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骨を喰む

王エルメス・フォン・グフタスが、小糸にあの残酷な選択を突きつけてから、半年の歳月が流れた。


歴史というものは、往々にして個人の運命を顧みない。国家の歯車は常に巨大であり、人間一人の感情など歯車の油ほどの価値しか持たぬ。

と後世の史家は書くであろう。


このとき18歳となった小糸は、ベルト公国軍人として魔法を用いる道を選び、士官学校へ入学した。


理由は単純である。


第一に、選択肢がそれしかなかった。

第二に、彼には確かめたいことがあった。


それが何であったか。それは小糸自身の胸中にのみ存在していたが、おそらくは自らに宿る【時巻】魔法という力の本質であったに違いない。


6ヶ月という時間は、人間にとって長いようで短い。だが異世界に投げ込まれた青年にとっては、文明を理解するには十分な時間でもあった。


この半年で小糸は、ベルト公国の公用語であるアニキス語を会話・筆記ともに不自由なく扱えるほど習得した。というか、まさかの使用する文字は漢字とアルファベットであった。これならお茶の子さいさいである。まぁ会話など発音などは全く別のためしっかりと苦戦はしたが…


これは順応魔法の影響であったのか、それとも若さという人間最大の才能によるものだったのか…

いまなお判然としない。


言語を覚えると、次に見えてくるのは歴史である。

国家の姿は、常に歴史の中に埋まっているからだ。


小糸は士官学校入学前の教育課程で、この世界の大まかな歴史を学んだ。


舞台となる星の名はデアという。


この惑星には、大陸が二つ存在する。

ロドニー大陸とホムライ大陸である。


空には火傘と呼ばれる恒星が輝いていた。

地球人の感覚で言えば、太陽である。


さらに夜空には鎖丸という衛星があり、これは月に近い役割を持つとされていた。


もっとも、この世界の天文学はまだ発展途上であり、惑星運動については学説が錯綜している。

火傘を中心に鎖丸が巡るのか、それとも鎖丸が別の運動をしているのか、正確に理解している者は少ない。


だが文明の発展とは、必ずしも宇宙理解と比例するものではない。

この世界の人類は、宇宙よりも先に戦争の技術を進歩させた。


それがこの時代であった。


小糸がいるベルト公国は、ロドニー大陸の一国家である。


しかしロドニー大陸は、かつて今とはまったく違う姿をしていた。


今から2,323年前。

この大陸には87の国家が存在していた。


それぞれ言語も宗教も文化も違う、いわば文明のモザイク地帯であった。


だが1,300年前、歴史は大きく動く。


アニキス帝国が大陸を統一したのである。


この帝国の統治は苛烈であった。

焚書、破壊、虐殺。


文化を抹消することで支配を完成させる。

それは古来より帝国が用いてきた、最も確実な方法であった。


言語はアニキス語に統一され、宗教はベイル教ホドリス派のみが許された。


800年の統治の末、ロドニー大陸からほとんどの言語が消えた。


文化とは血よりも強い。

一度根付けば千年でも残るが、消すときは数世紀で消える。


人間とはそういう生き物である。


ベイル教の教義は単純であった。


「鐘が鳴るとき、すべては告げられ、そして起こる」


つまり運命は既に定められている、という思想である。


もっとも、この時代の人々は神をそれほど信じてはいなかった。


工業化学、医学、電磁工学。

科学が発展すると、神の役割は縮小する。


人々は神よりも医者を信じ、奇跡よりも薬品を信じた。


鐘に祈るのは、人生がどうしようもなくなったときだけであった。


帝国が崩れたのは500年前である。


フロ・ギュンターという人物が、ホムライ大陸東連邦の支援を受けて独立戦争を起こした。


五年戦争であった。


戦争が長引くと、必ず地方蜂起が起こる。

これは歴史の法則に近い。


帝国の統治に疲れた諸都市が次々と反乱を起こし、ついにアニキス帝国は滅亡した。


現在、帝国の残存地域はブド連邦共和国の一部となっている。


しかし帝国の文化は消えなかった。


言語も宗教も、すでに人々の生活に染み込んでいたからだ。


どの民族も、もはやアニキス語以外の言語を復活させるだけの資料を持っていなかった。


文化とは、時として遺伝子のように社会へ侵食する。


アニキス語がこの世界の共通語となったのは、そのためである。


これは異世界人である小糸にとって、幸運であったと言えるだろう。


もし各国が異なる言語を使っていたなら、彼の苦労は倍では済まなかったに違いない。


だが人間という生き物は愚かである。


帝国から解放されて500年

ロドニー大陸の国家は、ほとんど常に戦争をしていた。


100年前までは、まだ魔法が主役の戦争であった。


しかし産業革命がすべてを変える。


工業化学。ライフル銃。魔導電磁兵器。


そして大量生産。


