夢惨
蓮岩山に据えられていた雷魔導式16インチ砲が火を噴いたとき、戦場の様相は一変したといわれる。
この砲の存在は、公国軍内部でもごく限られた者しか知らなかった。
戦史研究家の間では「ガジル線会戦の隠された主役」とさえ評される兵器である。
その巨大砲は、静かに、しかし確実に戦局へ介入した。
第28師団の前面には、すでに同盟軍の部隊が密集していた。
ゴイコ民国軍右翼の一部。
北東ノヴァより到着した機動部隊。
そして族長ヌバンパが率いる多民族国精鋭騎兵。
三方向から押し寄せた軍勢は、第28師団を包囲せんばかりの勢いであった。
しかし、戦場というものは往々にして、勝利の直前に破滅が潜む。
その瞬間、蓮岩山から放たれた砲弾が、空気を裂いた。
「……今のは?」
ある民国兵が顔を上げたという。
次の瞬間、地平線が爆発した。
轟音は雷鳴のようであった。
いや、それ以上のものであったと記録されている。
16インチ砲弾が地面に突き刺さると、土砂と鉄片が空へ舞い上がり、爆圧が周囲の兵士をなぎ倒した。
そして遅れて、耳を裂くような破裂音が戦場を覆った。
砲撃は一発では終わらない。
蓮岩山の地下施設では、砲員たちが黙々と作業していた。
「装填!」
「仰角そのまま!」
「発射準備完了!」
指揮官が短く命じる。
「……撃て。」
再び雷鳴。
巨大砲弾は空を切り裂き、28師団の前面に密集していた同盟軍へ降り注いだ。
その光景を目撃した兵士は、少なくない。
多くの証言が一致している。
人間が消えた。
それは誇張ではない。
爆発の中心にいた兵士は、肉体の形を保てなかった。
衝撃波と破片が人体を引き裂き、土砂と混ざり、戦場の泥となった。
民国軍の兵士たちは驚愕したであろう。
戦闘はすでに終盤に差し掛かっていた。
双方の兵力も消耗している。
それにもかかわらず、公国軍は新たなカードを切ってきたのである。
国家の戦争というものは、時としてこのような底力を見せる。
平時には見えない技術、隠された兵器、秘匿された作戦。
それらが、戦場という極限の場で突然姿を現す。
そしてその時、兵士は悟る。
自分たちは国家の巨大な歯車の一部でしかないと。
雷導式16インチ砲の砲撃は、同盟軍の隊列を一方的に引き裂いた。
民国兵の隊列は爆発によって裂け、兵士は肉片となり、地面には深いクレーターがいくつも開いた。
そしてそれは、ヌバンパの多民族国軍も例外ではなかった。
騎兵隊は突撃の最中であった。
馬は密集していた。
そして密集している部隊ほど、重砲の餌食になりやすい。
砲弾が落ちた瞬間、馬と騎兵は同時に吹き飛んだ。
爆風で馬は宙へ投げられ、騎兵は鞍から引き剥がされる。
地面に落ちたときには、もはや人の形を保っていない者も多かった。
しかし、ここで同盟軍にとって致命的であったのは、退却できなかったことである。
彼らはすでに第28師団へ深く食い込んでいた。
戦術的に言えば、これは「攻勢の成功」に近い状況であった。
だが戦場には、成功の一歩先に破滅がある。
退くには遅すぎた。
前方には28師団。
背後には砲撃。
側面には混乱する部隊。
兵士たちはその中で立ち尽くすしかなかった。
民国軍右翼を指揮していたミュシャ・ハーバー少将は、この光景を遠方から見ていた。
副官が叫ぶ。
「少将! 敵の重砲です!」
ハーバーは望遠鏡を下ろした。
しばらく何も言わなかった。
そして静かに呟いた。
「……あれは戦争ではない。」
副官が顔を向ける。
ハーバーは疲れたように言った。
「肉屋の肉挽きだ。」
この言葉は後年、彼の日記に記されていたことで知られている。
戦史家の間では、ガジル線会戦を象徴する言葉として引用されることが多い。
機動部隊の援軍も、ヌバンパの多民族国軍も、すでに統制を失っていた。
隊列は崩れ、命令は届かず、兵士はそれぞれ勝手に逃げ始める。
近代軍隊において、統制の崩壊は敗北を意味する。
この瞬間を、第28師団は見逃さなかった。
司令部では、コロイス大将が命じた。
「……今だ。」
参謀が即座に復唱する。
「第28師団、全線前進!」
伝令兵が走り出した。
塹壕の中で待機していた兵士たちが顔を上げる。
「攻撃命令だ!」
「前進!」
機関銃が吠え、歩兵が塹壕から飛び出す。
28師団は崩壊し始めた同盟軍の右翼へ突撃した。
そこから先の展開は、戦史の教科書がよく示す典型的な崩壊であった。
右翼は立て直そうとした。
ハーバー少将も部隊を再編しようとする。
「隊列を整えろ!」
「砲兵を前に出せ!」
だが戦場はすでに混乱していた。
前方からは第1師団の攻撃
右方からは28師団の突撃。
側面からは残存部隊の衝突。
後方からは雷導砲の砲撃。
命令は届かず、兵士は状況を理解できない。
軍隊とは秩序の集合体である。
その秩序が崩れたとき、軍隊はただの群衆になる。
右翼は崩壊した。
その崩壊は、瞬く間に戦線全体へ波及した。
右翼が崩れると、中央軍は側面を晒す。
中央を指揮していたスチャ・ルーデン大将は、ただちに撤退を決断した。
だがその時、運命が彼を見放した。
一発の砲弾が司令部近くに着弾した。
爆風がテントを吹き飛ばし、ルーデンは重傷を負った。
「大将!」
参謀が叫ぶ。
しかし司令官を失った軍は、さらに混乱する。
そこで指揮を引き継いだのが、右翼のハーバー少将であった。
彼は状況を見渡した。
崩壊した右翼。
混乱する中央軍。
迫る第28師団。
そして遠くで響く、あの巨大砲の轟音。
ハーバーは長く息を吐いた。
副官が言う。
「少将、撤退命令を…」
ハーバーは首を振った。
「……いや。」
そして静かに言った。
「降伏する。」
戦場には時として、勇気よりも冷静さが必要になる。
無意味な死を重ねるより、軍を救う判断。
それもまた、指揮官の責務である。
こうしてガジル線会戦は、決着へと向かっていった。
雷魔導式16インチ砲の轟音は、敵味方問わず多くの兵士の心に深く刻まれた。




