3話 妹の髪を乾かす/鯨谷りんの一夜作戦
それは、ある日曜日のことだった。一人で──りんちゃんは研究にお熱だった──商店街を歩いて食材を買い込んでいると、一枚の抽選券を貰った。どうやら商店街でキャンペーンをやっているらしく、一定以上の金額のお買い物をすると抽選ができるとのことだった。
折角なのでやってみることにした。仮設テントの抽選会場で、はっぴを着たお兄さんに券を渡す。木でできた八角柱の箱を回して、出てきた球の色で投球が決まるという奴だ。
「どうぞお姉さん」
「よい、しょ……結構重いですね……と、何色かな?」
数回転させると、箱の側面について穴から小さな球が出てきた。見ると、緑色をしている。緑色は何賞だったか──とパネルを見るや否や、からんからんと大きな音が耳元で鳴った。
「おめでとうございます、一等です!」
「え? 緑が?」
「はい! うちは、緑町商店街なので!」
「……金色とかじゃないんだ」
どうやら、緑色は一等賞だったらしい。からんからんとベルを鳴らして、係の人達は口々に「一等が出ました!」「一等賞です!」「一等! 一等!」と言い騒ぐ。注目されて恥ずかしい反面、一等が当たったのは嬉しい。
さて、一等の景品は何だろう。そう思っていると、係の人が「こちらが景品です!」と、一枚の封筒を手渡してくれた。どうやら一等の景品は、高級旅館のペア宿泊券だったようだ。──確かこの旅館、1泊夕朝食付きで、一人8万円ぐらい、したような……?
「ささ、どうぞ!」
「あ、ありがとうございます」
封筒をかばんにしまい、会場を後にする。──ペア宿泊券か。そうだ、りんちゃんを誘って旅行に行ってみるのはどうだろうか。次の連休なら私も大分暇だ。
幼い頃、私とりんちゃん、それぞれの家族で旅行に行ったことが一度ある。りんちゃんはうきうきとしていて、私も楽しかった。私が大人になり、彼女も成長した今、もう一度旅をしてみたい。そんな気持ちになっていた。
◇
「と言う訳なんだけどさ。どうかな、りんちゃん。次の連休、一緒に旅行に行かない?」
その日の夕食。二人で食卓を囲みながら、私は打ち明けた。……内心、「研究の方が有意義だ」「……あまり外に出るのは好みではないな」と断られることも想定していた。けれど、返ってきた答えは違っていた。
「絶対行く!」
即答だった。あまりの勢いに、状況が理解できなかった。少しして、彼女が承諾したのに気が付いた。
「え? あ、い、行くんだよね?」
「だから、そう言っただろう? ……ボク様が行くと言っただけで、何をそんなに驚くことがあるんだ」
「あ、ご、ごめんね? その、ちょっと考え事しちゃってたかも」
「……ふーん?」
まさか、「行かないって言うんじゃないかなと思っていた」なんて言える訳も無く。私はその場を誤魔化した。りんちゃんはむすっとしながらも、ご飯を食べ進める。今日の献立は、夏でもさっぱり冷しゃぶだ。ヘルシーだし、ビタミンが豊富なので、夏の食卓にはよく並ぶ。
「……まあいいか。それで、叶葉。行き先はどこなんだ? ペア宿泊券があたった、というのは聞いたけれど」
「そう、そこ気になるよねぇ~。なんと~これ、です!」
じゃじゃん! と、私はペア宿泊券を取り出す。そこに書かれているのは、在里凪温泉竜閣荘。私の想像通りならば、1泊8万円の高級宿だ。
「……ああ、在里凪温泉か。で、竜閣荘……結構高級だったのではなかったか?」
「そう! しかも良く見たらさ、ほらここ。なんと、ちゃんと晩ご飯も、朝ご飯もついてくるんだよね」
チケットを指さす。細かい条件が書かれた所には、確かに夕朝食付きの文字がある。夕食はすき焼きで、朝ご飯は御膳らしい。