国家が工場を手に入れたとき、戦争は技術競争になる。


新兵器という玩具を、国家はどうしても使いたくなる。それが人間の性である。


魔法が衰退した理由は単純だった。


銃弾を防げない。


魔法防御陣は魔法には強い。

だが鉛の弾丸には弱い。


ライフル弾は、防御陣を容易に貫通する。


その結果、戦場の主役は魔法使いから機関銃へと移った。


この時代にはすでに

ガトリング砲

カノン砲

飛行艇

装甲戦艦


といった兵器が登場している。


人類は空と海を戦場に変えることに成功したのである。


歴史家は言う。


文明の進歩とは、殺し方の改良史でもある、と。


もっとも、小糸の生活はそれほど悲惨ではなかった。


むしろ驚くほど快適であった。


なによりありがたかったのは、水洗式トイレである。


40年前、ディブ・マールという学者が開発した。


この男は排泄研究に狂気的な情熱を注いだ人物であり、学界では奇人として知られている。


だが文明とは、往々にして奇人によって進歩する。


トイレットペーパーまで存在したのだから、小糸としては感謝しかなかった。


食生活も意外なことに地球に近かった。


主食は米である。

玄米ではあったが、味は十分うまい。


ベイルの料理は基本的に火を通す文化で、肉と野菜を炒める料理が多かった。


家畜や野菜の種類も地球とほとんど変わらない。


それはありがたいことであると同時に、少しばかり不気味でもあった。


異世界であるのに、あまりに似すぎている。

だが小糸には、それ以上を調べる余裕はなかった。


暦、数字、メートル法。


すべてが地球に近かった。

少なくともヤードやマイルを覚えなくて済むことは幸運である。


貨幣はアドという国際通貨で取引されていた。


戦争ばかりしている国家でも、金の計算だけは協力できる。

これも人類の性質の一つであろう。


ベルト公国は、今から170年前に成立した国家である。


南のゴズ王国から独立した。


人口は約2,830万人。

首都は東部のグフロスタス。


かつてはゴズロブスという名だったが、二代公王の時代に遷都され現在の名になった。


現在の公王は

エルメス・フォン・グフタス。


まだ28歳の若い君主である。


10年前の疫病で両親を失い、若くして王座についた人物だった。


小糸とカイトは、首都より北にある都市メニューの士官学校へ入学した。


北方はゴイコ民国、東はジレ多民族国と同盟関係にあり、前線よりは比較的平穏だった。


もっとも戦争の時代に完全な安全地帯など存在しない。


士官学校でも軍事訓練は厳しかった。


射撃訓練。

塹壕構築。

参謀学。

軍事史。


若い士官候補生たちは、戦争という職業の基礎を叩き込まれていく。


カイトの未来はすでに決まっていた。


【金炎】の魔法使いとして、卒業後は王の親衛隊へ入る。


この魔法は異常な能力を持っていた。


燃やした対象を黄金に変えるのである。


罪人を使った実験では、わずか一瞬なら表面だけが金化する。


だが十秒も燃やせば


内臓も骨も、すべて黄金になる。


それは芸術のような残酷さだった。


小糸は思った。


あれは人間に向けて使うべき力ではない、と。


一方、小糸は【時巻】魔法を二度使った。


魔法訓練の時に2回。正直記憶には残らないどうでもいい時だが、それでも訓練は必要だった。


戦場では、魔法は反射的に使えなければ意味がないからである。


カイトは名前を変えた。


カイト・ルージュ。


侯爵家の養子となったのである。


貴族社会では、血筋よりも政治が重要だ。

優秀な魔法使いは貴族に取り込まれる。


それがこの世界の常識であった。


小糸も爵位を望んだ。


軍人として生きるなら、身分は盾になる。


王の計らいで、彼はメイ子爵家の五男という戸籍を与えられた。


名は


コイト・メイ。


正直に言えば、小糸はカイトを少し羨んでいた。


侯爵家と子爵家。

貴族社会ではその差は大きい。


だが文句は言えない。


士官学校入学前でなければ、このような要求は通らなかったであろう。


メイ家当主、ドズル・メイ子爵は寛大な人物だった。


実子を戦争で失い、妻も2年前に病死していた。


そのため新たな家族として小糸を温かく迎えた。


小糸にとって、それは救いであった。


異世界で、ようやく得た家族だったからである。


そして2年の歳月が流れる。


士官学校の生活は厳しく、そして短い。


戦争の時代には、教育もまた急ぎ足になる。


20歳になった小糸とカイトは、無事に士官学校を卒業した。


だがそれは人生の節目ではない。


むしろ、歴史の本流へ足を踏み入れる瞬間であった。


戦争という巨大な歯車が、

いよいよ彼らを呑み込もうとしていたのである。

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