婚約破棄されたので静かに復讐するつもりでしたが、不倫した元婚約者を踏み潰していたら隣国の王太子に溺愛されました
――ああ、なるほど。そういうことですか。
広間に響く声は、やけに軽かった。
「エルシア・ルヴェリア。君との婚約は、ここで破棄する」
王国貴族が集う舞踏会。その中心で、堂々とそう宣言したのは、私の婚約者であるアラン・ディルヴェルト。
……いえ、元、でしょうか。
隣に立っているのは、見覚えのある女。
金髪を揺らし、わざとらしく涙ぐんでいる。
「エルシア様が、私にひどい嫌がらせを……」
――嘘ですね。
その女、リリアナ・フォルテは、ここ数ヶ月で急に現れた新興貴族の娘。裏ではアランと関係を持っていることくらい、調べはついている。
ええ、不倫です。
それも、随分と分かりやすい。
ですが――
「……そうですか」
私は、ただ微笑んだ。
ざわり、と空気が揺れる。
普通なら泣き崩れるか、取り乱す場面でしょう。ですが私は、そんな安っぽいことはしない。
だって、もう準備は終わっていますから。
「最後に、一つだけ確認してもよろしいでしょうか」
「何だ」
苛立ったようなアランの声。
ああ、本当に愚かだ。この男は。
「あなたは、その方と――関係をお持ちなのですね?」
一瞬の沈黙。
だが、リリアナが先に口を開いた。
「そ、それは……愛し合っておりますわ!」
――はい、証言いただきました。
私は静かに頷く。
「そうですか。では――証拠としては十分ですね」
「証拠だと?」
次の瞬間、扉が開いた。
重々しい音と共に現れたのは、王宮の近衛騎士団。そして、その中心に立つ一人の男。
黒髪に、冷たい金の瞳。
空気そのものを支配するような存在感。
「――遅れてすまない。エルシア嬢」
低く響く声。
私は軽く会釈した。
「いえ、ちょうどよい頃合いです、セイリオス殿下」
場が凍る。
隣国アルヴェイン王国の王太子――セイリオス・アルヴェイン。
なぜ彼がここにいるのか、理解できる者はいない。
当然だ。これは“私が呼んだ”のだから。
「……な、なぜ隣国の王太子が……!」
アランが狼狽する。
私は淡々と告げた。
「本日、私はこの方と正式に婚約を結びます」
「は……?」
間抜けな声が広間に響いた。
その隙に、騎士たちが動く。
「アラン・ディルヴェルト。貴様には横領、不正契約、そして不貞の証拠が揃っている。連行する」
「なっ……!?そんな、でたらめだ!」
「でたらめではありません」
私は一歩、前に出る。
「全て、私が集めたものですから」
彼の顔が、青ざめる。
当然だ。帳簿の改ざんも、裏取引も、そしてリリアナとの密会も――全部、私は知っていた。
ずっと前から。
「エルシア……お前、最初から……!」
「ええ。婚約者として、当然の務めですので」
にこり、と笑う。
その瞬間、リリアナが叫んだ。
「こんなの卑怯よ!!」
――卑怯?
思わず、少しだけ笑ってしまった。
「不倫しておいて、それを仰るのですか?」
「っ……!」
言葉に詰まる。
その様子を見て、セイリオス殿下が小さく息を吐いた。
「随分と手際がいいな、エルシア嬢」
「準備は万全に、が信条ですので」
「気に入った」
彼はそう言って、私の手を取った。
その仕草は自然で、けれどどこか強引だった。
「今日から君は、私のものだ」
「……随分と一方的ですね」
「嫌か?」
金の瞳が、じっと私を射抜く。
――逃げ場はない、と言わんばかりに。
少しだけ、胸が高鳴る。
「いいえ。むしろ――望むところです」
そう答えた瞬間、彼は満足げに微笑んだ。
後ろでは、アランが連行されていく。
リリアナもまた、泣き叫びながら引きずられていった。
終わりだ。
すべてが。
……そう思ったのに。
「復讐は、これで満足か?」
耳元で囁かれる。
振り返ると、セイリオス殿下が至近距離にいた。
近い。
近すぎる。
「一応は」
「なら、次は私の番だな」
「……何の、ですか」
嫌な予感しかしない。
彼は楽しそうに笑った。
「君を甘やかす番だ」
「は?」
「復讐に人生を使った女が、どこまで壊れるか見てみたい」
――とんでもない人に捕まりましたね、これは。
「拒否権は?」
「ない」
即答だった。
私はため息をつく。
ですが、不思議と嫌ではない。
「……では、一つだけ条件を」
「言ってみろ」
「私を退屈させないでください」
沈黙。
そして――
「保証しよう」
彼は、愉しげに笑った。
「君の人生は、これから退屈とは無縁だ」
――その言葉通り。
私の人生は、復讐の終わりと同時に、別の“戦場”へと変わった。
甘くて、危険で、逃げ場のない――幸福という名の。




