2
▽
「季節外れの大量注文、堪忍したってやー、リオやん」
「問題ありませんよ、マリエール様。たかが溶岩石の加工など、凹面反射鏡が無駄になる痛手に比べたら大した事ではありません」
事務机は端に寄せられて、その跡には冬の風物詩が所狭しと並んでいた。
炬燵に火鉢、土鍋に張られた水は焼け石で煮立ち、丸い岩盤に乗った薬缶は湯気を上げ続けている。
「そういう意味やないんやけど…… まあ、ええか。ほな小竜、運んだってー」
「ホクト君、控え室にご案内して差し上げてください。そう、右手の棚の中身全部です」
威勢の良いあいさーという掛け声に、礼儀正しいが少し幼い案内が重なる。マリエールの、少々気まずそうだった相好も解けて崩れた。
「これでようやっと、合宿お疲れさま会が開けるわー 何で我慢大会になってしもうたんかは、全然分からんけど」
「差し出がましいとは思っております」
少しはにかんでいたマリエールは、そのままオラトリオが躊躇いながら差し出すものを見つめた。
「実験の副産物で恐縮なのですが。よろしければ、これをお使いいただければと思いまして」
オラトリオの手に乗っていたのは、コルクの栓がはめられた牛乳瓶だった。透明な器には、くすんだ薄紅色の、さらりとした液体が詰められている。
「何やの、これ」
「はい。調味料、と言いたいところなのですが…… いえ、その。成分は判明しているのですが、原因が分かりかねておりまして」
何とも歯切れ悪い言い訳を聞き流しながら、マリエールは指先で瓶を突く。
「何か甘そうやなー! それとも意表を突いて、ちょっと酸っぱいとか?」
「激辛です」
後ろの机を探っていたオラトリオは、マリエールが体を震わせたのには気付かなかった。
ようやく引き出しから柄の長い匙を探し当てると、栓を開けて一滴垂らす。
差し出されたマリエールは、しばらく眉に力を入れて凝視していたが、おもむろに鼻を寄せた。
「においは、あんまりしないんやね…… んぁっ?!」
おずおずと伸ばした舌が触れた瞬間、マリエールは飛び上がって舌を噛んだ。口を押さえながらも、それでも驚きに目を見開く。
「何で! おいしいやん!? 癖のないラー油みたいな、そんでもって何か薄く出汁が利いているような…… 何やの、何やのこれ?!」
胸ぐらを掴まれたオラトリオが苦しげに咳込んだ。慌てて手は緩められるものの、決して白衣を離さない。
「譲ってくれるん? というかレシピだけでも売り出してーな!」
「落ち着いてください。レシピは公開済みですが、問題がいくつかあるのです。実は副産物なだけでなく、副作用もありまして」
再び力の籠もる拳を、オラトリオが慌ててタップした。
「急激に飲み過ぎるとですね、わずかですが筋力が落ちるようなのです。一口くらいなら問題ありません、一気に一瓶飲んで一ポイント下がるかどうかというくらいです」
試行例は三件ですがという一言は、とりあえず黙殺される。
「でも、何で筋力なん? レシピに関係ありそうやの?」
「はっきりそうだとは決めつけられませんが。元々『外観再決定ポーション』の研究中に見つかったものでして……」
顔をひくつかせたマリエールは、今度はオラトリオの口を慌てて塞いだ。
「納得した、でも聞きたないから。レシピは言わんでええよ? っていうか言うたらあかんで!」
大人しく頷くのを待ってから手を離すが、二人はそのまま、じっと瓶の中身を見つめてしまう。
「……でも不思議やね。もっとこう、全体に効果出そうなもんやけどなあ?」
わずかとはいえ、オラトリオの視線が確かに逸れた。だがマリエールの上目遣いが追うと、観念する素振りも見せずに口を割った。
「私はこの通り、ここしばらくはこの研究室に籠もっていましたから。あまり参考にならないと思います」
「結論は?」
「……筋肉に限る話ではなく、特に腰周りが絞れたとか何とか。その、試したのは男性だけですが……」
しばらく二人の間を、沈黙だけが支配した。
廊下の向こうから鈍い振動と悲鳴が聞こえて、ようやく硬直が解ける。
「まあ、余興には面白いかもやね。ありがたく貰ってく。……でもな。その、この大事な時期に、あんまり詰まらんことで波風? や、不安を煽ってもしょうもないと思うんよ。な、リオやん?」
「はい、私から口外はいたしません。書類は随時更新しておきますが、研究完了まで正式な報告は避けるつもりです」
不思議な色と味のポーションは、しばらく幻のまま。それでも女性プレイヤーの話題には、頻繁に登場し続けることになったとかなんとか。