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混沌

ガジル線会戦の勝利。

それは確かに公国にとって大きな軍事的成功であった。


しかし国家というものは、戦場の歓声の中で立ち止まることを許されない。勝利の直後こそ、次の戦争が始まる瞬間である、と古い戦史家たちはしばしば書き残している。


事実、この時の公国軍もまたそうであった。


ガジル線の砲煙がまだ空に漂う中、司令部ではすでに次の作戦が決定されていた。

奪われた要衝、ムザクバードとノヴァの奪還。

そして南東戦線、モザンビルの救援である。


読者も理解されるであろうが、近代戦争というものは単一の戦場だけで完結するものではない。むしろ複数の戦線が同時に動く巨大な機械のようなものだ。どこか一つの歯車が止まれば、やがて全体が崩壊する。


その意味でガジル線会戦の勝利は、戦争の終わりではなく、むしろ新しい局面の始まりに過ぎなかったのである。


まず東方、ムザクバード方面。


この作戦を担当することになったのは、第1師団であった。

ガジル線会戦の主力として戦った部隊であり、その練度と機動力は公国軍でも屈指といわれている。


戦闘が終わると同時に、第1師団は休息をほとんど与えられなかった。


戦場の後処理、捕虜の管理、戦死者の収容、弾薬や装備の回収といった仕事は、ガジル線守備兵へと引き継がれた。

そして第1師団には、ただ一つの命令が下された。


「即時進軍」


師団司令部のテントで、ある若い参謀が口を開いた。


「元帥、兵の疲労が……」


その言葉を遮るように、アグニス元帥は短く答えた。


「敵も同じだ」


それだけであった。


軍事思想というものは、ときに残酷なほど単純である。

疲れているのは味方だけではない。敵もまた同じである。

ならば先に動いた側が戦争を制する。


こうして第1師団は、戦場の煙が消えぬうちに西へ向けて進軍を開始した。

目標はムザクバード奪還である。


一方、北東戦線では別の作戦が進められていた。


ノヴァ奪還である。


この任務を与えられたのは第28師団であった。

しかしこの師団は、戦闘によって戦力が分散していたため、一度公都に残されていた部隊と合流する必要があった。


鉄道駅では兵士たちが列を作り、補給車両が弾薬箱を運んでいる。


ある若い兵士がぼやいた。


「次はノヴァか……」


隣の兵士が苦笑する。


「休戦って言葉は、この戦争にはないらしいな」


兵士たちはそんな会話をしながら装備を整えていた。

戦争とは将軍の地図の上で動くものではない。こうした無数の兵士の日常の上に成立する制度なのである。


このノヴァ奪還作戦には、すでに先行部隊が存在していた。


ゴザ・ロト中将率いる第6師団である。


第6師団は機動戦に優れた部隊であり、すでに北東方面へ進出していた。

第28師団はその後続として戦線へ合流することになる。


そして南東、モザンビル。


この地域では、いまだ戦闘が続いていた。

都市周辺では砲撃が続き、補給路は不安定であり、守備隊の状況は決して楽観できるものではなかった。


この救援任務を与えられたのが、南東軍所属のマ・ギロ少将である。

彼が率いる第18師団がモザンビルへ向けて進軍した。


出発前、副官が尋ねた。


「将軍、守備隊は持ちこたえられるでしょうか」


マ・ギロ少将は地図を見つめながら答えた。


「持たせるしかない。それが戦争だ。」


その言葉には、軍人特有の冷静さがあった。


戦争というものは、ときに時間そのものが武器になる。救援が一日早ければ都市は守られ、遅れれば崩壊する。

それほどまでに近代戦争は速度を要求するのである。


他方、ガジル線には残る部隊もあった。


トウジョウ上級大将は戦線の安定を優先し、そのままガジル線の指揮を継続した。

戦線というものは勝ったからといって放置できるものではない。守備を怠れば、敵は必ず戻ってくる。


またマック少将も、ムザクバード戦とガジル線会戦という連戦の疲労を抱えながら、部隊とともにこの戦線に残留した。


戦争は、前進する者だけで成立するわけではない。

戦線を維持する者もまた必要である。


さらに戦場の裏側では、別の任務が進められていた。


ルカ准将である。


彼はガジル線会戦で捕虜となった敵兵および武装兵を収容所へ移送する任務を担っていた。


捕虜の管理は、戦争において見落とされがちな仕事だが、実は極めて重要な任務である。

捕虜の数が増えれば、補給や警備の負担も増える。国家の統治能力が試される分野でもある。


ある将校がルカ准将に尋ねた。


「これだけの捕虜をどう処理しますか」


ルカは静かに答えた。


「戦争の後始末だ」


短い言葉であったが、そこには軍人としての諦観があった。


こうして公国軍は三方向へ動き始めた。


東へ第1師団。

北東へ第6師団と第28師団。

南東へ第18師団。


そしてガジル線には、なお大軍が残る。


軍事史家は後年、この瞬間をこう記している。


「ガジル線会戦は終わった。しかし戦争はここから本格的に動き出した」


というのである。


戦争とは、一つの勝利で終わるものではない。

それはむしろ連鎖する戦いの始まりに過ぎない。


この時、公国の指導者たちもまたそれを理解していたに違いない。


戦争は、まだ始まったばかりであった。

そしてこの戦いは、さらに熾烈を極める混沌へと変わっていくのである。

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