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打帆は髪を拭いていた手を止めると、首にタオルを掛けたまましゃがみ込んだ。
松明を突っ込まれた七輪では、片手鍋が音を立てて煮えていた。
沸き立つ湯気は、軽く掛かる息にも揺らめく。
鍋から突き出た逆さの鐘を鼻先まで持ち上げ、それから小さく鼻を鳴らす。
たっぷりと絡まっていた灰白色の物体が滴り落ちて、広くて薄い三叉に分かれた穂先が見えた。
「うっちゃん! ……って、なんて格好しとんねん! はしたないし、意地汚い…… あんな? そんな意味分からんて顔で三鈷鈴くわえんといてぇな」
戸口には湯気を立ち上らせた紫紺の外套が、随分と筋張った拳を震わせていた。
安堵が滲んでいたのは束の間。
幾分低めで深みのある声が、途端に高く大きく跳ね上がった。
打帆は濡れ髪で肩にタオルを掛けただけの格好で、藍の瞳をわずかに見開いた。
それでも二度三度瞬いただけで、何事もなかったかのように逆さの鐘で鍋をかき混ぜる。
「お腹ぺこぺこでー でもやっぱり火ぐらいは通さないとまずい気がしてー ……あ、三鈷がフォークの代わりになるのは、実は大発見だと思うー」
ぐにゃりと崩れ掛けた外套が持ち直すと、フードに手を掛けながら打帆に詰め寄った。
元からこぼれていた、焦げ茶の巻き毛は随分と癖が強い。
閉じた口元は、酷薄そうな線を残している。
鼻梁に寄った皺も、神経質と評することが出来るかもしれない。
だが酷く据わった瞳は妙に感情的で、他の素材の硬く鋭く精悍な雰囲気の、一切を打ち消していた。
「省略し過ぎやんか、色々大事なこと! うっちゃん、一応嫁入り前の女やろ? とんでもないことになってんの分かってる? 状況分かってないのんか?」
「奏羽は細かいこと気にしすぎー 苦肉の策なのは察した上で、気遣いを見せても罰は当たらないと思うー」
薄い灰色に鮮やかな赤黄の渦が浮く、それでもどうやら粥らしきもの。七輪に掛けられた鍋から三叉の刃で掬って頬張る打帆は、猫のような丸い目を満足げに細めて一人で和む。
だが奏羽も一通り部屋を見回しながら、ここは譲る気は無い様だった。
「服乾かしている間、とりあえず毛布被っとき。話は食べた後でええけど、全部聞かせてもらうで?」
無言で頷く打帆は、満足そうに頬を緩めきっている。
奏羽は眉を顰めたまま、窓枠に引っ掛けられた衣装一式に歩み寄った。懐から短い杖を取り出し、盛大に自身の巻き毛をかき混ぜる。そしてそれに紛れ込ませるように、そっと息をこぼした。
「<召喚術師>って美味しすぎるー 洗濯の度に<火乙女の演舞>が見れるとか、この贅沢者めー」
打帆は毛布に包まり片手鍋を抱え込み、舌鼓を打ちながら無邪気に褒めちぎった。
床を割って伸びる柳の枝に赤い繻子が広げられ、その周りを手のひらに納まるくらいの蝶たちが舞っていた。羽は炎で作られたように、緩やかに波打ち、揺らめき、尾を引いて軌跡を残す。
「そんな訳あるかい。緊急事態やなかったら、こないな面倒なことせえへん」
奏羽は細い背を向けたままで、その答えは短く無愛想だった。
「娯楽も和みも重要な要素ー <武闘家>なんて壊しすしか能がないのに、実はあんまり役立ちそうにないしー」
「何でこう、聞き捨てならんことばかりぽろぽろ零すんやろな…… そろそろ聞かせてや。三日の間、連絡にも出んと何しとったん?」
奏羽が振り向くと、打帆は鍋をゆすいだ水を飲み干したところだった。丁寧に手を合わせた後、そのまま宙を見つめて、辿った思考をそのままだだ漏らす。
「何って<托鉢>してだだけー すっごく暇だけど、持ってるご飯は食べれなかったから仕方なく。後は、ちょっと外に出たくらいー」
「うっちゃん。暇なら<念話>に返事くらいしてもええのんと違う? アキバの街にいるのんは分かっとったけど、外にはモンスターもうろついてるんよ?」
奏羽の声は、詰るような調子に反して、少し速くて小さい。
けれども打帆は、何事も無かったかのように平然と頷く。
「別に死ぬもの、死ぬほど痛くはなかったよー? ちょっと怖かったけど、急所突かれたから案外あっさりだったしー あ、奏羽は予備の髪留め持ってない?」
今度こそ奏羽は、頭を抱えて突っ伏した。