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孵化

帝都メルトの降伏からしばらくののち、戦争は書類の上で終わることになる。

戦争というものは、戦場で終わるとは限らない。むしろ多くの場合、最後に決着をつけるのは外交官と条約文である。歴史を振り返れば、それは常にそうであった。


この戦争もまた例外ではなかった。


後に「ゴゴマリスタン条約」と呼ばれる講和条約が締結されたのは、帝都陥落から数ヶ月後のことである。

場所は中立都市ゴゴマリスタン。古くから交易都市として知られ、戦時においては外交の舞台となることが多かった都市であった。


講和会議には、ベルト公国・フライル帝国双方の外交官、軍代表、そして中立国の監視団が出席していたといわれる。

重厚な石造りの議場には、戦争の終わり特有の静けさがあった。


銃声の代わりに、ペンの音が響く。

戦争の最後とは、だいたいそういうものだ。


条約の主な内容は三点である。


第一に。


ベルト公国・フライル帝国国境より西84kmまでのゴザイ地方を、ベルト公国へ割譲すること。


このゴザイ地方という地域は、単なる国境地帯ではない。

丘陵地帯と鉄道網が交差する、戦略上きわめて重要な地域であった。

古来、国境とは線ではない。

帯である。


軍事的に安定した国境とは、一定の深さを持つ防衛地帯を意味する。

ベルト公国がこの地域を求めたのは、将来の戦争を見据えた安全保障上の判断であったに違いない。


第二に。


オモニ要塞の放棄、および解体。

これは象徴的な条項であった。


あの東方防衛線の要石であった要塞が、今や条約によって完全に消されることになる。

石壁も砲塔も、すべて撤去される。


歴史の皮肉というべきかもしれない。


帝国の威信を象徴した要塞が、最終的には外交文書の一行で存在を否定されたのである。


第三に。


賠償金8億アドの支払い。


この数字は、帝国財政にとって決して軽いものではなかった。

むしろ国家財政を数年単位で圧迫する規模であったといわれる。


もっとも、戦争に敗れた国家にとって賠償金とは珍しいものではない。

歴史を見れば、敗戦国が経済的負担を負う例はいくらでも存在する。


国家とは巨大な組織であり、その失敗の代償は往々にして国民が払うことになる。


これは冷酷ではあるが、戦争という制度の宿命でもある。


条約には他にも、貿易協定や鉄道使用権、通商条約など細かな項目が並んでいた。

だが、それらをすべて語り始めれば長くなる。

ここでは割愛しておこう。


ともあれ、このゴゴマリスタン条約によって、フライル帝国との戦争は形式上終結した。


しかし戦争というものは、往々にして一つの戦線だけで行われるわけではない。


ベルト公国は、もう一つの敵と戦っていた。

ゴズ王国である。


帝国との戦争が終わった後、公国政府はただちにゴズ王国との和平交渉を開始した。

この時点で、ゴズ王国戦線の戦況は公国側に有利に進んでいたといわれる。


実際、公国軍はすでに国境地帯を越えて王国内部へかなり攻め込んでいた。

鉄道の拠点都市をいくつも占領し、補給線も安定していた。


つまり、軍事的には交渉を有利に進められる状況であったのである。


外交というものは、しばしば戦場の延長である。


兵士が銃を置いたあと、外交官が言葉で戦う。

それが国家というものの作法である。


こうして5年におよぶ鐘譜護べるふご戦争は、最終的にベルト公国の勝利という形で終結した。


この戦争は、後世の軍事史家から様々な評価を受けている。


ある者は、近代兵器が旧来の戦争観を破壊した戦争であったと述べる。

またある者は、魔法文明の終焉を象徴する戦争であったと記している。


いずれにせよ、この戦争が時代の転換点であったことは間違いない。


そして敗戦国であるフライル帝国も、この戦争を契機に大きな変化を迎えることになる。


皇帝クライム・ドム・バッハ7世。

長く帝国を統治してきたこの皇帝は、敗戦の責任を取る形で退位した。


