五月のお使い
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区切られた敷地は小さく、薄汚れた壁と壁の隙間は狭い。だが急に背が低くなる廃墟の空は広く大きく、瓦礫が散らばる道も明るく暖かった。
意外に人は流れていた。連れ立つものは少なく、誰もが急ぎ足で会話もない。それでも張りつめた雰囲気とは無縁で、気軽な身振りや挨拶が、笑みと共に交わされていた。
『奏羽さー 顔こわいよー?』
『うっちゃん。見えてないのんに、適当なこと言わんといて』
人波が途切れた先は、廃墟の土台が残るだけの空き地になっていた。わずか残った舗装は剥き出しの土と共に踏み固められていて、ほとんど路地に繋がる道に紛れている。
『それくらい、周りの雰囲気で分かりますー あ、ちなみに「固い」って方じゃないからねー ちゃんと「おそろしい」の方』
『なあ。うっちゃんは悪目立ちしてる自覚、ないのん?』
広場は変わらず人が出入りしていたが、何かしら落ち着きが無かった。ほとんど誰もが自分の足先から目を離さない。
まれに広場に勢いよく踏み込んだものがいても、例外なく目を見張るか逸らしながら、そっと人波に戻ってしまう。
路地から振り返るものもいたが、大抵首筋を竦めて足を速めてしまっていた。
『そういや、紅はちょっと派手だったかなー でもそれ言ったら、奏羽の藍も無くない?』
『色よりな。こう、形とか長さとか…… まあ今更やな。ええから、うっちゃん。早うしたって』
途切れる人波の奥には、艶やかな色彩が見え隠れしていた。行き交う人々は質素で落ち着いた、もしくはくたびれた色合いの皮や布を身に着けている。
だが広場の中央、枯れた噴水の縁石には、真紅の繻子も鮮やかな|旗袍≪チャイナドレス≫に身を包んだ打帆が腰掛けていた。裾は長いが、袖はなくて切れ込みも腰元まで深い。だから胸元に掲げた両手も、足首を膝頭に乗せた右足も、その素肌の白さとなめらかさを、惜しげもなく辺りの通行人に見せつけている。
対して奏羽は、藍紫の外套を頭から被って噴水の裏側に背を預けていた。時折組んだ腕の上を白く細い指がしなって跳ねて、顔も見えないのに憮然とした雰囲気を振りまいていた。
『なあ奏羽ー ほんとに聞こえてない? ちょっとうるさいくらい、がらがら【鈴音】鳴らしてるんだけどー』
『手の三鈷、人が通る度に鳴っとるのは聞こえとるよ。……なあ、それ。うちに聞こえて、なんか意味あるん? こんな人がいる外でやる必要、あったん?』
空を見上げた奏羽の後頭部が、噴水に当たって鈍いが通る音を立てた。近くを歩いていた顔が幾つか上がったが、そのまま明後日の方向に逸らされた。
『当たり前ー パーティ組んだ相手に【鈴音】が届くんなら、奏羽だって安心出来るでしょー? 少し離れた場所でも届くか気になるし、上手くいったら【托鉢】しながら試したいしー』
『もう【托鉢】は禁止や言うてるやん! うちが食べ物渡せば済むし、丸一日音信不通とかあり得へん言うとるやろ』
打帆が徐々に口を尖らせるが、奏羽も大人しく黙ってはいない。
「だって。奏羽がくれるの、全部不味飯ー」
「うっちゃんの煮粥も見た目相当やん?!」
人の流れに合わせて揺れていた鈴が、打帆の手の中で一際大きく鳴った。
後ろを睨み上げていた打帆が振り返り、奏羽も釣られて前を向く。
「あの。お姉さんは椀を持ってないけど。いつもここにいるお爺さんのこと、知りませんか?」
そこにはいたのは、周りよりも幾分小柄な、そして打帆よりも随分幼い顔立ちの男の子だった。自分よりも大きな荷を背負っていて、足下が少しふらついている。
「爺さん?」
「【御坊】のことかなー えっと、スキル習得イベントの起点NPCで、大体ここで【托鉢】してるお爺さんー」
尋ねる奏羽に、打帆は事もなく答える。
「ここに来たのも、【御坊】に色々聞いてみたかったからー まあ、【鈴音】の音色も効果も簡単に変えられたし、会えなくても別に困ってない訳だけどー」
「やっぱり外でやる意味、全然無かったんやん……?」
外套越しに頭を押さえる奏羽をそのままに、打帆は組んだ足を戻して身を乗り出す。
「少年は、【御坊】に何の用だったー?」
「用ってほどの事じゃなくて。昨日も一昨日もいないって聞いて、どうしたのかなって。今日は遠出するし、明日の分のお布施もお渡ししておきなさいって言われてて」
そこまで言って口篭もる少年を、打帆は顎に指を当てたまま見つめている。
「あんな、うっちゃん。うちもそろそろ外に出て試しておきたいことあるし、けどその前に露店を回らなあかんやん? やること、いっぱいあるんよ?」
「遠出って、どこまで行くのー?」
「タートルウェルの新社です。仕入れと、それからお札を貰いに」
奏羽が諭す言葉には、すでに諦めがにじんでいた。戸惑う少年に対して、打帆は何もかも分かったように胸を張る。
「亀戸なら近いし、道中も茂みの蔓草に気を付ければ安全だし。それにお布施持ってきた相手を祝福無しに送り出すとか、【御坊】に合わせる顔がないー」
「うっちゃん、それ全部後付けやん? ……でも、そやな。木彫りの素材も有名やし、お参りしとくんもありやろし。なあ、えーと」
「ホクトと言いますです、けど?!」
ホクトに抱きつく打帆を引き剥がしつつ。奏羽は目を白黒させる少年に、お使いへの同行と、幾つかの約束を取り付けた。