「へえ、いいじゃないか。……へえ、叶葉。どうやら、露天風呂付きの部屋らしいぞ」
「わ、本当だ!」
りんちゃんの指が、別の所を指す。なるほど、かなりグレードの高いプランらしい。せいぜい数千円の買い物が、ここまで化けるとは。あの商店街、今後も通おう。
「ふふ、叶葉と旅行か。懐かしいな……あの時はまだ、ボク様は小学生だったかな?」
「そうそう。その頃のりんちゃん、とっても可愛かったなぁ……勿論、今も最高に可愛いけど」
「……ふ、そうか。……まあ、悪い気はしないな」
彼女はそこで、俯いてお茶を飲んだ。喉が渇いていたのか、ごくごくと一息で飲み干した。出がらしの麦茶を注いであげると、そちらも半分ほど一気に飲む。顔を上げた彼女の頬は赤い。暑かったのだろうか。冷房は効いている筈だけれど。
「それで、日程は次の連休で良い? 勿論、用事があるなら優先して大丈夫だよ、私の方で合わせるから」
「いや、空いているから問題ないよ。……それに、お姉ちゃんとの旅行なら……他の予定なんて……」
「え、何か言った?」
「……何も」
彼女は私の提案に首肯する。途中、なにかぼそぼそと呟いていたけれど、お茶を注いでいて聞こえなかった。
そうこうしているうちに二人ともご飯を食べ終わっていた。
「ごちそうさま」
「ごちそうさま……りんちゃん、今日はお風呂、どうする? 先に入る?」
「そうするよ。……その、少し運動していて、汗が、な」
「うん、分かった。じゃあ、すぐ沸かすね!」
ボタン一つで、風呂の湯が沸く。随分と楽だ。一人暮らしをしている同僚には羨ましがられる。ただ、りんちゃんが言うには「ボク様なら五右衛門風呂の物件だろうがリモコンはつけられるぞ?」とのことだ。流石はりんちゃんだ。
数分待てば、お風呂が入ったことを知らせる音楽が鳴る。鳴るや否や、りんちゃんは風呂場へ。中々に素早い動きだ。結構汗をかいていたのかな。
「よーし、皿洗いだ」
彼女の風呂を待つ間に、皿を洗うことにした。りんちゃんは結構長風呂だ。まあ、あれだけ綺麗な長い髪なのだから、当然と言えば当然だけれど。
「冷しゃぶは、油汚れが無いから楽だなぁ」
鍋を、洗剤をつけたスポンジで洗う。茶碗、コップ、平皿、箸。数ヶ月もやると案外慣れるものだ。水で流して、ふきんで軽く洗って水切りかごに置く。手袋──二人暮らしを初めて最初の方は着けていなかったが、“手が荒れるだろう”とりんちゃんに言われてから着けるようにしている──を脱いで時計を見ると、りんちゃんが風呂に入ってから10分ほど経っていた。もう少しかかりそうだ。
ソファに座って、テレビのリモコンをいじる。特に見るものは無い。ただ、生活音として流している方が落ち着く。いくつかチャンネルを回していると、ふとニュースが目にとまった。……国内での、銃撃事件。ここ最近、ずっとニュースではこの話題で持ちきりだ。
『首都圏で起こった銃撃事件ですが、容疑者は黙秘を貫いています。警察は拳銃の出所について調査を進めており……』
街中で突如、青年が銃を乱射。幸い死者は出なかったが、重傷者多数。センセーショナルな事件をマスコミ各社が報じている。
事件で注目されているのは、犯人がどうやって銃を手に入れることができたのか。というのも犯人は引きこもりだったらしく、事件以前は、ほとんど外出していなかったという。しかし彼が使っていた銃は、犯罪組織などで取引されているコピー品で、入手経路が不明だというのだ。背後に組織があり、銃を供与しているというのが、主な見解。
──そんな事件が、短期間で3件発生した。
