腐ったカンパン
戦史というものは、往々にして人間の予測を裏切る。
いや、むしろ戦争という営為そのものが、予測を裏切ることで歴史を動かしてきた、と言ったほうが正確かもしれない。
戦争とは巨大な機械のようなものだ。国家という歯車、軍隊という歯車、兵士という歯車が組み合わさり、冷たい鉄の理屈で回転する。しかしその内部にいるのは結局のところ人間である。ゆえにその機械は、ときに予想外の方向へ軋み、壊れ、暴走する。
オモニ要塞攻防戦における第二の時巻魔法は、その典型例である。
この第二回の観測は、彼自身にとっても予想外の出来事から始まった。
作戦そのものは前回の観測と同一である。
攻撃開始と同時に全戦線で総攻撃を開始し、その直後に新兵器魔導砲雷撃および雷空機による電撃的攻撃を加える。
これは極めて合理的な近代戦術である。
まず砲撃によって敵陣を混乱させる。
次に航空兵力が上空から打撃を与える。
最後に歩兵と戦車、この戦場では装甲車と魔導支援兵が突撃する。
この「統合火力」の思想こそ、第一次世界大戦以降の戦争を規定する基本原理であった。戦史に興味のある読者であれば、すぐ理解できることであろう。
だが、このとき。
予想外の事態が起きた。
雷空機が撃墜されたのである。
それは突然であった。
前線上空を旋回していた雷空機の一機が、まるで空中で何かに撃ち抜かれたかのように大きく揺れた。次の瞬間、機体後部から黒煙が噴き出し、翼の一部が吹き飛んだ。
観測員の一人が叫んだ。
「雷空機被弾! 高度を失っています!」
小糸は双眼鏡を下ろさなかった。
煙を引きながら旋回する機体。
その姿は、まるで空中で雷が砕け散ったかのようであったと、後の記録には残されている。
やがて雷空機は大きく傾き、そのまま要塞外縁の荒野へ墜落した。
土煙が上がる。
その瞬間、小糸は眉をわずかに動かしたと記録されている。
おかしい。
彼はそう考えたに違いない。
攻撃の正体はすぐに推測された。
敵の対空魔導兵による攻撃である。
しかし、その速度が異常であった。
通常の魔導弾とは桁違いに速い。まるで狙撃銃の弾丸のような速度で飛来し、雷空機を撃ち抜いていた。しかも時折、同じような攻撃が数発、苛烈に空を裂いていた。
ボルトン中佐がつぶやいた。
「敵の新兵器か……?」
それは自然な推測であった。
戦争とは新兵器の歴史でもある。機関銃、毒ガス、戦車、航空機。近代戦争は常に技術革新によって戦場を変えてきた。
しかし、小糸の記憶はそれを否定していた。
彼は観測者として、前回の戦闘をすべて見ている。
あれほどの火力を持つ対空魔導兵は、少なくとも前回の観測では存在していなかった。
では何が起きたのか。
戦場では、ときに兵器ではなく人間が戦局を変える。
これは歴史家が繰り返し指摘してきた事実である。
優れた将軍、狂気の兵士、あるいは偶然の判断。そうした人間の要素が、巨大な戦争機械の歯車を狂わせる。
小糸は思った。
もしかすると
前回の6時間半の戦闘の間に、要塞内部で何かが起きていたのではないか。
そう推測したのである。
小糸は再び時間を戻した。
時巻魔法の発動後、彼は観測結果を整理し、幕僚本部へ向かった。
内部には巨大な地図が広げられ、通信機が並び、参謀たちが静かに議論している。
外では砲兵隊が弾薬箱を運び、兵士たちは金属製のカップで濁ったコーヒーをすすっていた。
攻城戦というものは、兵士の日常をゆっくりと摩耗させる戦いである。
突撃の瞬間だけが戦争ではない。
むしろ、待機と疲労こそが兵士を蝕む。
一人の兵士がぼやいた。
「総攻撃だってさ」
隣の兵士が笑う。
「要塞が落ちる前に俺たちの神経が落ちるな」
小糸はその横を静かに通り過ぎ、司令部へ入った。
報告を終えると、中将は腕を組んだまま黙り込んだ。
数秒。
いや、実際にはもっと長かったかもしれない。
やがて彼は言った。
「うーん……困ったね、こりゃ」
軽い調子であった。
だが参謀たちは、その声に注意深く耳を傾けていた。
この中将が軽口を言うとき、たいてい何かを考えている。
「結局は総攻撃で敵を削りきらなきゃいけないのか……」
中将は顎に手を当てた。
「メイ大尉。ほかに変わったことはあったかい?」
小糸は少し考えた。
戦場の観察とは、砲火を見ることではない。
兵士の顔色、射撃の間隔、怒号の調子。そうしたものすべてが戦況の情報となる。
「変わったこと……ですか」
小糸は静かに言った。
「意外と帝国兵の士気が低いことです。また雷空機を落とした攻撃ですが、あれは新兵器ではなく魔法だと思います」
参謀たちは顔を上げた。
小糸は続ける。
「それに後半、かなり抵抗が弱まりました。難攻不落を誇るオモニ要塞で、しかも物資は潤沢なはずなのに」
中将は、ふっと笑った。
「いや、それはいい気づきだよ」
彼は椅子にもたれ、地図を見つめた。
「僕の予想だけどね」
指先が要塞を指す。
「オモニ要塞にはもともとの守備兵がいる。そこへ敗走兵が流れ込み、さらに援軍としてゴズ歩兵旅団が入ってきた」
中将は肩をすくめた。
「ゴズ王国の連中はね……かなり傲慢なんだ」
参謀たちは黙って聞いている。
「戦争になる前に視察したことがあるんだが、あいつら他国民を露骨に見下すんだ。歴史があるとか、文明があるとか言ってね」
そして突然、彼は笑い出した。
「HAHAHAHAHAHA!!!」
幕僚たちは顔を見合わせた。
「歴史があるって言ったって、たった500年だよ。たった500年で古代文明気取りだ。笑えるだろ?」
戦争において、文化的摩擦はしばしば致命的な結果を生む。
軍隊という組織は、武器よりも人間関係によって崩壊することがある。
多民族帝国の軍事史を見れば、それは明らかであろう。
小糸は静かに言った。
「だとして、どう攻略しますか中将」
冷静な声であった。
「結局、勝つためには1回目と同じく、総攻撃ののち新兵器による電撃作戦がよろしいかと」
中将は頷いた。
「うん。僕も“総攻撃のふり”には賛成」
参謀たちが地図を覗き込む。
中将は言った。
「でもね」
彼は指で要塞を叩いた。
「1日ですべて終わらせようとする電撃戦はやめよう」
そして、静かに言った。
「多分、4日か5日攻めれば勝てるね。こりゃ」
参謀の一人が小声で言った。
「……内部崩壊ですか」
中将は、にやりと笑った。
おそらく彼は考えていたのであろう。
攻め続ければ、要塞は内部から崩れる。
だが小糸は、完全には納得していなかった。
要塞内の兵力は帝国兵の方が多い。
抵抗も激しい。
そのような状況で、傲慢なだけのゴズ王国兵の存在が、本当に内部崩壊を招くのだろうか。
戦争とは、しばしば理屈よりも偶然によって動く。
そしてその偶然を読み取る者が、後に名将と呼ばれる。
結果は7日後に現れた。
オモニ要塞は、陥落した。




