悲観花
帝都メルトの戦いは、後世の戦史においてしばしば奇妙な戦闘として語られる。
奇妙と記す理由は単純である。
戦いと呼ぶにはあまりにも短すぎた。
ある軍事史家は、後年この戦いについてこう記している。
あれは戦闘ではない。虐殺であった。
帝都メルトの陥落とは、戦場において勝敗が決したというよりも、すでに国家としての抵抗力を失っていたフライル帝国が、最後の形式を終えただけの出来事に過ぎなかった、という見方である。
もっとも、この評価は決して誇張ではない。
そこへ至るまでの経緯をたどれば、むしろ穏当な結論であったとさえ言える。
オモニ要塞は、フライル帝国東方防衛線の要石であった。石造りの巨大城壁、地下に張り巡らされた弾薬庫と砲台、そして鋼鉄で覆われた装甲砲塔。
だが、真に重要であったのは構造物ではない。
そこに込められていた「象徴」である。
帝国の軍人にとって、オモニ要塞とは単なる軍事拠点ではない。
それは「帝国はまだ強い」
という信念そのものの具現であった。
帝国軍士官学校では、オモニ要塞は「東方の門柱」と呼ばれていた。
文明の門柱である。そこが立っている限り、帝国の秩序は揺るがない。
そう信じられていた。
その要塞が、ほぼ無傷の状態で公国軍の手に落ちた。
軍事地図の上でそれを見れば、鋼鉄で編まれた戦線に、巨大な穴が穿たれたように見えたに違いない。
そして戦争というものは、穴が開けばそこから崩れる。これは古来変わらぬ戦史の法則である。
28師団以下の攻撃隊が帝都へ向けて進軍を開始したとき、帝国側参謀本部はすでに深刻な混乱の中にあったといわれる。
補給線の遮断。
東部軍の壊滅。
王国軍との連携崩壊。
それらが一度に押し寄せたのである。
国家というものは、外敵よりも内部の混乱によって倒れることが多い。
歴史を振り返れば、その例は枚挙にいとまがない。
帝都メルトの戦いもまた、その典型であった。
だが一方で、帝都メルトには帝国最後の精鋭指揮官たちが集まっていたことも事実である。
「鉄人」の渾名を持つマック・フバンディ上級大将。
さらに帝都東方には、開戦と同時に構築された防御陣地群が存在した。
塹壕線、機関銃陣地、観測壕、鉄条網。
それらは本来、近代戦争において都市防衛の骨格となるべき施設であった。
しかし
その防御陣は、攻撃開始とともに無惨にも破壊された。
公国軍の重砲による集中砲撃。
そして雷空機による爆撃と機銃掃射。
塹壕は崩れ、機関銃陣地は土煙に埋もれ、観測所は炎上した。
帝国軍の防御線は、数時間で戦闘能力を失ったのである。
理由は単純であった。
帝国軍には、新兵器に対する対抗策がほとんど存在しなかった。
雷空機に対する対空砲は未整備であり、観測網も不完全だった。
さらに重砲による遠距離砲撃への対抗砲兵戦能力も、オモニ要塞陥落によって大半を失っていた。
つまり帝都東方の防御陣は、近代戦争の新しい形態に対して、あまりにも脆弱だったのである。
戦争史というものは、しばしば兵器の変化によって書き換えられる。
そして帝都メルトの戦いもまた、そうした転換期の一例であったといえる。
攻撃開始の朝。
公国軍の砲兵陣地には、巨大な砲が整列していた。
鹵獲された15インチ砲である。
もともとは帝国軍がオモニ要塞に配備していた重砲であった。それが今では、帝都へ向けられていた。
砲兵中尉が照準器を覗きながら、ぽつりと呟いた。
「妙な気分だな」
隣に立つ砲兵曹長が肩をすくめた。
「昨日まで敵の砲だったものを、今日は俺たちが撃つ」
中尉は苦笑した。
「戦争ってのは、こんなもんか」
曹長は少しだけ空を見上げ、静かに言った。
「戦争ってのはな」
一拍置く。
「中身より先に旗が変わるもんだ」
その言葉は、ある意味で戦争の本質を言い当てていたのかもしれない。
