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座ったまま、奏羽が杖で地を突いた。それを遮るように、打帆が伸ばした手の先で涼しげな音が鳴る。
「うっちゃん、邪魔せんといて。なんや分からんけど、こういう時は先手必勝やろ」
「奏羽教えてー? 焚き火の周り、何がいる? どんな形?」
奏羽が口篭もった矢先に、漂っていた靄は跡形もなく消えた。打帆が顔を向けても、呆然として気付かない。
「消えてしもた…… <ゴースト>? 黄色く光っとったけど<ワイト>なら実体ある筈やし」
「こんなところに<アンデッド>は出ないし、いきなり消えないー」
小さく頷く途中で、奏羽は動きを止めた。林の奥を向いたまま、視線だけを打帆に向ける。
「うっちゃん、何で分かったん? 眼鏡無いままやし、焚き火の向こう、ホクトの顔もよう見えへんかったんよね?」
「んー さっきは居なかったと思うけどー」
軽く目を閉じたままの打帆は、顔の前に指を二本立てて、その場で体の向きをゆっくり変える。奏羽が腰を浮かせても見向きもせず、三鈷を握った側の指を一本伸ばして、それから一点を指した。
「同じかどうかわからんけど、こっちの先ー あ、何か分かれたー」
示す先、藪と木立の境目には、両手に乗るほどの上下に長い楕円が浮いていた。
波打つように膨らんだ先端がめくれると、歪めた唇を思わせる桃色の隙間が覗く。こぼれた琥珀色の液体は、糸を引いて滴りながら明るさを増し、そして黄色い靄となって宙に溶ける。
「【蕾持ち】の<人喰い草>や…… ってことは、あれ【睡眠】のスキル効果やったん?」
奏羽は杖を持った手で外套を跳ね上げ、腰から逆の手を引き抜いたところで動きを止めた。
指先には【気付け】と赤い字で書かれた細長い小瓶が挟まっていたが、その先端を打帆が人差し指で押さえている。
押さえた方と押さえられた方、どちらの顔にも驚きが貼り付いていた。すぐに奏羽は表情を引き締める。
「何しとるん? ホクトなんとかせな、危ないよね」
「や、薬がもったいないし、起こしたホクトが飛び出すのも危ないかなー 試したいことあったけど、それは後回しでも良いみたいー」
互いに釈然としない様子であったが、打帆が指を放して両手で促すと、奏羽もそれ以上は躊躇しなかった。
『灯り渦巻く、三人の乙女。<火乙女の演舞>』
速やかに集め編み込まれた魔力が、詠唱に応じて現象に転じる。
杖が三角形を宙になぞると、それぞれの頂点に赤い蝶が浮かび上がった。
ゆるりと尾を引いて渦を巻いたのは、だが束の間。
真っ赤な炎は次第に小さくなって密度を増し、速やかに三つの白く輝く光点となる。瞬間爆ぜると、それは三本の光の線となって空を穿った。
光が消えた後、<人喰い草>には黒焦げた穴が三つ出来ていた。そこから呆気なく炎が噴き出すと、すぐに燃え尽き、灰も残さず崩れて消えてしまった。
「飛んでくるものなら、着弾狙って払えそうー? 奏羽、もう何発か、ちょっと<召喚>してみてー」
「こっちも色々聞きたいんやけど。でもまず、ホクト何とかせえへんとな?」
それもそうかと、打帆は焚き火を回り込んでホクトを抱え上げる。
奏羽が林に向けて踏み出すのに気付くと、打帆が不思議そうに声を掛ける。
「大丈夫ー この辺にはモンスターいないし、近くに来たら分かるようになってるー」
「その辺ゆっくり聞くためにもな、ちょっと念入りに調べてくるわ」
「それ、全然信じてないー」
頬を膨らませる打帆に、奏羽は笑って杖を振ってみせた。無詠唱で放たれた魔力は、一匹の炎の蝶となって打帆の頭上を回り始めた。
「うちの気が済まな、落ち着いて話も出来へんしな。お守り残しとくから、ちょお待っとって」
「……そこまで言うなら仕方ないー」
膝にホクトを乗せたまま、打帆は渋々奏羽を見送ると。だが思い付いたように三鈷を掲げて、目で蝶の動きを追い始めた。