『監視カメラなどの映像から、警察は事件発生1週間前、容疑者の自宅に荷物を配達した配達員を関係者として捜索──』
「つまらないニュース。アニメはやっていないのかな?」
「あ、りんちゃん。上がったんだ」
後ろから伸びてきた手がリモコンを弄る。画面は切り替わり、化粧品か何かの広告が映る。振り向くと、タオルを頭に巻き、薄い桃色のパジャマを着たりんちゃんだ。
「アニメは、あんまり今の時間はやってないかなぁ……」
「ふーん」
彼女はそのまま、私の隣に座る。フローラルな香りが漂う。私と彼女は同じシャンプーやボディソープを使っている筈なのだが、妙なことに彼女の纏う芳香の方が、良く感じられる。
……こうして見ると、やっぱり肌が白い。金色の髪と相まって、まるで精巧に作られた人形のような美しさだ。
「……叶葉、何かボク様の顔についてる?」
「え?」
彼女の姿に見とれていると、こちらを振り向いた彼女が首をかしげた。風呂上がりで前髪を上げているからか、どこか表情は幼く感じられる。
「別に叶葉だから良いけれど、じっくり見られると少し気になる」
「あ、ごめんね? その、やっぱりりんちゃんは可愛いなぁって思って」
「……へーえ。そうか、ボク様は可愛いか」
「うん、勿論!」
「叶葉に言われると、悪い気はしないな。よし、じゃあ叶葉。そんな可愛いボク様からぁ、叶葉に一つお願いをしようかなぁ~」
彼女は見るからに機嫌が良くなり、足をパタパタと動かしながら鼻歌交じりに、私に“お願い”を告げる。
「ボク様の、髪を~乾かして貰おうかな!」
「髪を?」
「そうだ。幼い頃はよく、やってくれていただろう?」
「あー、そうだったね。懐かしいな」
言われて、昔を思い出す。まだ彼女も私も小学生の時なんかは、二人で一緒にお風呂に入っていた。私は姉として振る舞いたかったから、彼女の髪を乾かしてあげていた。彼女も彼女で、私がりんちゃんの髪に触れていると、どこか楽しそうに、鼻歌を口ずさんでいた。
「久々に……その、して欲しいな、と……思うんだが、ダメ、かな……?」
りんちゃんは、少し肩をすくめて、どこかか細い声で続ける。可憐な彼女の様子に心を打ち抜かれ、私は直ぐさま「大丈夫! お姉ちゃんに任せなさい!」と返事をしていた。それを聞いたりんちゃんはほっとした様子で、「じゃあ頼んだ」と微笑む。
ドライヤーを持ってきて、彼女を椅子に座らせる。このくらいの高低差があった方がやりやすい。……子どもの頃は、二人とも立ったまましていたから、時折まだ濡れているなんてこともあった。
「……やっぱりりんちゃんの髪の毛、本当に綺麗だね」
冷風でゆっくり乾かしていく。……自分の髪を乾かすときなんかはあまり気にしないのだが、りんちゃんの髪となれば話は別だ。
「ふふ……相変わらず、叶葉は丁寧だな」
「そりゃあ、りんちゃんの髪だもの。傷んじゃったりしたらダメだからねぇ」
言葉をかわしながら、指で髪を梳かし、乾かしていく。風に揺られる彼女の髪は美しく、肌に触れる感触は柔らかい、まるで、金色の絹のような。
そんな美しい髪が、背中程まで伸ばされている。けれども傷みは無く、どこもかしこも綺麗だ。
「……ちゃんと、お手入れはしてたの?」
「まあ、そうだな。ある程度気は使っていた」
「へえ、やっぱり。凄く綺麗だもんね。流石はりんちゃんだ。……昔なんか、『面倒くさい』って言って、全部ケアは私がやってたもんねぇ」
面倒だから、お姉ちゃんがやって。……そんなの、必要なの? 私が彼女の髪とかお肌とかに気をつけるように言う度に、彼女は気怠げにそう返していた。
