騎兵
ガジル線会戦は、すでに勝敗の大勢が決していた。
ゴイコ民国軍は指揮官の判断により降伏を受け入れ、戦線の各所では白旗が掲げられ始めていた。
しかし戦争というものは、将軍が降伏を決断したからといって、すぐに静かになるものではない。
兵士とは国家の命令で戦う存在であるが、同時に一人の人間でもある。
命令が止まったあとでも、怒り、恐怖、誇り、そして復讐心といった感情は残る。
このため、戦史家の多くはこう記している。
「戦闘は降伏の後にも続く」
その一例が、ヌバンパ麾下の多民族国軍左翼であった。
族長ヌバンパの副官であり、左翼部隊の指揮を任されていた男がいる。
ジョチ戦士長であった。
彼は、降伏という選択を拒否した。
参謀の一人が報告した。
「民国軍は降伏したとのことです。」
ジョチはしばらく黙っていた。
荒野を渡る風が、戦場の煙をゆっくり流している。
彼は静かに言った。
「……我らは違う。」
多民族国軍は、国家の軍隊というよりも部族連合の軍勢である。
その戦いはしばしば、政治ではなく名誉や血縁によって決定される。
近代国家の軍人から見れば、それは古い戦争の形であった。
ジョチは部下たちを見渡した。
「部隊を二つに分ける。」
副官が驚いた。
「戦士長……?」
「突撃する者と、撤退する者だ。」
大胆というより、無謀に近い作戦であった。
だが彼にとっては、合理的な選択であったに違いない。
「退きたい者は退け。」
ジョチは言った。
「だが、戦士として死にたい者は」
彼は騎銃を握りしめた。
「ついて来い。」
こうして、多民族国軍の一部は突撃を選び、別の一部は撤退を開始した。
号令がかかる。
「前進。」
馬が歩き出す。
ゆっくりと。しかし確実に。
騎兵隊は次第に速度を上げていった…。
公国軍は騎兵突撃を、淡々と処理した。
すでに戦局は決着している。
勝利した側にとって、この突撃は戦術的意味を持たない。
ただの消耗である。
だからこそ、そこにはどこか虚しさが漂っていた。
機関銃陣地の兵士が言った。
「……また来るぞ。」
別の兵士が答える。
「降伏したんじゃなかったのか?」
「知らん。」
そして隊長が命じる。
「撃て。」
銃声が響く。
「最後の突撃か。」
その声には、わずかな敬意が混ざっていたといわれる。
突撃してくる騎兵は次々と倒れた。
多民族国軍の騎兵は、決して無秩序な部族戦士ではなかった。彼らは近代軍事の影響を受けており、騎兵としての規律を身につけていた。
読者も想像してみてほしい。
古来、騎兵とは戦場の華であった。
草原の遊牧民、帝国の重騎兵、そして近代国家の騎兵連隊。
歴史の多くの戦場で、騎兵は戦局を動かしてきた。
だがその栄光は次第に影を落とし始める。
機関銃。速射砲。連発銃。
これらの兵器が登場すると、密集突撃は致命的な弱点を持つようになった。
それでもなお、騎兵という兵種は完全には消えていない。理由は単純である。
機動力。
近代戦においても、迅速な展開力を持つ部隊は貴重であった。そのため騎兵は形を変えながら生き残った。
つまり彼らは、もはや中世の突撃騎士ではない。
近代騎兵なのである。
近代騎兵の突撃とは、感情に任せて突っ込むものではない。
速度の段階を守り、隊列を維持しながら距離を詰める。
歩調。速歩。駈歩。
そのすべてが訓練された動きであった。
騎兵たちは騎銃を握る。
この戦争において、騎兵はすでに銃兵でもあった。
突撃しながら射撃し、混乱を作り、突破口を開く。
それが近代騎兵の戦術である。
戦史の記録によれば、このときの突撃は「見事であった」と評されている。
隊列は崩れない。
馬の間隔も整然としている。
叫び声もない。
ただ、秩序だけがあった。
それは古い騎兵文化と近代軍事思想が混ざり合った、奇妙な光景であったに違いない。
ジョチは戦士であった。
その戦士としての誇りが、彼に撤退を許さなかったのであろう。
こうして銃声が鳴り止む頃、多民族国軍左翼の抵抗も終わった。
近代戦とは、文明が作った巨大な殺戮装置である。
その中でなお、人間は古い誇りを手放せない。
多民族国軍の騎兵たちは、まさにその象徴であった。
騎銃を握り締め、隊列を保ち、彼らは突撃した。
それは確かに、
近代騎兵に則った、秩序ある最後の突撃であった。