国家とは巨大な組織である。
だがその実体は、旗と命令系統の集合に過ぎない。
旗が変われば、軍隊もまた変わる。
やがて一人の伝令兵が砂煙を上げて駆け込んできた。
「砲兵隊、射撃準備!」
将校たちは懐中時計を取り出した。
帝都メルトの城壁は、遠く霞んで見えていた。
その背後には宮殿群と行政区画が広がっている。
帝国という国家の中枢である。
そしてそこには、兵士だけではない。
無数の市民が暮らしていた。
丘の上で、小糸はその光景を見ていた。
初めての大戦役。
そして帝都攻撃。
普通の士官であれば、胸が高鳴る場面であったに違いない。
しかし、小糸の表情はどこか静かであったといわれる。
隣にいたナリー少佐が声をかけた。
「メイ大尉、砲撃が始まります」
小糸は小さく頷いた。
視線の先には、帝都の城壁がある。
文明というものは、石を積み上げて都市を作る。
だが戦争とは、その石を崩す技術でもある。
そして近代戦争とは
その技術を極端に発達させた文明でもあった。
やがて号令が響く。
「撃て!」
次の瞬間。
15インチ砲が火を噴いた。
轟音。
大地の震動。
空へ立ち上る黒煙。
巨大な砲弾は弧を描きながら帝都へ落下し、城下町で爆発した。
遅れて衝撃音が丘へ届く。
続いて雷空機が飛来した。
「爆撃開始!」
爆弾が投下された。
市街地で火柱が上がる。
悲鳴。銃声。警鐘。
帝都メルトは一瞬にして戦場となった。
しかし抵抗は、ほとんどなかった。
帝国軍守備隊は散発的な射撃を行ったものの、組織的な防衛線は形成されなかった。
砲兵陣地も沈黙し、城門守備隊も次第に姿を消していく。
理由は、ある意味で明白であった。
戦局は、すでに決していたのである。
オモニ要塞陥落によって、帝国東方防衛線は完全に崩壊していた。
帝国政府は、その事実を誰よりも理解していた。
さらに帝国には、もう一つの不運があった。
帝国には、マザーハーロックの他にも二人の異世界転生者が存在していた。
氷槍使い
ボブ・テイラー大将。
そして
紫炎のカミジョウ名誉大佐。
この二人の魔法は、100年前であれば間違いなく最強の兵器であった。
氷槍は騎兵を貫き、城門を凍結させる。
紫炎は石壁を溶かし、兵団を焼き払う。
だが時代は変わっていた。
近代戦争においては、機関銃が歩兵を倒し、榴弾砲が都市を破壊する。
航空機が空から爆弾を落とす。
個人の魔法は、砲兵中隊一つにも及ばない。
つまり彼らの能力は、戦術的価値をほとんど持たなくなっていたのである。
その中で唯一、近代戦争に適応できる能力を持っていた人物がいた。
マザーハーロックの[電磁砲]である。
それは航空機すら撃墜しうる、極めて稀有な能力であった。
しかしその人物は、すでに死んでいた。
要塞内部の混乱の中で、王国兵によって暗殺されていたのである。
結果として帝国側には、近代戦争で実質的価値を持つ特別な魔法使いがほとんど残っていなかった。
正直に言えば、この時代において魔法を用いた戦法が意味を持つには、例外的な技術が必要であった。
小糸の[時巻魔法]。
あるいはマザーハーロックの[電磁砲]。
それほど未来的な能力でなければ、近代兵器の前では戦場的価値を持たないのである。
戦争とは残酷なものである。
英雄の能力ですら、時代によって価値が消える。
文明の進歩とは、そういう冷酷な仕組みで動いている。
攻撃開始から半日。
それだけの時間が過ぎた頃であった。
帝都メルトの城壁の上に、白旗が掲げられた。
公国軍の将校が双眼鏡を下ろした。
「……終わりだな」
隣にいた参謀が静かに答えた。
「国家が降伏した瞬間です」
こうしてフライル帝国政府は、攻撃開始からわずか半日で降伏したのである。
帝都メルトの戦い。
それは戦闘というより
一つの国家が歴史から退場した瞬間であった。