その頃を思い出して、自然に頬が緩む。当の彼女はと言えば、少し頬を膨らませている。
「……むぅ、そんな昔のこと言わなくたっていいじゃないか。というか、その頃の叶葉の知識だって……そこまでだっただろう?」
「う、それを言われると……」
私は少しませていたので、子どもながら美容の雑誌を読みあさっては、かじった知識であれやこれや話していた。面倒くさがりながらも甘える妹と、聞きかじっただけの知識で世話を焼こうとする姉。そんな事を思い出しながら、彼女の髪を乾かしていく。量が多いから、なんだかんだと時間がかかる。
どこか気まずくて、どちらも暫く黙っていた。部屋にはテレビから垂れ流される音楽番組の流行の曲と、ドライヤーの音だけが響いている。
「……まあ、それに。その……ほら。もしかしたら、気づかないかも、しれないだろう?」
暫く押し黙った後、絞り出す様な声で、彼女は言った。
「……気づかない?」
「……その。昔は良く、ボク様の髪とか、褒めてくれていただろう? 綺麗だ、綺麗だと。……今でもはっきり言って、ボク様に容姿の美醜とか、そういうことは分からない。でも……その、叶葉が褒めてくれた髪が、綺麗で無くなっていたら……ボク様だって、気づいてもらえないかも……だから。いつか、再会したときに。……それは困る、から」
途切れ途切れに。やっぱり絞り出すようなか細い声で、彼女は続けた。ともすれば、ドライヤーにもかき消されてしまうような声。けれども私の耳には、一言一句、しっかりと届いていた。
普段は強気な彼女が時折見せる、弱気。けれどもそれがどこか、引っ込み思案だった昔のりんちゃんを思わせる。……私は愛おしくなって、ドライヤーを手放し──後ろから、りんちゃんを優しく抱き締めた。
「……ふふ、そんなこと心配してたんだ。大丈夫……私がりんちゃんを忘れることも、気づかないことも、ないよ」
「……うん、なら、いいけど……」
──こうしているとよく分かる。りんちゃんは、昔のりんちゃんのままだ。大切な、私の妹。まあ、従姉妹、だけれど。
愛おしさに抱きついてしまっても、彼女は離れない。大きくなったから、こういうスキンシップはあまり好きではなくなったのかな、とも思っていたけれど、どうやら違ったみたいだ。──もしも、反抗期なんて来たら、怖いなぁ。いや、でも反抗するとしても、私に、なのだろうか?
「さっ、乾いたよ。じゃあ、私もお風呂入ってくるね!」
「……あ、あぁ」
彼女から離れ、ドライヤーを持って、お風呂場へ。久しぶりに彼女の髪を乾かして、お姉ちゃんっぽいことができたからか、気分が良い。心なしか、普段の何も変わらないバスタブに入ったお湯が、温泉のようにも感じてしまう。
その後風呂を上がって、二人でテレビを見たり、久しぶりにゲームをやったり──彼女が作ったというVRのホラーゲームは非常に怖かった──して、その日は眠りに就いた。ただ、風呂から上がった後のりんちゃんが、一瞬だけ固い顔をしていたのが、妙に気に掛かった。
◇
お姉ちゃんは、優しい。お姉ちゃんは、美しい。お姉ちゃんは、可愛い。お姉ちゃんは素敵で、賢くて、誰よりも私の側にいてくれる。
私が返事を書きあぐねて、結局出せずじまいだったのに、何年間もずうっと、お手紙を書いてくれた。可愛い便せんだった。偶に金庫から取り出して、最初から読み返している。段々と、手紙の中で変遷していくお姉ちゃんの姿を見ると、笑みがこぼれてくる。
──と、思いながら、風呂場へと歩いて行く姉の後ろ姿を見つめる。子どもの頃、風呂上がりに髪を乾かして貰う、あの時間が好きだった。優しい手触り。髪は女の命とも言うけれど。そんな私の命を、姉が丁寧に扱ってくれるあの瞬間が、たまらなく好きだった。
