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馬闘

戦場というものは、常に一枚岩ではない。

とりわけ同盟軍というものは、利害の糸で束ねられた束のようなもので、強く見えても内側では常にほころびが生まれている。ガジル線の戦いの中盤に起きた出来事は、その典型例であったといわれている。


族長ヌバンパ率いる多民族国軍は、残存兵力の一部を左翼に残したまま、主力を南西方向へと移動させ始めた。

目標はただ一つ。


第28師団。


彼らはガジル線突破を諦め、コロイス大将の師団を叩くことへ戦略を転換したのである。


しかしこの決断は、同盟側にとって極めて厄介なものであった。


同盟軍のもう一つの主力、ゴイコ民国軍の立場からすれば、まさに迷惑この上ない行動であったといえる。


なぜならば、まだ戦闘は終わっていなかったからである。


撤退するかどうかすら決まっていない。

仮に撤退するにしても、


・どの部隊が後衛を務めるのか

・どの街道を使って退くのか

・どこで再集結するのか


といった戦術的段取りは何一つ整っていなかった。


近代戦争というものは、鉄道と補給の戦争である。

軍隊は勇気だけでは動かない。秩序と計画がなければ、ただの群衆と変わらない。


その秩序を、ヌバンパは独断で乱しつつあった。


ゴイコ民国軍総司令官、スチャ・ルーデン大将は報告を受けると顔をしかめた。


司令部の天幕の中、地図の上には赤と青の駒が並んでいる。

参謀が慌ただしく報告した。


「多民族国軍、進路を変更。28師団方向へ転進しています。」


ルーデンはしばし沈黙した。


そして低く言った。


「……何を考えている。」


参謀の一人が恐る恐る口を開く。


「コロイス大将への私怨……という説があります。」


ルーデンは舌打ちした。


「戦争を決闘と勘違いしているのか。」


その言葉には、軍人としての苛立ちが滲んでいた。


同盟軍というものは、往々にしてこのような問題を抱える。

利害の異なる国家が一つの戦場で戦うとき、指揮権の統一は常に不完全になる。


ルーデンはすぐに決断した。


「伝令を出せ。」


副官が頷く。


「ヌバンパに伝えろ。」


「元の位置へ戻れ。戦線を維持しろ。」


伝令はすぐに騎馬で出発した。

泥だらけの戦場を駆け抜け、ヌバンパの陣へ向かう。


だがヌバンパは止まらなかった。


伝令が到着した頃、すでに多民族国軍の主力は動き始めていた。


「ルーデン大将からの命令です。元の戦線に…」


伝令の言葉を、ヌバンパは手で制した。


「戻らん。」


短く言った。


その眼は遠くの戦線を見ていた。


「コロイスはここで潰す。いや潰さなければならない。ルーデン大将には伝えといてくれ。すまないと。あとは任せたと。」


幕僚たちは沈黙した。

それが無謀であることは理解していた。


しかし族長の決意は固かった。


戦争において、理性よりも感情が勝つ瞬間がある。

この時のヌバンパは、まさにその状態にあった。


そしてこの同盟軍内部の不和。

戦線に生まれた小さな隙。


それを見逃す男ではなかった。


公国軍元帥

アドニス・フォン・グフタス。


彼は前線観測所で望遠鏡を下ろした。


「……なるほどな。」


静かな声で言った。


参謀が尋ねる。


「敵は転進しています。」


「多民族国軍です。」


アドニスはうなずいた。


「見える。」


そして小さく笑った。


「敵は割れた。」


戦争というものは、しばしば兵力差で決まる。

しかし歴史家は同時にこうも指摘する。


戦線の“隙”こそが勝敗を決める。


アドニスは迷わなかった。


「第1師団へ伝達。」


参謀が身を乗り出す。


「命令は?」


アドニスは言った。


「総攻撃。」


命令は瞬く間に伝令によって各連隊へと伝えられていく。


塹壕の兵士たちは銃を握り直した。

砲兵隊は射撃準備を整える。


そしてアドニスは、もう一つ命令を出した。


彼の背後に立つ一人の士官へ視線を向ける。


キトブカ名誉大佐。


この男もまた、異世界転生者であった。


「キトブカ。」


「はい、元帥。」


「魔法を使え。」


キトブカは軽く笑った。


「了解しました。」


彼の魔法は [馬闘]。


馬と、それに跨る兵士の身体能力を向上させる魔法である。


ここで読者は、ある疑問を持つかもしれない。


騎兵?

この機関銃と砲兵の時代に?


しかし、この時代の軍事を理解するには一つ重要な事実がある。


第一次世界大戦前後の技術水準では、騎兵はまだ完全に時代遅れではなかった。


塹壕戦では無力に見えるが、

戦線が乱れた瞬間


突破、追撃、包囲。


これらの局面では騎兵は依然として恐るべき機動力を発揮する。


とくに敵の統制が乱れた瞬間、騎兵は戦場の剣となる。


キトブカは目を閉じ、小さく呟いた。


「……馬闘。」


その瞬間であった。


第1師団の騎兵隊の馬が一斉に首を振り、荒く鼻息を鳴らした。

兵士たちの視界が鋭くなり、体が軽くなる。


一人の若い騎兵が言った。


「……なんだ?」


隣の兵士が笑う。


「キトブカ殿の魔法だ。」


遠くでラッパが鳴った。


突撃準備。


アドニス元帥は地平を見つめていた。


「行け。」


その声は静かだった。


しかし次の瞬間、

第1師団の騎兵隊が一斉に駆け出した。


戦場の均衡が、

いま崩れようとしていた。

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