日は未だ…
戦史において、戦局が大きく動く瞬間というものは、必ずしも大軍同士の衝突によって生まれるわけではない。むしろ、わずかな判断と、わずかな時間差が、後世の歴史家をして「ここが転機であった」と言わしめることが多い。
ガジル線の戦いにおいても、まさにその瞬間が訪れようとしていた。
公国軍最強と謳われる 第1師団 が総攻撃を開始すると、その動きは瞬く間に戦線全体へ波紋のように広がった。
戦争というものは、潮の満ち引きに似ている。
一箇所で潮が満ちれば、周囲もまた押し出される。
第1師団の突撃を見た ガジル線守備兵 もまた、呼応するように塹壕から躍り出た。
「前進だ! 第1師団が来たぞ!」
「撃て! 撃ち続けろ!」
泥にまみれた歩兵たちは銃剣を装着し、機関銃班は三脚を引きずりながら射撃位置を変える。砲兵は観測兵の叫びを頼りに照準を修正し、砲弾を撃ち込んだ。
塹壕という閉じた世界に閉じ込められていた兵士たちにとって、攻勢とは一種の解放でもある。
防御の緊張より、前進の興奮のほうが人を動かすのである。
その様子を中央司令部で見ていたのが トウジョウ上級大将 であった。
彼は戦線の変化を読み取ると、静かに息を吐いた。
「……今だ。」
副官が振り向く。
「閣下?」
トウジョウは小さく苦笑した。
「まったく。」
そして呟いた。
「1日に2回も使うことになるとはな……」
彼は再び魔法を発動した。
[猛火]
その瞬間、戦線の空気が変わった。
兵士たちの胸の奥に、再び火が灯る。
疲労と恐怖で鈍っていた精神が、一気に燃え上がる。
一人の若い歩兵が叫んだ。
「将軍様がまた火をつけたんだ。」
そして塹壕の上に飛び出した。
「行くぞ! 押し返す!」
戦場の一角では、銃声と怒号が重なり合い、煙が低く漂っていた。
その攻勢の波を、遠方から眺めていた男がいた。
族長ヌバンパ。
彼は馬上から戦場を見渡していた。
その視線は鋭かった。
やがて、苦笑する。
「……やっぱりな。」
副官が尋ねる。
「どうされました。」
ヌバンパは言った。
「この隙を見逃してくれるほど甘い相手じゃない。」
彼の視界の先では、第1師団の騎兵隊が動き始めていた。
公国軍は、同盟軍の不和を見抜いていた。
そしてそれを突く形で総攻撃に出たのである。
戦争とは、相手の弱点を突く競技でもある。
相手が転んだ瞬間に剣を振り下ろす者が勝つ。
ヌバンパは舌打ちした。
しかし、その目はむしろ楽しそうであった。
「……いいだろう。」
低く笑う。
「そっちがその気なら…」
そして空を見上げた。
「残り回数は少ねえが。」
副官が振り向く。
ヌバンパは肩をすくめた。
「死んだら残弾数も残り回数も関係ねえ。」
そして言った。
「こっちもやってやるよ!」
次の瞬間、ヌバンパの魔法が発動した。
[俊頼]
多民族国軍の兵士たちの動きが一瞬で変わった。
足取りが速くなり、反応が鋭くなる。
だが、ヌバンパはそれを主力に任せた。
「主力は副官に任せる。」
副官が驚いた顔をする。
「族長?」
ヌバンパは短く命じた。
「左翼へ戻れ。」
「敵の攻勢を止めろ。」
副官は理解した。
つまり
「族長は?」
ヌバンパは笑った。
「俺は別件だ。」
彼の周囲には、500にも満たない騎兵しかいなかった。
その小さな部隊を率いて、彼は馬を向ける。
目的地は一つ。
第28師団。
コロイス大将のいる場所である。
「行くぞ。」
ヌバンパは言った。
「今日は借りを返す日だ。」
騎兵たちは静かに頷いた。
そして馬を蹴った。
一方その頃、戦場の中央では新たな力がぶつかろうとしていた。
公国軍側には
キトブカ名誉大佐の魔法 [馬闘]。
トウジョウ上級大将の [猛火]。
対する同盟側には
ヌバンパの [俊頼]。
戦場は、三つの力が交差する構図となった。
歴史家はこの瞬間を、しばしばこう表現する。
「戦場の歯車が噛み合った瞬間」であった、と。
時刻は 15:00。
銃声と砲声の中で、
騎兵、歩兵、砲兵、そして魔法が絡み合い、
ついに本格的な決戦が始まった。
この戦いは後に、戦史の中でこう呼ばれることになる。
ガジル線会戦。
そして、この日この場所で起きた戦いこそが、
その名の由来となったのである。




