矜持
オモニ要塞の降伏は、戦史の上では「比較的整然とした終結」であったと記されている。
もっとも、その直前までの混乱を知る者からすれば、それはほとんど奇跡に近い秩序であったに違いない。
爆撃によって、帝国軍守備隊の最高指揮官であったテリー大将は、側近の幕僚たちとともに姿を消していた。
後に確認された記録によれば、司令部壕の上部に落ちた爆弾が直撃し、ほぼ一瞬の出来事であったといわれる。
近代戦争において、指揮官の死というものは決して珍しいものではない。
しかし要塞戦において司令官が突然消えるという事態は、軍隊組織にとって極めて致命的である。
なぜなら、要塞とは単なる石と鉄の集合体ではないからである。
そこに秩序を与えるのは、常に人間である。
司令官を失った守備隊は、まるで舵を折られた戦艦のような状態になった。
それでもなお、降伏交渉の席に現れた者がいた。
西門の指揮官、デデ・チャール准将である。
彼は瓦礫に覆われた要塞の西門から、わずかな護衛兵とともに姿を現した。
制服は煤に汚れ、軍帽には爆風で裂けた跡があったと記録されている。
だが、その歩みは不思議なほど落ち着いていたという。
「准将閣下、こちらへ」
公国軍の士官が案内すると、チャール准将は静かに頷いた。
「案内を頼む。これ以上、無駄な死者を出すつもりはない」
その声には、敗北を認めた軍人特有の乾いた冷静さがあったといわれる。
戦争というものは、勝利の瞬間よりも敗北を受け入れる瞬間に、その国家の品格が現れる。
歴史家の中には、そう述べた者もいる。
この日のチャール准将の態度は、少なくとも軍人としての矜持を保っていたと評されている。
降伏交渉は要塞外の臨時司令部で行われた。
長机の向こうには公国軍の中将。
そしてその背後には参謀たちが並んでいた。
准将が席に着くと、中将は簡潔に言った。
「要塞は包囲されている。抵抗は無意味だ」
准将は静かに頷いた。
「承知している。我々もそれ以上の流血を望んでいない」
短い沈黙が流れた。
戦争の交渉というものは、往々にして外交よりも率直である。
なぜなら、互いの背後には砲兵隊がいるからである。
参謀の一人が書類を差し出した。
「降伏条件です」
准将は目を通し、ゆっくりと息を吐いた。
「……合理的だ」
それだけであった。
こうして交渉は驚くほど円滑に進んだ。
要塞内の兵力
帝国兵5000名。
王国兵1500名。
彼らはすべて捕虜となった。
鹵獲された兵器もまた膨大であった。
15インチ砲が8門。
榴弾砲7門。
さらに要塞倉庫には、弾薬・糧食・医療物資が潤沢に残されていた。
だが、軍事的に最も価値があったのは、それらではなかった。
要塞そのものである。
オモニ要塞は、外壁の大部分がほぼ無傷の状態で手に入った。
これは要塞戦としては極めて稀な結果であった。
通常、要塞は攻撃側と守備側の双方によって破壊される。
攻撃側は突破のために砲撃し、守備側は陥落を防ぐために自爆的破壊を行うからである。
しかし今回は違った。
要塞は、内部から崩壊した。
そしてその結果、公国軍は巨大な軍事拠点をほぼ無傷で手に入れたのである。
戦略地図の上で言えば、それは一本の鋭い線であった。
帝都メルトの喉元に、ナイフを突きつけたような位置である。
交渉が終わった後、司令部の空気はどこか軽かった。
参謀たちは鹵獲兵器の報告書を整理し、伝令兵が忙しく走り回っている。
その中で、中将は突然声を上げた。
「メイ大尉!」
振り向くと、小糸、この戦いで偵察と情報分析を担当していた士官が立っていた。
中将は満面の笑みで言った。
「君のおかげで最高の作戦を立てられたよ!」
そして大きく笑った。
「ありがとう!HAHAHAHAAHAHAHA!!」
戦場の司令官がこれほど露骨に上機嫌になるのは珍しい。
それほど今回の勝利は鮮やかであった。
小糸は敬礼した。
「ありがとうございます。正直、私も驚きました」
一瞬、言葉を選ぶように間を置く。
「私の魔法と、中将の的確な判断力があれば……向かう先、敵なしですね」
周囲の参謀たちが思わず笑った。
小糸自身も、その言葉に少し驚いていたに違いない。
普段の彼は、ここまで感情を露わにする人物ではなかった。
しかし初めての大きな勝利というものは、人の心を高揚させる。
それは古今東西、変わらない人間の性質であった。
中将は楽しそうに肩を揺らした。
「おやおや、今日は気分がいいねぇ、メイ大尉〜」
そして軽く指を立てた。
「でもね」
その声は、急に軍人のそれに戻った。
「10日後には帝都へ向けて出発だよ〜」
小糸は少し目を見開いた。
「かなり早い進軍予定ですね」
中将は地図の上を指でなぞった。
オモニ要塞から帝都メルトへ続く街道。
「ああ」
静かに言う。
「だが敵も、これほど早く行動してくるとは考えていない」
そして指を止めた。
「そこを突く」
軍事というものは、往々にして速度の競争である。
敵の予想より早く動いた軍隊は、それだけで半分勝っているとさえ言われる。
小糸は頷いた。
「たしかに」
参謀たちも同意したように地図を見つめていた。
帝都アルテリス。
帝国の政治・軍事・経済の中心。
そこに向けて、この軍は動こうとしている。
それはすでに局地戦ではなかった。
国家の命運を左右する戦役の始まりであった。
10日後。
28師団を主力とする攻撃隊は、部隊を再編成した。
鹵獲した砲兵の配置換え。
捕虜の移送。
補給線の整備。
兵士たちは忙しく働いていた。
ある歩兵が荷車を押しながら言った。
「次は帝都だってよ」
隣の兵士が笑った。
「帝都?冗談だろ」
「冗談じゃないらしい」
二人は顔を見合わせた。
そして、どちらともなく言った。
「……大戦だな」
近代国家の戦争は、しばしば一つの勝利から雪崩のように拡大する。
オモニ要塞の陥落もまた、その連鎖の始まりであった。
やがて号令がかかった。
「出発準備!」
兵士たちが整列する。
軍旗が風に揺れる。
そして28師団以下、攻撃隊は帝都メルトに向けて進軍を開始したのである。




