珍しくすぐにその解釈はおかしいと気づいてそのままの言葉として「礼」に変換した。そしてその意味を理解した次の瞬間、慌てて私は必死の形相で「馬鹿な!」と首を振り回した。それは嘗て無いスピードの首振り回しを実現させ、凄まじい風圧を受けた頭が目眩を起こしてふらついた。振りすぎだ。今絶対血が末端に寄せられた。もう少し早かったら絶対に音速を超えていたに違いない。そして超えていたら首はちぎれ飛んで赤い何かを撒き散らしながら簡易タケコプター仕様になり大空高く飛び続け一つの惑星になったかもしれない。もはや自らミンチにしてくれと言わんばかりの所業だ。将来の夢はハンバーグになることです等いくら馬鹿でも言いはしない。誰が好き好んで食われる立場に夢見るものか。

 いやそうじゃなくて。今マフィアは私に「礼」をするとか言ったのか。「お礼」と。

「お―――お、お礼なんて!そんな大したことしてませんて!」

 前方に張り手を突き出し日本の国技・相撲の格好を間違いなく誤ったへっぴり腰で構えれば、マフィアは「ほら、それなんですよ」と笑った。それとはこの構えか。この構えを笑っているのかマフィア。

 やはり20歳の女ががに股張り手でじりじり後退する様というのは宜しくなかったのだ。先日このポーズを自宅で取ったら弟が盛んに『それいい!かっこいい!是非外でもやってみ!!』と大喜びしていたというのにあの野郎、違う意味で喜んでいたのか。

 私は拳を握り締め、帰ったら蜜柑の皮で目潰しかけてやろうと誓った。実は先日隣の久保山さんから山の様に蜜柑を頂いたのだがあまりに量が多く、箱の下の方がどうも緑色の素敵なデコレーション合戦を繰り広げているようなのだ。あのあたりを投げつけてやってもいいかもしれない、とかまた傍目には多分困惑顔のまま思考をどこぞへ飛ばしていると、マフィアが苦笑して口を開いた。思考読まれたのだろうか。

「そうやって、困っていた人間を放っておかず、しかも"当然の事をしたまでだ"と、何の見返りも要求しない。――そんな風に寛大に構えられる女性を、私は知らない」

 静かな微笑を口元に湛え、そう言ったマフィアに私はへっぴり腰の動きを止めた。

 何の見返りも要求しないという評価は何かの聞き間違いではないかと思う。なぜなら出会ったその瞬間から私は我が命の奇跡の生還を要求しているではないか。食卓に並べた挙げ句不味いと捨てないでくれと言っているではないか。捨てたゴミ袋はちゃんと分別して出してくれと言っているではないか。

 私は混乱し、いや、とか、うぅとか言葉になってない声を腑から絞り落とした。妖怪の鳴き声のようだと思った。これは一体どういう事態が我が身に起きているというのか。私は混乱していた。あぁ、今私はとても神様という存在に助けを求めたい。神よ!助けたもう!髪よ!生えてたもう!

 いや私はハゲてない。断じてハゲてない。


「…それに」

 スキンヘッドになった自分を想像して恐怖していると、マフィアがバツ悪そうに口を開いた。

「勿論その理由もあるのですが―――ここ、一人では少々入りにくくて」

 お礼は建前と思ってくださって結構です、と小さい声で言うマフィアに、私は目をぱちくりと瞬かせて店のガラス窓を見た。

 この店は昔ながらの雰囲気を守るために、敢えて古い造りの建築様式をとっている。古い木材を使用し格子の形になった枠に透明のガラスをはめ込んだ窓は、所謂座敷によくある障子の和紙をガラスに変えたような窓だ。その為外から店内の様子は丸解りだったが、そこへ視線をやった瞬間、マフィアの苦悩が腑に落ちた。

 なァるほど。

 私は眉間に解らない程度のしわを浮かべ、口の端をこれまた解らない程度に歪ませた。ちょっと殺気がにじみ出ていたかもしれない。なぜなら実際、みんな帰りがけに不幸になれ思っていたからだ。

