表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/20

 わずかな囁きと手の振りだけで、小さな合図が交わされているだけだった。人は多いが、活気は無いに等しい。


 倒したテーブルで囲われた舞台には、物憂い、盛り上がりに欠ける空気が流れていた。にこやかに手を振る打帆(うつほ)には誰も応えず、師範代の動きも緩くて覇気は見えない。


 付き添う者もなく、待つ者もない。だが二人はそれを気にする素振りなく、一歩の距離を挟んで足を止めた。

 打帆(うつほ)が先に突き出した拳に、師範代が軽く顎を引いて拳を合わせる。

 そのまま、互いに半身に構えて後ろ足を引く。

 一発鳴らされた、鐘のぼんやりとした音が消えても。二人はしばらくその場を動かず、視線を逸らさなかった。



 合わせているだけの拳が、小刻みに揺れ始めていた。師範代の足指がゆっくりと床を噛む。打帆(うつほ)の踵がわずかに浮いて膝が落ちる。

 そんな些細な動きは、ほとんど見て取れない。だから二人は、構えも姿勢も変えたようには見えないまま。

 それなのに、いつの間にか半歩の距離と向きを変えていた。


 初めて、師範代の表情が動いた。

 体中から力が抜け落ち、最中に打帆(うつほ)の体が前に傾いた。

 捻られた拳が、触れていた打帆(うつほ)の指を巻き込む。

 逆に返された手の甲が、流れた腕を真下に打ち落とす。

 押し込む肘が打帆(うつほ)を泳がせ、叩きつける肩の裏が更に間合いを潰す。


 一連の動作は滞ることなく軽やかに、だが最後の一撃だけは空を切った。

 師範代はうずくまるように体を前に投げ出し、受け身をとって立ち上がる。


<武士>(サムライ)っぽいのに、<散打>に<靠>(ダッシュ)って。……なんで!」


 胸の前で左腕を抱えた打帆(うつほ)は、目を輝かせて吠えて、惜しげもなく拍手を送った。だが師範代は無反応で、全く頓着しない。


「むー、色々納得出来ないんだけどー ……これは本気で楽しみ」


 打帆(うつほ)の呟きを、師範代は完全に無視する。左手を腰に添え、左足を下げながら徐々に体を前に傾けていた。握った右手が左手に添えられ、上体に隠れて死角に消える。

 腰に得物は無かったが、それは<居合い>の構えだった。冷めて平たい顔には何も浮かべていない。白刃を納めた鞘のように、殺気はおろかその意図すら隠し通す。


 打帆(うつほ)が後ろ足と腰に引いた拳をそのままに、前に出した足先に向けて拳を下段に払う。師範代は、まだ二歩は先に立っている。


 足指で寸毫の間合いを詰めていた師範代が、足形を残して消えた。

 打帆(うつほ)後ろで(・・・)風が鳴る。それに割り込むように、床を割る音が続けて二つ(・・)響いた。


「よりによって! <歩法>(しゅくち)持ち!」


 三歩目も床を踏み割った師範代は、打帆(うつほ)の背後から裏拳を振り抜いていた。

 延び切る前に手首が返され、平たい握りに形を変えて袈裟に叩きつけられる。

 踏み込みは足を狙い、続けて顎を目掛けて掌底が伸び上がる。

 そのまま開いた手が視界を塞ぎ、間髪入れずに肋へ肘が捻り込まれる。


 愚直に拳を振るって間合いを詰め続ける師範代を、だが打帆(うつほ)は全てをかわし続けた。目は焦点を定めぬまま、構えらしい構えも取らず、それでも顔から歓喜の笑みを絶やさない。


 申し合わせた様な流れを断ち切ったのは、唐突に動きを止めた師範代だった。


 掠めて飛んだ裾の欠片が宙で鳴り、小さな飾り鈴が衝立まで飛ぶ。打帆(うつほ)はそれを目で追いながら、それでも大きく一歩、後ろに跳ぶ。

 師範代は一拍遅れて、だが打帆(うつほ)が足を付く前に、左腰に溜めた手刀をその場で斬り上げていた。

 それまでと違う、白銀の煌めきが飛ぶ。

 打帆(うつほ)の喉を深く抉ると、だが傷も残さず消えてしまった。


「--!」


 打帆(うつほ)の無音の驚きを、師範代の<散打>が追った。構えた拳を叩き落とし、開いた距離を踏み込み、逃げる顎をかち上げる。

 だがそこで師範代が背を向けると、打帆(うつほ)が突然跳ね上がった。襟を掴まれ肩口に担がれ、打帆(うつほ)は胸を支点に逆さに宙を舞う。


 そのまま背中から落ちると、打帆(うつほ)は襟を絞められ地面に縫い止められた。

 そのままは呆然と口を開くが、声が全く出ず、何も伝わっていないことに気付いて。軽く師範代の腕を叩くと、気の抜けた笑顔を浮かべて両手を挙げた。



 まばらな拍手の中、無造作に立ち上がった師範代が打帆(うつほ)に手を差し出した。


<百舌の速贄>(ラニアスキャプチャー)は確かに効いた。なら、仕掛けは鈴か?」

「それもあるけど違うー <効果時間>が切れただけ…… だと思う?」


 師範代は聞かれても困ると返すが、全く表情を変えなかった。声も小さく低かったが、そこに屈託は全く無い。


「見事な手際だった。少し話を聞いても、迷惑では無いだろうか」


 打帆(うつほ)は差し伸べられたままの手と、師範代の無愛想な顔を何度も見返してしまう。

 だが師範代が無言できびすを返す前に、その手にぶら下がると、慌てて引き留め快諾した。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