ガジル線会戦
ガジル線会戦。
この名は後世の歴史書にしばしば登場するが、その実相を簡潔に語ることは難しい。
なぜなら近代戦の会戦というものは、言葉で説明できるほど整然としたものではないからである。
戦史家の多くは、近代戦をこう表現する。
「狂気の舞台」
それは誇張ではない。
この戦場には、互いに10万近い兵士が集められていた。
国家が動員できる若者のかなりの部分である。
彼らは銃を持ち、砲を据え、機関銃を並べ、そして互いを殺すために整列していた。
読者は想像してほしい。
これは決闘でもなければ、英雄譚でもない。
国家という巨大な意志が、十万の人間に殺し合いを命じているのである。
しかもこの戦いは、ただの局地戦ではなかった。
戦場の各所には、すでに歴史に名を刻みつつある将軍たちが指揮を執っていた。
公国軍
アドニス・フォン・グフタス元帥
中央防衛線
トウジョウ上級大将
第28師団
コロイス大将
そして同盟側には
スチャ・ルーデン大将
族長ヌバンパ
軍事史に名を残す将軍たちが、一つの戦場で互いの才覚をぶつけ合っていた。
その結果、戦場では人間の限界が試されていた。
歩兵は、脚が動かなくなるまで走った。
泥の塹壕から飛び出し、機関銃の弾幕をくぐり抜け、倒れる仲間を踏み越えて前へ進む。
騎兵は、馬とともに倒れた。
弾丸に撃たれた馬は狂ったように暴れ、騎手を地面に叩きつける。
そして騎兵は、その馬の首を抱きながら息絶えることもあった。
砲兵は砲身が焼けつくまで撃ち続けた。
装填手は火傷した手で砲弾を抱え、照準手は煙の中で敵影を探す。
弾薬箱が空になるまで撃ち続け、それでもなお次の砲弾を求めた。
機関銃手は三脚にしがみついた。
銃身が赤く焼け、交換用銃身が足りなくなると、水をかけながら撃った。
伝令兵は弾雨の中を走り、倒れ、また別の兵士がその伝令を引き継いだ。
このような光景が、戦場のいたるところで繰り返されていた。
つまり、これが戦争である。
英雄も栄光もある。
だがその下には、必ず膨大な死体が横たわっている。
そしてその混沌の一角で、
第28師団はとりわけ激しい戦闘に巻き込まれていた。
戦場地図の上で見れば、28師団の位置はまさに交通の要衝であった。
彼らの正面には
ゴイコ民国軍右翼の一部。
側面からは
北東ノヴァより到着した民国機動部隊。
そしてさらに
ヌバンパ率いる多民族国精鋭騎兵500余。
この三方向からの圧力を同時に受けていたのである。
第28師団司令部では、参謀たちが絶えず地図を書き換えていた。
「左翼、敵騎兵接近!」
「機動部隊、南側丘陵を突破!」
「弾薬補給、30分以内に尽きます!」
報告が重なるたび、机の上の地図には新しい赤線が引かれる。
その中心に立っていたのが
コロイス大将であった。
彼は望遠鏡を下ろし、遠くの騎兵隊を見た。
砂煙の向こう。
先頭に立つ一騎の男。
ヌバンパである。
コロイスは静かに言った。
「……愚かだね。」
参謀が振り向く。
「閣下?」
コロイスは小さく首を振った。
「国家の戦争に私怨を持ち込むなんてね。」
戦争とは国家の意志である。
個人の感情で動くものではない。
少なくとも近代国家の軍人は、そう教育される。
ヌバンパの行動は、その原則から外れていた。
だがコロイスは同時に理解していた。
28師団が劣勢であることもまた事実である。
三方向から圧力を受ける状況は、戦術的には極めて危険であった。
参謀の一人が言う。
「敵の主力がこちらに集中しています。」
コロイスはうなずいた。
「……そうだな。」
そして、わずかに笑った。
「それでいい。」
コロイスはすでに別のことを考えていた。
ここで少し、公国の背景を説明しておく必要がある。
公国は海に面する領土がごくわずかであった。
そのため海軍力は貧弱であり、長年国家の弱点とされていた。
だが近代国家において、海は生命線である。
貿易、補給、海外進出。
いずれを考えても制海権の確保は不可欠であった。
この問題を憂いた公国政府は、密かにある計画を進めていた。
新型戦艦の開発。
そしてその戦艦の主砲として、ある巨大兵器が設計されていた。
雷魔導式16インチ砲。
その試作開発が行われていた場所こそ蓮岩山。
表向きはただの地下洞窟であったが、
その内部には軍の秘密開発施設が存在していた。
新型戦艦用主砲。
その威力はまだ誰も知らない。
だが軍部は一度だけ、
実戦に近い条件で試射したいと考えていた。
そして今。コロイスは戦場を見渡した。
第28師団の周囲には、同盟軍が群がっている。
民国軍。
機動部隊。
ヌバンパの騎兵。
彼は小さく呟いた。
「……いい的だ。」
参謀が驚いた顔をする。
コロイスは静かに言った。
「雷魔導式16インチ砲。」
「その威力を試すには」
そして地図の一点を指した。
「これ以上ない条件だ。」
戦争とは、時に残酷な実験場でもある。
この瞬間、
蓮岩山に設置された新兵器が、
静かにその砲口を
ガジル線の戦場へ向け撃たれた。




