に葛
空は嫌味な位に晴天である。
私はマフィアと連れ立ってバス停に出向き、やってきたバスに乗り込んだ。乗った瞬間私は「出来れば一緒に座りたくない」と思い、そして出来れば一番前と一番後ろで絶対に姿が確認できない位置に座りたいと思い、更に適うなら違うバスに乗りたいと思った。いや、ちゃんと案内はするつもりで居る。頭では。
しかしこのマフィアはさすがと言うか当然の様に私の横へ腰を下ろし、にこやかな笑みを浮かべてまぁペラペラペラペラと良く口の動く生き物だよと半分聞き流しながら感心した。そしてマフィアと話すとき、ミンチへの恐怖からあからさまに視線を逸らすような無礼も出来ず、しかし視線は合わせるのも恐ろしく、一体何処を見て話して良いのか分からなかった。しかし人間「目は口ほどにものを言う」と言うように、目が見えないと相手の感情はこちらに伝わらず、人間と話している気にならない事に気づいた。そう、今直ぐ横に座るマフィアは私にとって宇宙人も同じだった。マフィアより宇宙人の方が数倍マシだ。サングラスをつけた外人マフィアは怖いだけかと思っていたが、こんな所にこんな利便性が。大変な大発見である。どこかの学会で発表したら金一封とか貰えたりしないのだろうか、その貰ったお金で焼肉の食い放題に行けるだろうか、行ったとしたらどこまで良いコースを選択できるだろうか、余ったお金は貯金できるだろうかとマフィアの話を全て聞き流しながらそんな事を思っていた。これを世間一般では現実逃避といいます。
「――で、日本の方からクズモチをお土産に頂きまして。それを探しに日本まで来ましてね」
ふと貯金した金額の金利の計算が解らず、思考が止まった所にそんな言葉が流れてきた。聞き間違いだろうか。今、私の耳には"葛餅食いたさに日本に来た"と聞こえたような気がする。
「ちょ、ちょっと待ってください。まさかあなたの目的は――く、葛餅ですか…?」
サスペンスドラマの序盤で弱みを握られた犯人のセリフのような言い方になったが、引き攣った笑みを浮かべてそう言えば、「それは勿論違いますが」とマフィアが笑った。少しほっとする。いくら首領の目に入れても痛くない今は亡き愛する先妻との一粒種であり後妻ともそつなく良い関係を築いている麗しの愛息子(推測)でも、食い物目当てに日本に来るなどそこまで身勝手な行動は許されなかったらしい。
じゃあやっぱり亡命目的で…。
だんだんと詳細なマフィアの素性が決定されながら、私はそのリアルさに身震いした。自分の冴え渡ったカンが恐ろしい。
「元々は用事があって日本に来たんですよ。それでトウキョウに居たんですが」
「え、葛餅なら東京にもあるじゃないですか」
マジかよ残念だったな飛行機代、と言いかけて奴が金持ちオーラを出している事に気づき、同情などすまいと拳を握り締めた。こんな奴は航空会社にばしばし小金を落としてやればいいのだ。そうしたら世界が潤い、最終的には我が就職口も見つかりこの寂しい懐もぽかぽかになる。そしてぽかぽかの懐を抱えた私はお祝いにやはり焼肉に出向き、そこで小金を落として焼肉屋がぽかぽか。ほらしっかりお金は還元される。地球に優しい存在、それこそがこの私だ。先日吹いた屁に「その悪臭は公害だ」といわれたあれは夢だったのだきっと。
それにしてもだ。
葛餅が東京にあることを誰も教えてやら無かったのか。マフィアの取り巻きは揃いも揃って調査能力に問題があるのではないだろうか。そこ等辺は可哀想になと私は自分の無能を棚に上げて同情した。
「いえ、知ってはいたのですが。こちらが本場だと伺っていましたし、ちょっと別件の私用もこちらにあったので」
にこりと笑った顔を見て、私は今の同情が全くの無駄であった事を知った。
私は拳をぶるぶると握り締めながら「そうスか」と薄笑を浮かべた。ちょっと卑屈な気分になりながら目の前のマフィアの袖口を見ると、ものごっつい高そうな腕時計が覗いたのを発見した。
私は己の腕に巻かれた腕時計を見た。100円均一で購入したまがい物の某ネズミキャラクターが歪んだ笑みを浮かべていた。…いいんだ、時間さえ見れるなら、いいんだ!
