屍霊
第6師団は、なおも前進を続けていた。
ゴザラの丘を発し、砲撃の余燼を踏み越え、塹壕を越え、陣地を食い破る。その進撃は、戦史上きわめて典型的な「突破戦」の様相を呈していたといわれる。
敵防御は、確かに破られていた。
一線、また一線と、民国軍の陣地は崩れ、陣地図の上では明らかに公国軍の前進が刻まれていたに違いない。
だが、戦場にいる兵士たちに、その実感はなかった。
「……おい、まだ来るぞ」
前線の壕で、ある兵が呻くように言った。
泥にまみれた小銃を構えたまま、彼は視線を上げる。
その先、煙の向こうから現れる影。
民国兵であった。
「なんで下がらねえんだよ……!」
別の兵が叫ぶ。
通常、この段階に至れば、防御側は後退を始める。
それが近代戦の常識である。砲撃を受け、陣地を失い、側面を脅かされれば、部隊は再編のために下がる。
だが、彼らは下がらない。
否、下がれない。
[参諦]の影響下にある民国兵は、後退という選択肢を喪失していた。
それは狂気のようでもあり、同時に極度に合理的な戦闘継続状態でもあったといえる。
一人の民国兵が、銃剣を構えながら突進してくる。
顔は蒼白で、唇は震えていた。
「来るな……来るなァァッ!」
叫びながら、しかし止まらない。
公国兵が引き金を引く。
乾いた銃声。
それでも、その兵は倒れる直前まで前へ出ようとしていた。
この光景が、第6師団の前面で繰り返されていた。
硝煙の匂い、血の臭い、土の湿り気。
それらが混ざり合い、戦場特有の重い空気を形成している。
若い兵が呟く。
「……終わらねえのかよ、これ」
返答はなかった。
あるいは、誰も答えを持っていなかった。
戦争とは本来、「終わり」が見えるものである。
敵が崩れ、退却し、戦線が整理される。
だがこの戦場には、それがない。
進んでも進んでも、敵は現れる。
倒しても倒しても、抵抗は途切れない。
それは、戦術的勝利と心理的敗北が同時に進行する、奇妙な戦況であった。
第6師団の士気は、次第に低下し始めていた。
これは当然の帰結である。
「進めば勝てる」という確信があってこそ、突撃は成立する。
しかし「どこまで進めば終わるのか」が分からぬ戦いほど、兵士にとって過酷なものはない。
参謀の一人が、後方で苦々しく言った。
「……これは、まずいな」
別の参謀が応じる。
「戦術的には優勢だ。だが…」
言葉を濁した。
戦術と心理は、必ずしも一致しない。
このとき第6師団は、確実に前進していた。
それは地図上では勝利を意味していた。
だが現場の兵士にとっては、ただ苦痛が延長されているに過ぎなかった。
それでもロトは、止めなかった。
「押せ」
ただそれだけである。
彼の戦い方は一貫している。
行ける時に行く。敵が止まると思う瞬間こそ、前進する。
その信念は、ここでも変わらなかった。
やがて、第6師団はノヴァ市街へと突入する。
市街戦。読者諸賢よ、この言葉の重みを理解しているであろうか。
それは戦場の形態として、最も苛烈で、最も不確実なものの一つである。
建物は遮蔽物となり、路地は罠となる。
窓は銃口となり、地下は伏兵の巣となる。
守る側にとって、これほど有利な戦場はない。
突入した瞬間、銃声が響いた。
「伏せろッ!」
誰かが叫ぶ。
窓からの射撃。
屋根からの狙撃。
路地裏からの奇襲。
あらゆる方向から弾丸が飛来する。
ある兵が倒れた。
「狙撃だ!上だ、上!」
別の兵が叫び返す。
「どこだよ、見えねえ!」
混乱は一瞬で広がる。
整然とした隊列は崩れ、分隊ごとの戦闘へと移行する。
これはもはや「戦線」ではなく、「点」の戦いであった。
兵士たちは壁に身を寄せ、息を整えた。
鼓動が早い。
視界が狭まる。
それでも前へ出るしかない。
「行くぞ」
短く言った。
隣の兵が、苦笑とも絶望ともつかぬ表情で答える。
「……マジかよ」
それでも動く。
それが兵士というものである。
だが、市街戦においてはもう一つの要素が加わっていた。
降伏しない敵。
通常であれば、包囲され、退路を失えば、兵は降伏を選ぶ。
それが生存のための合理的判断である。
しかし、この戦場ではそれが起きない。
民国兵は、最後まで抵抗する。
一室一室、路地一つごとに戦いが発生する。
ある公国兵が吐き捨てるように言った。
「クソッ……なんなんだこいつら……!」
別の兵が応じる。
「屍霊かよ……!」
その表現は、あながち誇張ではなかった。
意思ではなく、強制された戦意によって動く兵士。
それは人間でありながら、人間的判断を欠いた存在であった。
結果として、第6師団は着実に敵を圧迫しながらも、同時に消耗していった。
兵力は削られ、士気は摩耗する。
戦術的前進と戦略的消耗。
この二つが同時に進行する戦いは、軍にとって最も忌避すべき状況であるといわれる。
それでも戦いは止まらない。
ノヴァ市街は、いまや巨大な粉砕機と化していた。
そしてその中で、兵士たちはなお進み続けていた。
終わりの見えぬ戦いの中を。