歴史において、敗戦はしばしば政治体制を揺るがす。

国家の威信とは、戦争と切り離せないからである。


後継として即位したのは、嫡男クラバル・ドム・バッハ。


当時まだ若かったが、聡明な人物として広く知られていた。

帝国官僚の間でも評判が高く、「改革皇帝になるのではないか」と期待する声もあったという。


敗戦は国家に傷を残す。


だが同時に、新しい時代の入口となることもある。


歴史とは、そういう奇妙な循環で動いている。


さて


戦争が終われば、軍人にもまた変化が訪れる。


戦争とは、若者を一瞬で老人にし、同時に一瞬で将校にする制度でもある。


この戦争によって、小糸は中佐となった。


功績があれば昇進する。

それが軍隊という組織の単純な論理であった。

だがこの二階級特進は異例であった。


昇進の辞令が届いたとき、小糸は軍司令部の廊下に立っていたといわれる。


昇進したナリー中佐が声をかけた。


「メイ中佐」


まだ呼び慣れない階級である。


小糸はわずかに苦笑した。


「まだ慣れませんね」


ナリーは笑いそして


「戦争のあとってのは、みんなそんなもんですよ。

生き残った者が、上に行く」


それは冗談のようでいて、軍隊の現実をよく表していた。


一方、小糸の上官であったコロイス中将もまた昇進していた。


階級は大将。


戦役全体の指揮功績が評価された結果である。


ある副官がその知らせを伝えたとき、コロイスは書類から顔を上げて言った。


「そうね〜」


それだけであった。


副官が少し驚いた表情をすると、彼は静かに続けた。


「階級が上がっても特にやることはかわらないからね〜」


窓の外には、戦後の帝都が広がっていた。


戦争は終わった。


だが国家というものは、戦争のあとも続く。


軍人もまた、その中で生き続けるのである。


小糸の部隊でも小さな昇進が発表された。


部隊の四人の士官であるクルー准尉、ヒューイ准尉、ガトー少尉、ハリー少尉はいずれも一階級昇進した。クルー少尉、ヒューイ少尉、ガトー中尉、ハリー中尉となったのでる。


もっとも、この昇進は彼らにとって当然の報酬であったといえる。彼らは先の戦役において小糸の下で働き、激戦の中を生き抜いた。兵士というものは、戦場を生き残るだけでも功績といわれるほど過酷な職業である。


だが。この昇進の中で、ひときわ目立つ人物がいた。

それが小糸である。

彼は二階級昇進を果たし、中佐となった。


軍隊という組織において二階級昇進は珍しい。まして戦歴の浅い若い士官がそれを成し遂げるとなれば、なおさらであった。


部下たちが内心どう思っているか、それは小糸にも容易に想像できた。


なぜこの人が二階級も昇進しているのか。

おそらく彼らは、そう考えているに違いない。


小糸はそれを理解していた。


もし許されるなら、彼はすべてを話してしまいたかった。

自分が時を巻き戻し、未来を知ったうえで戦争を戦っていることを。だが正直今回の自分の[時巻魔法]の功績で勝利を掴み取ったとは言えない程度の働きであった。過大評価である。


なぜこのような処置待遇をしたのか小糸にも不明だった。


だが、それは語れる話ではない。


歴史の裏側には、しばしば誰にも語られない事情が存在する。

それは国家の秘密である場合もあり、あるいは個人の胸の奥に沈められた真実である場合もある。


小糸の場合、それは後者であった。

彼はその思いを胸の奥に押し込み、表情を整えた。


そして部下たちに向き直る。


「皆、昇進おめでとう」


小糸の声は、軍人としての落ち着きを備えていた。


「帝国・王国との戦争は勝利に終わった。我らがベルト公国は、現在聖戦している国家はない。だが軍人である以上、平和は準備の時間にすぎない。愛する祖国のため、常日頃から精進し、備えを怠らぬように」


この言葉は、軍人としては極めて正統な訓辞であった。戦争が終わった直後の軍隊では、しばしば士気の弛緩が起こる。人は危険が去ったと感じた瞬間、警戒心を失うからである。それゆえ、将校たちは兵士にこう言い聞かせる。

 

