象と猿
敵の準備が整う前に攻める。
これは古来より繰り返されてきた戦争の鉄則である。塹壕が深まり、砲兵陣地が固まり、補給線が安定した後では、攻撃は血を代価とする消耗戦へと変質する。第一次工業戦争以後、その傾向はなお顕著となったといわれる。
ゴザ・ロト中将は、その「時間」という要素を誰よりも重く見ていた将軍であった。
ノヴァ方面において敵が未だ陣地を整え切れていないと知るや否や、中将は躊躇なく決断を下した。
第6師団による総攻撃である。
司令部の天幕において、参謀たちは一瞬言葉を失ったといわれる。
敵兵力は倍、しかも市街を背負う守備軍。
常識的に考えれば、急襲は危険であった。
若い参謀が口を開いた。
「中将、時期尚早では…」
その言葉を遮るように、ロトは地図上の一点を指で叩いた。
「敵はここで止まると思っている」
静かな声であった。
「我々も止まる、と」
参謀が問い返す。
「それが……誤りであると?」
ロトは頷いた。
「そういう時こそ進む。戦争とは、相手の予測を裏切ることだ」
「また….ですか。いやいつも通りですね。」
この言葉は後に戦史家によってしばしば引用されることになる。
彼の戦法を端的に表した一節であった。
突撃に次ぐ突撃。
それがゴザ・ロトという将軍の本質であった。
ゆえに彼は、いわゆる「ドクトリン至上主義者」たちからは嫌われていた。
教範を絶対とし、理論に依拠する将校たちにとって、ロトの戦い方は危険極まりないものに映ったに違いない。
だが、ここで誤解してはならない。
彼の突撃は、決して無謀ではなかった。
砲兵による徹底した弾幕。
歩兵の段階的前進。
機関銃の制圧射撃。
それらを緻密に組み合わせた上での「突撃」である。
前線のある小隊長が、部下にこう言ったという。
「突っ込むぞ。だが走るな、撃ちながら進め」
兵士が笑って応じる。
「いつも通りですね、隊長」
この「いつも通り」という言葉こそ、第6師団の特質であった。
行けるときに行く。
止まると見せて進む。
その繰り返しが、敵の判断を狂わせる。
戦争とは、理論と現実のずれの中で勝敗が決まる営為である、とある軍事思想家は述べているが、ロトはそれを本能的に理解していたのであろう。
ゆえに彼は、型にはまらない。
その一語に尽きる。
公国において、彼は「巨像」と呼ばれていた。
巨大で、鈍重に見えて、しかし一度動き出せば止まらない。
その進撃は時に甚大な損害を伴った。
第6師団の消耗は、他の部隊と比較して常に大きかったと記録されている。
ある古参兵は、戦後こう語っている。
「うちの師団はよく死ぬ。だが、その分よく勝つ」
この言葉は、ロトの戦争観を象徴している。
ロトは身長180cmで、一言で言うとスタイリッシュな出立をしており、雰囲気はインテリジェンスであった。見た目とは裏腹な戦術が彼の魅力でもある。
戦争とは損失の交換であり、その比率を支配した側が勝者となる。
ロトはその現実を直視していた将軍であったに違いない。
一方、ノヴァを守る三人衆もまた、尋常の人物ではなかった。
彼ら名誉大佐三人衆は民国においてそれぞれ、
トモミチは「魅猿」、ソウイは「卑猿」、ナガヤスは「危猿」、と呼ばれていた。
総じて「三猿」と称される。
この呼称は、侮蔑と親愛の入り混じったものであったといわれる。
残忍、狡猾、老獪、その性格を示す一方で、彼らが国家を支える柱であることもまた、誰もが認めていたからである。
政治において彼らは影であり、軍事においては異端の指揮官であった。
ノヴァの重要性を、彼らは誰よりも理解していた。
この都市を失えば、北東戦線は崩れる。
それはすなわち、民国の戦略的敗北に直結する。
ゆえに彼らは、後方に留まらなかった。
前線に出たのである。
砲声の響く中、泥にまみれた兵士たちの前に立ち、檄を飛ばした。
トモミチが叫ぶ。
「ここを守れば国が生きる!」
ソウイが続ける。
「政治は我らが引き受ける。お前たちは撃て!」
ナガヤスは静かに、しかし鋭く言った。
「退くな。退けば終わる」
兵士の一人が、隣の戦友に囁いた。
「本当にあの人たち、大佐なのか?」
「知らん。だが……偉い人だろうな」
「違いねえ」
このようなやり取りが、前線のあちこちで交わされていたと記録されている。
戦場において、指揮官が姿を見せることの意味は大きい。
それは単なる精神論ではない。兵士の行動を変える現実的な要因である。
こうして、ノヴァは二つの異質な存在の衝突の場となった。
公国の「巨像」ゴザ・ロト。
民国の「三猿」名誉大佐三人衆。
力で押し潰す者と、知略で絡め取る者。
その対比は、まるで古代の戦史における英雄譚を思わせる。
だが、これは神話ではない。
近代戦争である。
機関銃が唸り、砲弾が大地を裂き、兵士が泥と血に沈む現実の戦場であった。
ノヴァ奪還戦。
それは、二つの異なる戦争思想が激突する戦いであったといわれる。
そして、その帰趨は、まだ誰にも分からなかった。