「今から向かう場所は、モミジも美しいと聞いています。そうなのですか?」
食い物の為だけかと思ったら、場所自体にも興味があったのか。なかなか風情持っているじゃないかと感心しながらその通りだと頷いてやった。
「ですけどもう散ってますよ。紅葉は秋ですから」
外の裸になった木の枝を指差しながら言えば、マフィアは残念そうな声で「季節が違ったんですね」と首を振った。さっきから卑屈にさせられてばかりの私はそれに気を良くし、ここぞとばかりに一見の価値は大変にある代物だと自慢して奴を煽ってやった。大変に根性が悪い。
「そんなに素晴らしいのですか……それ、どこにありますか?」
「上の方へ行けばいくらでもあります。でもアベックが多いですよ」
言った後、しまったアベックは古いと思い「いえアップルが」と言いなおして、それが言い直しきれてない事に気付いた。林檎が多いから何だと言うんだ。何の忠告なんだ。
馬鹿扱いされたらたまらないと慌てた私は、「十月頃に意中の女子でも連れて行けば喜びますよ」と多分間違いなく余計な事を口走って更に目の前が真っ暗になった。いけないミンチにされる。
マフィアを見れば奴の口元から笑みが失せていた。無表情になっている。目がサングラスで覆われているため余計怖い。もう駄目だ、私は明日食卓に並ぶ。
さようなら斉藤一族のみんな、友人、犬、我が趣味の本たち。あぁパソコンに溜め込んだアレ見つかりませんように、見られでもしたら死して尚死んでも死に切れない、せめてあのモザイク専用フォルダにパスワードかけておけばよかっ
「…恋人、作れないんです」
白目を向いて魂が半分抜けかけていたら、マフィアが小さく微笑んで呟いた。その様子にえ、もしや生き延びた?と目が黒目を取り戻した。
どうも助かったらしく、奴は穏やかに笑っている。私は胸をなでおろして無事帰ったらあのフォルダはパス設定しておこうと思った。何のフォルダなのかは誰にもいえないし言うつもりも無い。
「作れない、というと」
モテないんですかとは冗談でも言えなかった。もし頷かれでもしたらミンチの恐怖を凌駕してこの右の拳が唸るかもしれない。モテない説は万一目がデメキンだとすればありえるかもしれないが、サングラスの位置からして目が飛び出している様子は無い。縦に伸びている様子も無い。
では何が原因だと横目を向けると、どこか割り切れないような表情をしていた。まさか、と思った。
――さては!金持ちにありがちな“親の決めた婚約者”パターン…!?
「まぁ、ちょっと…家でいろいろと決まりごとがありましてね」
諦めきった笑みを口元に上らせ、そんな事をマフィアは言った。もしかして今のカンビンゴだったのだろうか。凄い、私のカン鋭過ぎる。今度ドリームジャンボ買ってみよう、三億円も夢じゃないかもしれない。
「自由にできる人が羨ましい」
思わずと言った態で、マフィアがそんな言葉を零した。瞬間、我が額は血管を浮かせ、何だとこの野郎と心の私は奴の胸倉を掴んでいた。勿論実際は薄笑いを浮かべていた。
今のマフィアの言葉、私には「いいよね下々のものは気楽でさ」と聞こえた。こいつ貧乏人馬鹿にしやがってと勝手に僻み根性が歯軋りする。ちくしょうちくしょう、自由があっても金が無ければ何もできないんだこの野郎、お前金の心配したことないんだろう、腹が空いて駄菓子屋に寄ってみたらサイフに三円しか入ってなくてうまか棒すら買えず涙を呑んだことなど無いんだろう!金があるんだから簡単に諦めるな!あるならやれ!財力フル活用して札束で人殴れ!私を殴れ!そしてそれくれ!うまか棒もくれ!
きぃ、と両手に拳を握り締め、思考が大分逸れている事に気付かず私は「違います」と言った。
「出来ないのではない、してないんですよ。よろしいですか、それは使ってこそのものです、無駄にすべきではありません」
金は。
「え」
真剣にそういうと、マフィアがパカと口を開けて驚愕を示した。貧乏人から金の運用に口を出されたのがあまりに意外だったのかもしれない。しかしこれだけは言いたい、これでも私は一円単位の入出金にも目を光らせる人間だ。ドケチなんじゃ無い、きっちりしているのだ。
と、そこまで考えて私の頭に「斉藤ミンチハンバーグ椋香和え」という名称が浮かんだ。
「―――はっ!な、なんでもないです今のは私の失言でした!ごめんなさ」
「Thanks you!」
「ぎゃああす!」
突如手をガシリと掴まれ、痛く感激した様子のマフィアにブンブンと振り回された。怪獣のような叫び声を上げた私を余所に、マフィアは「Thanks you、ありがとう!」と繰り返している。その手は加減しているらしく、掴まれた手はまったく痛くない。痛くは無いが――
『間もなく停留所に到着いたしまーす~。お降りの方はァお知らせ下さーい~』
言うまでもなくここはバス車内。
そんなことやられたら目立ってしょうがない。
「お、おりまするー!ああちょっと、マフィ、じゃない、外人さん!ここで降りますよ!」
「え、あ・・・失礼を致しました!ここですね」
バスを何とか降りながら、私は薄笑いを浮かべて額の汗をぬぐっていた。
あぶねぇ、もう少しでマフィアと呼ぶところだった。もし正体がこの私にバレていると解ったら、やつは私を生きて返しはすまい。私はあのフォルダにパス設定するまでは死ねない。
そうして私は「ここは空気が綺麗ですね」と喜ぶマフィアの横で、いつ奴の下からとんずらしようかと考えていた。私はマフィアのお家事情などより自分のパソコンの中身の方が心配なのだ。