平和とは戦争の準備期間である、と。


すると、クルー少尉が敬礼しながら口を開いた。


「中佐も昇進おめでとうございます! コロイス大将から伺いました!」


「『すべて中佐のおかげだよ』と仰っていました!」


 その言葉に、小糸はわずかに苦笑した。


すべて自分のおかげ。皮肉のようにも思えた。


もし歴史家がこの戦争を記すなら、そんな単純な結論にはならないだろう。

戦争とは、多くの偶然と多くの人間の意思が絡み合って成立する巨大な現象である。


その時、ガトー中尉が口を挟んだ。

「正直に申し上げますと」


彼女は腕を組み、少し照れくさそうに笑った。


「中佐のもとに配属され、最初に作戦を聞いたときは」


一瞬、言葉を選ぶように間を置く。


「『これだから貴族のお坊ちゃんは』と思っていました」


小糸は思わず目を細めた。


やはり、そう思われていたか。


「ですが」


ガトー中尉は続けた。


「まさか、中将…あ、いや大将とあそこまで考えていた作戦だったとは。驚きました」


歴史家がこの戦争を記すなら、そんな単純な結論にはならないだろう。戦争とは、多くの偶然と多くの人間の意思が絡み合って成立する巨大な現象である。


小糸は内心で苦笑した。


またあの作戦の大部分は、コロイス大将の思考によるものである。小糸自身の発想というより、未来の記憶と大将の戦略が組み合わさった結果だった。


実戦経験の少なさ。


それが小糸の弱点であることを、彼自身がよく知っていた。


すると、ヒューイ少尉が軽い調子で言った。


「私は最初から中佐を信頼していましたよ」


にやりと笑う。


「だって、余裕がありましたから。あんな作戦を最初に聞いたのに、全然慌てていませんでしたし」


それを聞いたハリー中尉が、すぐに言葉を重ねた。


「私は逆でしたね」


肩をすくめる。


「実戦をなめている阿呆だと思っていました」


さらりと言った。


「ですが意外とやるのですよ、中佐は」


とヒューイ少尉

そして続けて少し面白そうな顔で言う。


「もしかして、特別な魔法でも使っているんですか?」


この世界には魔法が存在する。

だが、それはすでに衰退した技術であった。


古代には都市を焼き払うほどの魔法もあったと伝えられるが、現在の魔法は通信や観測などの補助技術にすぎない。銃弾も砲弾も、防ぐことはできない。


つまり戦争の主役は、すでに火薬である。


それでも人々は、理解できない才能を目にすると魔法の存在を疑う。人間とは、そういう生き物なのだろう。


小糸はふと、四人を見渡した。


会話していて、いつも思う。


彼らは年下であり、しかも小糸は貴族という設定である。普通ならば、もっと遠慮があってもよいはずだった。


だがどうにも、彼らは小糸を少し下に見ている節がある。


子爵という爵位は、決して低くない。

本来ならば、若い士官が軽口を叩く相手ではない。


(どうせ貰うなら侯爵ぐらいにしておけばよかったか)


小糸は心の中でそんなことを考えた。

もちろん、そんなことは今さら変えられない。


少し考えた末、小糸は思い切って聞くことにした。


「皆」


四人がこちらを見る。


「今だから聞くが」


小糸は真顔で言った。


「もしかして、私のことを」


一拍置く。


「『お坊ちゃんで、家柄だけで出世した人間』だと思っているか?」


一瞬の沈黙。


そして。四人は顔を見合わせた。次の瞬間。


「「「「はい!!!」」」」


見事なまでに声が揃った。

小糸は、思わず吹き出した。


軍隊という組織では珍しいほど、率直な答えだったからである。だが、彼は怒らなかった。


むしろ、どこか肩の力が抜けたような気分になった。


軍人というものは、上官に対して必要以上にかしこまるものだ。

しかし、それは時に組織を硬直させる。


戦場では、率直な意見を言える部下のほうが役に立つ。


小糸は軽く息を吐いた。


「……なるほど」


そして言った。


「ならば一つ提案がある」


四人が顔を上げる。


「周囲に人がいないときは、もう少し気楽に話して構わない」


小糸はわずかに笑った。


「そのほうが、私も楽だ」


兵士たちの間に、小さな笑いが広がった。


歴史を振り返れば、強い軍隊には共通点がある。

それは階級秩序を守りつつも、内部には奇妙な親密さが存在することだ。


この日、小糸の部隊にはその種が蒔かれた。


それが後にどのような運命を招くか。


その時の彼らは、まだ知らなかったのである。

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