進む者と退かざる者
ノヴァ奪還戦の火蓋は、砲声によって切って落とされた。
それは近代戦争における常道であったといわれる。まず砲兵によって敵陣を削り、混乱と損耗を与えたのち、歩兵が前進する。
この様式は、工業化以後の戦争における一種の「儀式」にすらなっていた。
公国軍もまた、その例外ではなかった。
ゴザ・ロト中将の命により、第6師団の砲兵は一斉に火を吹いた。
重砲が地鳴りのような音を発し、榴弾が弧を描いてノヴァへと降り注ぐ。
観測将校が叫ぶ。
「着弾確認!中央区画、命中良好!」
別の砲兵が歯を食いしばりながら装填を続ける。
「次弾、装填完了!」
砲撃とは単なる破壊ではない。
それは敵の意思を削る行為である。戦争において、肉体の損害よりも精神の崩壊の方が決定的である場合が多い。このことは多くの戦史が証明している。
だが、この日の砲撃にはもう一つの意味があった。
すなわち、「突撃の前奏」である。
砲撃が一定の効果を上げたと判断するや否や、ロトは躊躇なく次の段階へ移行した。
突撃である。
しかし、この突撃には従来とは異なる要素が加わっていた。
陸戦型魔導車両試作機。
後に「タンク」と俗称される兵器の初期型であった。
それは鉄板で覆われた箱のような外形を持ち、下部には無限軌道、いわゆるキャタピラが装着されていた。塹壕を乗り越え、荒地を踏破し、歩兵の前面に立って盾となる。まさに戦場の構造そのものを変えうる存在であった。
その動力もまた、この世界特有のものである。
炎魔法と揮発油を融合させ、内部で爆発させることによって推進力を得る。
このため、単なる機械ではなく、魔導と工業の混成体とでもいうべき兵器であった。
ある整備兵が呟いたという。
「これは……馬でもなく、機械でもないな」
隣の兵が答えた。
「あぁ、化け物だよ」
その言葉は、ある意味で正しかった。
この試作車両は、従来の戦術体系に属さない存在であった。ゆえに、それを用いる指揮官の発想もまた、既存の枠に収まらないものでなければならない。
ロトは、それを理解していた。
「前進させろ」
短い命令であった。
装甲車両が軋む音を立てて動き出す。
泥を噛み、鉄が唸り、ゆっくりと、しかし確実に前線へと進む。
その後方から歩兵が続いた。
泥にまみれた軍靴が地面を踏みしめる。
砲撃の余韻が残る空気は硝煙と土埃に満ち、視界は霞んでいる。
隣を歩く兵士が言った。
「これ、本当に進むのかよ……」
「進むしかない」
その言葉には、特別な感情は込められていなかった。
ただ事実を述べただけであった。
戦場においては、それ以上でもそれ以下でもない。
やがて、装甲車両が塹壕に到達する。
通常であれば障害となる溝を、それは躊躇なく乗り越えた。
その光景を見た敵兵の一人が叫ぶ。
「なんだ、あれは!」
恐怖とは未知から生まれる。
この兵器は、まさにその未知そのものであった。
そしてロトは、その効果を最大限に利用した。
突撃に次ぐ突撃。
前線は止まらない。
止まれば撃たれる。進めば生きる。
少なくともその可能性がある。
この単純な論理が、兵士たちを前へと押し出した。
ロトの戦いは、つまるところ賭けであったともいえる。
勝敗は敵の戦意に依存する。
苛烈な攻撃に耐えきれず、逃げ出す者が増えれば勝利。
踏みとどまれば、損耗は指数関数的に増大する。
だがロトには、もう一つの計算があった。
ノヴァは、公国の領土である。
すなわち、防衛する側である民国兵にとっては「外国」であった。
人は、自国のためには死ねても、他国の土地のためには死ににくい。
これは戦争心理学の基本であるといわれる。
参謀の一人が、攻撃前にこう言っていた。
「敵の士気は高くないはずです」
ロトは頷いた。
「だから崩れる」
その読みは、当初は当たっていた。
砲撃と装甲車両、そして連続突撃によって、民国軍の前線には明らかな動揺が生じていた。
後退する部隊、指揮系統の混乱、叫び声。
ある民国兵が叫ぶ。
「下がれ!一度下がれ!」
別の兵が応じる。
「無理だ、押されてる!」
だが彼らは、逃げなかった。
いや、逃げられなかった、と言うべきであろう。
その理由は、ノヴァ防衛の中枢にあった。
名誉大佐三人衆。
彼らが発動していた魔法。[参諦]である。
それは三人で一つの術式を構成する、特異な魔法であった。
効果は単純である。
降参を、諦めさせる。
この表現は奇妙に聞こえるかもしれない。
だがその本質は明確であった。
すなわち、兵士から「降伏」という選択肢を奪う。
後方のある将校が、蒼白な顔で呟いたという。
「なぜだ……なぜ逃げない」
その問いに答えられる者はいなかった。
前線の兵士たちは、恐怖に震えながらも銃を構え続けていた。
足は後退を望み、心は逃走を叫ぶ。
だが、逃げない。
一人の兵士が、涙を流しながら叫ぶ。
「嫌だ……死にたくない……!」
それでも、引き金を引く。
この状態を、何と呼ぶべきか。
勇気ではない。
規律でもない。
強制された覚悟。あるいは、絶望の固定化であったに違いない。
この魔法は残酷であった。
だが同時に、極めて有効であった。
戦争において最も恐ろしい存在は何か。
それは訓練された兵士でも、最新兵器でもない。
死ぬまで戦う兵士である。
後退しない軍隊は、壊れない。
壊れない軍隊は、戦場において最も危険な存在となる。
こうしてノヴァの戦場は、異様な様相を呈し始めていた。
一方は、突撃を止めぬ「巨像」。
他方は、退くことを許されぬ「三猿」の軍。
読者諸賢よ、このような戦場を想像できるであろうか。
進むしかない軍と、退けない軍。
その衝突が、いかなる結果をもたらすか。
それは、もはや戦術の問題ではなかった。




