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堅塹

ガジル線の戦いは、戦闘開始からすでに5時間を経ようとしていた。

それでもなお、攻撃の波は衰える気配を見せていなかった。


戦争というものは、時間の感覚を歪める。

都市の人間にとっての5時間とは、朝の仕事を始めてから昼食を取るまでの程度の長さであろう。しかし戦場における5時間とは、人間が人間を殺すという行為が最も濃密に圧縮された時間であるといわれる。


この時代、すでに戦争は騎士の決闘でも英雄の武勇でもなくなっていた。

機関銃、榴弾砲、航空機。

産業文明が作り出した兵器は、かつてない速度で人命を消費していたのである。


ガジル線の丘陵は、その文明の重みをまともに受け止めていた。


斜面には死体が折り重なっている。

最初に倒れた兵士の身体を踏み越え、次の兵士が突撃する。

そしてその兵士もまた銃弾に倒れる。


屍の上を、屍が越えてゆく。


鉄条網には兵士の肉体が裂けて絡みつき、奇妙な形でぶら下がっていた。

軍服は血に染まり、肉は乾き、やがてそれは兵士ではなく、ただのタンパク質の塊へと変わる。


後世のある戦史家は、この光景について次のような比喩を残している。


もし自分が印象派の巨匠であったなら、この光景を油絵にして後世に残したであろう。


文明とは不思議なものである。

人類は自らの残酷さを、しばしば芸術という形で保存する。

戦争の記録もまた、その一種であるに違いない。


さて、この時点の戦況を現代的な比喩で説明するならば、こう言えるであろう。


もしガジル線という防衛線の耐久力をHP100とするならば、すでに25を削られ、残りは75程度であった。


この消耗の主因は明白であった。


多民族軍の族長、ヌバンパの魔法[俊頼]である。


この魔法は兵士の行動速度を1.25倍に引き上げる。

 


しかし戦場では、その差が致命的であった。

銃を構える速さ。

塹壕へ飛び込む瞬間。

手榴弾を投げる動作。


すべてがわずかに速い。


戦争というものは、しばしばそのわずかによって勝敗が決まる。

歴史を振り返れば、文明の命運すら、数秒の差で決まった例がいくつもある。


ガジル線の守備兵は、その速度に翻弄された。


戦闘前半は、かなり厳しい戦いであったといわれる。

中央司令壕では参謀たちが地図を囲んでいた。


「敵突撃隊、再度接近」


伝令兵が報告する。


「やはり早いな…」


若い参謀が思わず呟いた。


「イかれた魔法だ」


別の参謀が答えた。


「兵士の動きが、まるで早送りだ」


トウジョウ上級大将は司令壕の奥で静かに戦況図を見ていた。


彼にも魔法があった。


[猛火]兵士の戦闘意思を極限まで高める強化魔法である。 戦争とは結局、人間の精神が最後の決定要因となる。どれほど兵器が発達しても、兵士が恐怖に負ければ戦線は崩れる。


猛火とは、その恐怖の上に炎を灯す魔法であった。


この魔法がなかったならば、どうなっていたか。


おそらくどこかの塹壕で逃亡が起きていたであろう。

そして戦争とは堤防のようなものである。


一箇所の破れが、やがて全体の崩壊へと広がる。


ガジル線が崩れなかったのは、この魔法の存在が大きかったといわれる。


さらに戦局を変えたのは、航空戦力であった。


上空では航空機のエンジン音が絶えず響いていた。


守備軍の航空部隊、雷空機である。


一方、ゴイコ民国の航空機は純粋な機械航空機であった。

いわゆる通常型航空機である。


結果は明白であった。


雷空機の方が速い。


空戦が始まると、雷空機は容易に敵機の背後を取った。機銃が火を吹く。敵機が煙を引いて墜落する。


塹壕の兵士が空を見上げた。


「味方だ!」


「雷空機だ!」


歓声が上がる。


制空権というものは、兵士の士気を大きく左右する。

空を支配する軍隊は、地上でも優位に立つことが多い。


やがて同盟軍の攻撃はわずかに鈍り始めた。


この間、戦線を支えていたのが両翼の将軍であった。


右翼、マック少将。


左翼、ルカ准将。


二人の指揮は堅実であった。


右翼司令壕。


「焦るな」


マック少将が言った。


「守備戦とは、敵の力が尽きるのを待つ戦いだ」


参謀が頷く。


「敵は速いが、持久力はありません」


一方、左翼のルカ准将は負傷兵の後送を指示していた。


「崩れるな」


「隊列を整えろ」


その声は落ち着いていた。


こうした堅実な指揮があったからこそ、戦線は崩壊しなかったのである。


そして


敵の攻撃が、わずかに怯んだ瞬間。


戦場の裏側で、もう一つの軍隊が動き始めた。


ガジル線の北東。

岩肌が折り重なる険しい山


蓮岩山。


その地下には天然の洞窟が広がっていた。


そこに潜んでいた部隊がある。


第28師団。


その師団の中には小糸がいる。


洞窟の中では兵士たちが静かに待機していた。


「外は相当やってるらしいな」


一人の兵士が呟いた。


「音だけで分かる」


別の兵士が答える。


「砲声が途切れない」


そこへ伝令が走り込んできた。


「命令だ!」


「第28師団、出撃準備!」


師団司令部。


指揮官はコロイス大将であった。


地図を見ていた彼は、ゆっくり顔を上げた。


参謀が報告する。


「敵の攻撃が鈍りました」


コロイスは軽く笑った。


「そうね」


そして、まるで散歩にでも出るような口調で言った。


「……さぁ始めよっか」


その言葉とともに、進軍命令が下された。


洞窟から兵士たちが次々と現れる。

銃を担ぎ、岩山を下る。


小糸もまた、その隊列の中にいた。


彼らの進撃方向は南。


すなわち、ゴイコ民国軍の側面である。


第28師団は蓮岩山から南下し

ゴイコ民国軍へ攻撃を開始した。


ガジル線の戦いは、この瞬間、新たな局面へと突入したのである。

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