 格子窓ごしに見えた店内の光景は、何処を見てもアベックアベ――古い。カップルカップルカップル。カップル帝国に支配されていた。奴らはそこに都市を築き、生息していたのだ。納める税金は僕らの有り余る愛でとかほざくつもりに違いない。貴様らの愛など一銭の価値も無いわ、もう何でも良いからみんな帰りがけ泣く様な目に遭えばいいと私は心から願った。

 そうして私はがくりと力つきたように視線を落とすと、「確かに」と低く呻いた。

「これは一人じゃ入れませんね…」

「…えぇ…」

 マフィアの口調にもどこか疲労が滲み出ていた。その姿に初めて親近感らしきものを覚え、ふとそうかと思い出した。マフィアは自由恋愛とやらが許されていない身分なのだ。こんな辺り構わず好き者同士でイチャコラされたら殺気も沸こうというもの。だのにそれをこのマフィアは我慢しているのだ。何てえらい人なのだ。

 私は勝手な解釈の下彼の心境を察し、誤解をしていたようだと悟った笑みを浮かべた。

「分かりました。それじゃ済みませんがご一緒させてもらいます」

「あぁ、よかった。ありがとうございます。では、行きましょうか――どうぞ」

 扉を開け、テレビアニメにでてくる紳士のように横にどいて微笑んだマフィアに、なぜ入らないのだろうかと疑問を覚えた。疑問符を浮かべて彼を見上げると、当然の様に微笑んでこちらを見下ろしている。閃いた。

 これはきっとマフィアの国の仕来りなのだ。扉に入る前に横に並び、何かをするのだ。異文化とは得てして理解できないものである。私は寛大な心を示そうと理解に務め、とりあえず一緒にその横に並んでみた。そして、さぁここから何をするのかと彼を見上げれば、ものすごくきょとんとしている。

 ものすごくきょとんとした顔をするのだろうか。何て妙な仕来りだ。一瞬そう思ったが、マフィアが「入らないんですか」という躊躇いがちにかけてきた声に、行動の正体に思い至った。何が異文化だ、何がしきたりだ。

 あれだ、レディ・ファーストだ。

 時がちょうど欧米にかぶれた明治あたりならばいざ知らず、今の日本でこのような風習などトンと見ない。私の友達は揃いも揃って「恋愛!?ハン、屁がでるぜ!」といった思考回路の持ち主のしかも全員女だが、こういう時は決まって皆「トレンディファーストな、つまり私が先で」「待てあんたのどこがトレンディだ認めんぞどけクソめ」などと言い合いになり、結局無理矢理同時に通ろうとする。ふざけが入っているにせよ、譲り合う気は微塵も無い。そしてトレンディとはほど遠い。トレンディという言葉を今すぐに辞書で引いてこいとお互いに言いたくても解っているから言わない間柄だ。阿吽の呼吸だと勝手に思っている。

 私はマフィアの申し出にへこへこ頭を下げながら店内に身を滑り込ませて、どこぞの迎えの兵士宜しくうっかり一緒に横一列に並んでしまった自分のアホさに目が滲みた。理解できなくて当然だ。扉開けて入る前に横一列に並ぶなど、一体何の意味があるというのだ。理解する前でよかったと心底思った。

「そうですね…あちらで構いませんか?――といっても、あちらしか空いていませんが…」

「え、えぇっハイもうどこでもっ」

 言いながら、私は自分の勘違いへの惨めさで、周囲に灼熱の赤い愛の炎を飛ばすカップル連中に心の底で呪詛の言葉をまき散らしていた。人を心で目一杯貶している瞬間が一番心落ち着くときだ。そしてその後目一杯自己嫌悪に陥り死にたくなるのだ。一連の動作である。

 まぁでも、後から気づいたのだが、この時の私の構図というのは男と女の二人連れ。恋人同士と見えなくもないのではないだろうか。

 その構図の詳細な様子を言葉にするならば、

 モデルばりのやたら格好いいプラチナブロンドサングラス金持ち風外人男と、ぱっとしない貧乏くさいしかもやたらめったら人様にめんちきっている女。



 どういう関係なのだろうと疑問しか起こさなかっただろうなと思った。






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