裏
この戦いについて語るとき、まず記しておかねばならない事実がある。
それは小糸がすでに一度、時を戻しているということである。
歴史というものは、本来、後戻りを許さない。国家の意思決定も、将軍の判断も、兵士の死も、いったん起きれば二度と巻き戻ることはない。
それゆえ戦史とは、取り返しのつかぬ過去の集積であるともいわれる。
しかしこの時代、この世界には例外が存在した。
魔法である。
もっとも、当時の魔法はすでに衰退しつつある技術であった。古代文明の遺産ともいえるそれは、銃弾を防ぐことも、砲弾の破壊を止めることもできない。近代兵器の前ではほとんど無力であり、軍事的には補助技術として細々と用いられているにすぎなかった。
だが、その中にひとつだけ異質な術がある。
それが小糸の「時巻」魔法である。
小糸は、この術を一度使用している。
なぜならば、最初のガジル線の戦いは、完全なる敗北で終わっていたからであった。
時を戻す前のガジル線の守備兵力は25,000。
総司令官はグエン・カイ中将であった。
兵力だけを見れば、防御としては決して不十分ではない。むしろ近代戦の常識に照らせば、塹壕戦において守備側は兵力以上の戦力を持つとされる。鉄条網、機関銃座、砲兵陣地これらが整備されていれば、防衛線は5倍近くの敵をも止めうる。
ガジル線もまた、そのような防御線として築かれていた。しかし戦争とは、理論だけでは動かない。
攻撃開始と同時に、ヌバンパの魔法が戦場に投入された。
そして、それに呼応するかのように総司令官グエン・カイ中将がほとんど抵抗らしい抵抗をせず、撤退命令を出したのである。
砲兵の集中射撃も命じない。
予備兵力の投入も行わない。
ただ、退却であった。
軍隊というものは、指揮官の精神をそのまま戦線に映す鏡である。
撤退命令は瞬く間に全軍へ伝わり、ガジル線は崩壊した。
後に明らかになるが、グエン中将は同盟側に内通していた。
国家防衛の要であった防衛線は、内側から開かれた扉のように突破されたのである。
戦史において、この種の裏切りは珍しくない。
しかし、その結果は常に壊滅的である。
この報告を公都で聞いたとき、小糸はしばし沈黙したといわれる。
軍司令部の作戦室には重い空気が漂っていた。地図の上には赤鉛筆で引かれた戦線があり、その中央に「ガジル線」と記されている。
小糸は静かに言った。
「この戦いは、やり直す必要があります」
その場にいた参謀たちは顔を見合わせた。
コロイス大将が問う。
「僕も考えていたよ。言ってごらん。」
小糸は答えた。
「[時巻]魔法を使います」
室内の空気が止まった。
参謀の一人が低く言う。
「理由は」
「このままでは、ガジル線は突破されます」
小糸の声は静かであった。
だが、その確信は揺るがなかった。
コロイス大将はしばらく沈黙したのち、短く言った。
「許可する」
こうして小糸は時巻魔法を発動した。
時間は巻き戻された。
戻った直後、小糸は直ちに動いた。
まず公王に対し、グエン・カイ中将の更迭を求める報告を提出した。内通の可能性を示し、緊急措置として指揮権の剥奪を提案したのである。
政治というものは、戦争と同じく迅速さを要する。
公王はこの進言を受け入れ、中将は即座に更迭された。
さらに小糸は、敵の作戦目的を明確にした。
同盟軍の狙いはガジル線突破である。
それが明確になった以上、対策は単純である。
守備兵を増強する。
指揮官を交代させる。
そして敵の側面を突く。
そしてトウジョウ上級大将が配置された。
さらに小糸は、別の命令を出した。
「28師団を蓮岩山へ」
参謀が地図を見ながら言った。
「洞窟があります。隠れられますが……」
「収容できる兵力は?」
「多くて4000」
小糸は頷いた。
「それで十分です」
時間がなかった。
そのため28師団は完全編成ではなかった。即応可能な部隊と周辺駐屯兵を急ぎ集めた結果、兵力はおよそ4000にとどまった。
だが戦争において、兵数だけがすべてではない。
配置と時機それが重要である。
そして現在。
蓮岩山の洞窟から、28師団が南下した。
ゴイコ民国軍の右翼を突いたのである。
その瞬間、戦場の秩序は崩れた。
混乱。
戦争において、この言葉ほど恐ろしいものはない。
命令は届かず、部隊は方向を見失い、兵士は敵味方の区別すらつかなくなる。
伝令が叫ぶ。
「右翼が崩れた!」
将校が怒鳴る。
「持ちこたえろ!」
しかし兵士たちはすでに混乱の渦に巻き込まれていた。
考えてみてほしい。
日常生活でさえ、人は道に迷えば不安になる。
右も左も分からぬ状態になれば、人間は恐怖する。
それが戦争の最中に起きたならどうなるか。
そこは秩序ある軍隊ではない。
ただの群衆である。
そして戦場における群衆とは
最も悲劇的な存在である。
28師団の側面攻撃により、ゴイコ民国軍の右翼は完全な混乱に陥った。
もしこの出来事を物語として読むならば、人はそれを「悲劇の物語」と呼ぶであろう。
だが戦争とは、そもそも悲劇そのものなのである。




