鼓動
士官学校を卒業した小糸は、特別に中尉としてベニ・コロイス中将の元に配属された。この決定は当時の軍内部でも稀有なものであり、ひとえに小糸の魔法の能力が理由であった。コロイス中将は40代半ば、侯爵の爵位を持つ貴族であり、王からの信頼も厚い。その信頼の一端として、彼は小糸の魔法の存在を知る数少ない人物のひとりであったといわれる。
コロイス中将は新設の第28師団の師団長に任じられ、フライル帝国との戦線に投入されることになっていた。戦争はまだ続いており、小糸がこの異世界に来てからの三年間で、多くの命が失われてきたのは歴史書に記録されている通りである。28師団は、歩兵・榴弾歩兵・山岳兵・機甲部隊・魔弾砲兵・騎兵・魔導騎兵・工兵・整備兵・偵察兵・通信兵・補給兵・衛生兵・魔法衛生兵・そして新兵器部隊まで含む、総勢8500名からなる複合的な師団であった。近代戦における師団編成の完成形のひとつといえる規模であり、歩兵の密度と機甲部隊の運用、さらには魔法兵の補助的配置まで計算された戦略的布陣は、当時の軍事思想の粋を示している。
小糸は特別参謀として、中将の側近に位置し、作戦行動に従事することになった。任務は単純明快である。戦況を観察し、最適なタイミングで【時巻魔法】を行使すること。敗北の兆しがあれば、時間を巻き戻し、敗因を分析し、対策を立てるのである。戦争とは、単なる戦場での勝敗だけではなく、情報と時間の掌握が勝利の鍵となることを、この師団の構造は物語っていた。
小糸の下には四名の部下がついた。彼らは小糸よりも1、2年早く士官学校を卒業した精鋭である。しかし、それが逆に扱いづらさを生むこともあった。なぜなら、彼らは小糸の魔法の存在を知らないからである。
金髪坊主のギン・クルー准尉。目つきは鋭く、身長は175㎝で小糸より3㎝低いが、筋骨は厚く、数字に強い。南部前線で補給小隊を率いた経験があり、魔法は錬成魔法で残り回数は約140回。性格は厳格ながらも優しい。
黒髪を後ろで束ねたネリル・ガトー少尉。171㎝と女性として高身長で、身体は鍛え上げられた戦士のそれであった。配属前は南部後方野戦病院の魔法衛生兵。魔法は治療系で残り回数は約440回。彼女の視線や姿勢からは、確かな戦場経験がうかがえる。
黒髪単発、身長191㎝のボウ・ハリー少尉。西部戦線で魔導突撃騎兵として活躍。小糸の下につくことに不満があるかもしれないが、人柄は良い。魔法は炎系で残り回数は約240回。
銀髪ウルフ、身長166㎝のモネ・ヒューイ准尉。通信兵として西部で活躍するも、通信施設の砲撃で負傷し入院。外見は女性らしいが言葉は率直で、ふわふわした雰囲気の中に鋭い観察眼を持つ。魔法は治療系で残り回数約480回。
このような優秀な部下を持つことは喜ばしいことであったが、戦歴や実績のない小糸には大きな重圧がのしかかる。持っているのは名目上の爵位だけである。だが公国のように爵位が明確に階級を規定する社会は、思わぬ利点ももたらす。小糸はそう考え、机に向かっていた。
その時であった。司令部の扉が、戦場の号砲のような勢いで開いたのである。
「メイ中尉!君の[時巻魔法]があれば、わが軍は無敵ダ!」
朗々たる声が室内に響いた。声の主は、この方面軍を指揮する中将であった。
「肩の力を抜いて、『その時』は作戦を立てて勝利を掴もう!そうしよう!君さえいればネ……HAHAHAAHAHAHA!!」
この中将という人物は、常に陽気であった。いや、正確に言えば、陽気すぎるといってよい。戦場というものは、普通、人間の表情を陰鬱に変える。だがこの将軍に限っては、むしろ逆であった。戦争という巨大な重圧を、笑い飛ばすことで押し返しているような人物であったといわれる。
小糸は思わず、胸の内で小さく息を吐いた。
他の者がいなくてよかった。
そう思ったのである。
