表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/36

この戦いについて語るとき、まず記しておかねばならない事実がある。

それは小糸がすでに一度、時を戻しているということである。


歴史というものは、本来、後戻りを許さない。国家の意思決定も、将軍の判断も、兵士の死も、いったん起きれば二度と巻き戻ることはない。

それゆえ戦史とは、取り返しのつかぬ過去の集積であるともいわれる。


しかしこの時代、この世界には例外が存在した。

魔法である。


もっとも、当時の魔法はすでに衰退しつつある技術であった。古代文明の遺産ともいえるそれは、銃弾を防ぐことも、砲弾の破壊を止めることもできない。近代兵器の前ではほとんど無力であり、軍事的には補助技術として細々と用いられているにすぎなかった。


だが、その中にひとつだけ異質な術がある。

それが小糸の「時巻」魔法である。


小糸は、この術を一度使用している。


なぜならば、最初のガジル線の戦いは、完全なる敗北で終わっていたからであった。


時を戻す前のガジル線の守備兵力は25,000。

総司令官はグエン・カイ中将であった。


兵力だけを見れば、防御としては決して不十分ではない。むしろ近代戦の常識に照らせば、塹壕戦において守備側は兵力以上の戦力を持つとされる。鉄条網、機関銃座、砲兵陣地これらが整備されていれば、防衛線は5倍近くの敵をも止めうる。


ガジル線もまた、そのような防御線として築かれていた。しかし戦争とは、理論だけでは動かない。


攻撃開始と同時に、ヌバンパの魔法が戦場に投入された。

 

そして、それに呼応するかのように総司令官グエン・カイ中将がほとんど抵抗らしい抵抗をせず、撤退命令を出したのである。


砲兵の集中射撃も命じない。

予備兵力の投入も行わない。


ただ、退却であった。


軍隊というものは、指揮官の精神をそのまま戦線に映す鏡である。

撤退命令は瞬く間に全軍へ伝わり、ガジル線は崩壊した。


後に明らかになるが、グエン中将は同盟側に内通していた。


国家防衛の要であった防衛線は、内側から開かれた扉のように突破されたのである。


戦史において、この種の裏切りは珍しくない。

しかし、その結果は常に壊滅的である。


 


この報告を公都で聞いたとき、小糸はしばし沈黙したといわれる。


軍司令部の作戦室には重い空気が漂っていた。地図の上には赤鉛筆で引かれた戦線があり、その中央に「ガジル線」と記されている。


小糸は静かに言った。


「この戦いは、やり直す必要があります」


その場にいた参謀たちは顔を見合わせた。


コロイス大将が問う。


「僕も考えていたよ。言ってごらん。」


小糸は答えた。


「[時巻]魔法を使います」


室内の空気が止まった。


参謀の一人が低く言う。


「理由は」


「このままでは、ガジル線は突破されます」


小糸の声は静かであった。


だが、その確信は揺るがなかった。


コロイス大将はしばらく沈黙したのち、短く言った。


「許可する」


こうして小糸は時巻魔法を発動した。


時間は巻き戻された。


 

戻った直後、小糸は直ちに動いた。


まず公王に対し、グエン・カイ中将の更迭を求める報告を提出した。内通の可能性を示し、緊急措置として指揮権の剥奪を提案したのである。


政治というものは、戦争と同じく迅速さを要する。

公王はこの進言を受け入れ、中将は即座に更迭された。


さらに小糸は、敵の作戦目的を明確にした。


同盟軍の狙いはガジル線突破である。


それが明確になった以上、対策は単純である。


守備兵を増強する。

指揮官を交代させる。

そして敵の側面を突く。


そしてトウジョウ上級大将が配置された。


さらに小糸は、別の命令を出した。


「28師団を蓮岩山へ」


参謀が地図を見ながら言った。


「洞窟があります。隠れられますが……」


「収容できる兵力は?」


「多くて4000」


小糸は頷いた。


「それで十分です」


時間がなかった。


そのため28師団は完全編成ではなかった。即応可能な部隊と周辺駐屯兵を急ぎ集めた結果、兵力はおよそ4000にとどまった。


だが戦争において、兵数だけがすべてではない。


配置と時機それが重要である。


 

そして現在。


蓮岩山の洞窟から、28師団が南下した。


ゴイコ民国軍の右翼を突いたのである。

その瞬間、戦場の秩序は崩れた。


混乱。


戦争において、この言葉ほど恐ろしいものはない。


命令は届かず、部隊は方向を見失い、兵士は敵味方の区別すらつかなくなる。


伝令が叫ぶ。


「右翼が崩れた!」


将校が怒鳴る。


「持ちこたえろ!」


しかし兵士たちはすでに混乱の渦に巻き込まれていた。


考えてみてほしい。

日常生活でさえ、人は道に迷えば不安になる。

右も左も分からぬ状態になれば、人間は恐怖する。


それが戦争の最中に起きたならどうなるか。


そこは秩序ある軍隊ではない。

ただの群衆である。


そして戦場における群衆とは

最も悲劇的な存在である。


28師団の側面攻撃により、ゴイコ民国軍の右翼は完全な混乱に陥った。


もしこの出来事を物語として読むならば、人はそれを「悲劇の物語」と呼ぶであろう。


だが戦争とは、そもそも悲劇そのものなのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