檜舞台
北東戦線、ノヴァ方面。
この地域は、地理的に見れば公国の北東防衛を支える要衝であった。
山地と丘陵が連なり、その間を貫く街道が内陸へと通じている。
この街道を押さえる者が北東戦線の主導権を握る、と軍事史家たちは言う。
その街道の西方に、小高い丘陵があった。
ゴザラの丘と呼ばれる場所である。
この丘に布陣したのが、ゴザ・ロト中将率いる第6師団であった。
第6師団の兵力はおよそ12000。
公国軍の中でも機動戦を得意とする部隊として知られている。
兵士の多くは戦場経験を持ち、装備も比較的整っていた。
しかし、その正面にいる敵は決して軽視できる存在ではなかった。
ノヴァを守るゴイコ民国軍の守備兵は、およそ25000。
単純な兵数だけで言えば、倍以上の差がある。
戦史の常識から言えば、防御側が有利である。
しかも都市を背にした守備軍は、容易には崩れない。
だが戦争というものは、単なる数字では測れない。
民国軍は、つい最近ノヴァを占領したばかりであった。防衛施設の整備はまだ不十分であり、塹壕線も未完成。
砲兵陣地の配置も急ごしらえである。
つまり、防御戦としては未熟な状態であった。
第6師団の参謀の一人が、地図を見ながら言った。
「敵は倍の兵力です」
若い士官であった。
ゴザ・ロト中将は煙草に火をつけながら答えた。
「だが準備がない」
参謀が言葉を継ぐ。
「つまり、攻撃するなら今ですか」
中将は静かに頷いた。
「そういうことだ」
近代戦争において最も重要なのは、時間である。
敵が整う前に攻撃する。
これは古今東西の戦争で繰り返されてきた原則である。
しかしこの戦いを複雑にしていたのは、敵将であった。
ノヴァ守備軍を指揮しているのは、民国でも極めて名の知られた三人の人物であった。
トモミチ・イワナリ名誉大佐。
ソウイ・ミヨシ名誉大佐。
ナガヤス・ミヨシ名誉大佐。
彼らは民国で「名誉大佐三人衆」と呼ばれていた。
この三人の共通点は奇妙である。
いずれも、異世界転生者であった。
この世界において、異世界転生という現象は決して完全に理解されているわけではない。
だが歴史上、時折そのような人物が現れることは知られていた。
彼らは奇妙な知識を持ち、時として常識外れの発想を示す。それが政治や軍事に影響を与える例も少なくない。
名誉大佐三人衆もまた、その典型であった。
トモミチ・イワナリ。
戦術理論に優れ、軍内部では参謀型の人物として知られている。
ソウイ・ミヨシ。
政治的手腕に長け、軍と政府の橋渡しをする存在といわれていた。
そしてナガヤス・ミヨシ。
この三人の中では最も野心的な人物であると評されている。
彼らは軍人でありながら、政治の世界にも深く関わっていた。
実際、民国の国家元首であるアルベルト・キースが総統に就任できた背景には、この三人の働きがあったと広く信じられている。
ある政治史家は、次のように書いている。
「キース体制は、三人衆なくして成立しなかった」
それほどまでに、彼らの影響力は強かった。
さらに奇妙なことがある。
キースの政敵たちは、ことごとく政治の舞台から姿を消していったのである。
ある者は更迭され、
ある者は失脚し、
ある者は、死んだ。
それが偶然であったのかどうかは、今となっては分からない。
しかし政治の裏では、この三人の名がしばしば囁かれていた。
第6師団の司令部でも、その話題は避けられなかった。
若い参謀が言った。
「敵将は名誉大佐三人衆です」
別の参謀が続ける。
「政治家でもある連中ですね」
ゴザ・ロト中将は煙を吐きながら答えた。
「戦場では政治は役に立たん」
そして短く付け加えた。
「役に立つのは砲兵と歩兵だ」
しかし参謀の一人は、やや慎重な声で言った。
「彼らは今回の戦争を煽った人物とも言われています」
それは当時、広く流れていた噂であった。
すなわち、
鐘檎慈戦争そのものが、彼らによって引き起こされたのではないかという説である。
民国の世論を煽り、国家を戦争へと導いた。
そう考える者は少なくなかった。
しかし、なぜ彼らがそのようなことをしたのか。
それは誰にも分からない。
異世界転生者という存在は、ときにこの世界の人間には理解できない行動を取る。
彼らの知識、価値観、野心は、この世界の常識から外れていることがあるからだ。
歴史家の中には、こう書いた者もいる。
「彼らの動機は、彼ら自身にしか分からない」
だが一つだけ確かなことがあった。
名誉大佐三人衆は、単なる政治家ではない。
軍事的才能と野望を兼ね備えた人物である。
そして今、彼らはノヴァを守っている。
ゴザラの丘の上から、ゴザ・ロト中将は遠くの都市を見ていた。
煙がいく筋も立ち上り、砲声が時折聞こえる。
副官が言った。
「敵は侮れません」
中将は静かに答えた。
「だからこそ面白い」
戦争というものは、時として将軍の野心と野心がぶつかる舞台である。
そしてこのノヴァの戦場には
そのような人物たちが、すでに集まり始めていたのであった。