理由は単純であった。小糸の【時巻魔法】は、軍の最高機密の一つである。戦争というものは、時として砲兵よりも情報の方が強い武器となる。もしこの魔法の存在が不用意に広まれば、それは敵国にとって一個師団にも匹敵する価値を持つ情報になるに違いない。
その危険を、小糸はよく理解していた。
もっとも、この中将は、そのような繊細な配慮をあまり気にしない性格らしかった。
「おっと!」
中将は大げさに手を叩いた。
「君の魔法を僕が一方的に知っているのはフェアじゃないな!」
そして胸を張るようにして言った。
「僕の魔法は錬成魔法だ!なにか作りたいものがあったら教えてくれよ!HAHAHAHAAHAHAHA!!」
この世界において、魔法とは単なる技術ではない。
むしろ、それは血筋と精神に宿る「資質」に近いものであり、その内容を他人に教えるという行為は、半ば自分の腹の内を見せるに等しい。魔法の種類は、その人間の戦い方を決める。ゆえに軍人たちは、よほど信頼する相手でなければそれを明かさない。
つまり、中将の言葉は一種の信頼表明であった。
王が任命した人物である以上、小糸としてはその人事を信じるしかない。だが、それでも胸の奥に、わずかな温かさが灯ったのは確かであった。
戦争とは、冷たいものである。
だがその中に、時折こうした人間的な温度が混ざる。歴史を振り返れば、偉大な作戦の背後には必ずといってよいほど、こうした奇妙な信頼関係が存在していたといわれる。
「そういえば君に紹介しておくよ」
中将はふいに思い出したように言った。
「入ってきて〜」
扉の向こうから、四人の将校が静かに入室してきた。
軍服の階級章が、薄暗い司令室の灯りの下でかすかに光った。
「僕の参謀でボルトン・カジャ中佐」
背の高い男が一歩前に出て、軽く敬礼する。
「コマ・ナリー少佐」
丸眼鏡をかけた女性の参謀将校が、書類を抱えたまま小さく頭を下げた。
「それから側近のジュナ・フリッツ中尉、ジャロ・ジャカ中尉」
二人の若い将校が、ほぼ同時に敬礼する。
中将は実に気軽な調子で続けた。
「四人にも君の魔法のこと言っちゃってあるから、バンバン気にせず司令部では語り合えるよ〜」
小糸は、ほんの一瞬、言葉を失った。
絶句、というやつである。
戦場という場所では、秘密は銃弾よりも速く広がる。司令部の人間とはいえ、魔法の情報を共有しているという事実は、それだけでかなりの重大事であった。
だが、すでに伝えられているのであれば、今さらどうこう言っても仕方がない。
小糸は心の中で静かに思った。
もし漏れたら、この人のせいにしよう。
戦場における責任の所在というものは、案外このように決まるものかもしれない。
参謀たちは、小糸を興味深そうに見ていた。彼らもまた、この奇妙な魔法を持つ将校が、今後の作戦の中心になることを理解しているのであろう。
ボルトン中佐が、静かに言った。
「メイ中尉。あなたの力が、今回の要塞攻略の鍵になると聞いています」
コマ少佐も続ける。
「時間を扱う魔法……軍事史の観点から言えば、これは兵站を無視できる唯一の能力かもしれません」
その言葉には、学者のような興奮が混ざっていた。
戦争とは、究極的には時間との競争である。補給が尽きる前に勝つか、援軍が来る前に落とすかすべては時間の管理で決まる。
もし時間そのものを巻き戻せるならば、それは戦争の法則そのものを書き換える能力である。
歴史家が聞けば卒倒する話であった。
小糸は静かに敬礼した。
「よろしくお願いします」
短い言葉であった。
だが、それで十分であった。
戦争とは、巨大な国家の意思がぶつかり合う装置である。だが、その歯車を実際に回しているのは、こうした数人の将校と、無数の兵士たちである。
信頼と不安、希望と恐怖。
それらすべてを抱えながら、人は戦争を続ける。
小糸は新たな参謀たちを見渡しながら、次なる作戦の準備を心の中で静かに組み立て始めていた。
歴史とは、往々にしてこのような小さな司令室から動き始めるものなのである。