「……旅行、楽しみだなぁ。相変わらず叶葉は、運が良い」
テレビに映る、温泉街。私達が行く予定の場所とは違うけれど、石畳の町並みを、浴衣に身を包んで歩く。そんな光景が、目に映る。姉の浴衣は、幼い頃に何度か見た。浴衣では無いが、成人式で振袖を着た姿も、記憶に新しい。
両親伝にもらった姉の写真を見て、どれほその場にいたかったと、地団駄を踏んだことか。あれ以来、カメラのついたナノマシンやら、鳥形ロボットの開発に打ち込んだっけ。今では、昔読んだとある漫画に出てくる、極小の虫型ロボットくらいなら作れるようになった。
『──警察では、一連の事件が組織的犯罪であると見て、捜査を続けています。専門家からは、海外のマフィア組織との関連も──』
「……相変わらず、つまらないニュースだ」
リモコンのスイッチを押して、チャンネルを切り替える。先ほどまでやっていたニュース。
“ある掲示板”に、合言葉を書きこんだ人物の元に、数丁の銃と弾薬が秘密裏に届けられる。その銃を使って、書きこんだ人物が銃乱射事件を起こす。──ということまでは、警察はまだ分かっていない、あるいは報道規制を敷いているかは知らないが、表向き世間に知られているのは、『銃など所持できるはずも無い人物が起こす乱射事件』だ。
私なら、すぐにその掲示板にはたどり着ける。正直な話、どうでも良かった。というのも、掲示板に書きこむ人物の位置さえ把握していれば、姉が銃撃に巻き込まれて死ぬ可能性は無いからだ。──つまり、裏を返せば。
「在里凪温泉……か」
掲示板に書きむ人物には、特徴がある。──有り体に言えば、糞程にもつまらない、社会不適合な引きこもり共だ。やれ「リア充氏ね」だのなんだのと大真面目に話す愚者。彼らにはどうやら、人生を楽しんでいる人間が憎く映るらしい。「人だかりに行って、銃をぶっ放したい」などという、理解不能な動機。勿論、実現しようとする者は本来ならば皆無だろう。
だが、そんな奴らに、銃を渡せば。人だかりで、銃撃が起こる。その見極めが、“組織”は上手い。確かに、適当に混乱を招くならば、良い手段だ。──が。
「──私に……いや、お姉ちゃんに銃口を向けたのは……悪手だったな」
掲示板に書きこんだ人物。その書き込みの中に、在里凪温泉というものがあった。人気の温泉地だ。暴れるにはもってこい──ということだろう。
そして。その銃が届けられるのは、明後日の明朝。犯人が銃を撃つ日が、連休と重なれば? あるいは連休以前に事件が起きて、旅館の営業が中止になれば? 旅行など、できない。
「ふざけるなよ……? 旅行の邪魔など、させない」
テレビは既に、違うニュースをやっている。──さて。明後日に届くのであれば、物流的に、リミットは明日の、業務開始時間までだろう。この後、風呂を出てきた姉と、いつものように過ごす。そして、姉が眠れば。
「……ひと晩で、潰してやる」
銃をばらまく、“組織”を潰す。
◇
次の日の朝。いつもなら平日は、りんちゃんは朝ご飯を作り出す頃に起きてくる。ただなぜか、彼女は私が起きた時には、既に目を覚ましていたのか、ソファに座ってテレビを眺めていた。朝のニュース番組だ。彼女はそこまでニュースが好きではないのに、珍しい。
「おはよう、叶葉」
私が起きてきたのに気づいたのか、彼女は振り返り、こちらを向く。
「……おはよう、りんちゃん。今日は、早起きだね?」
「まあ、一度目がさめてな。それで……まあ、二度寝するのもあれだから、こうして起きていたというわけさ」
ふふ、と笑うりんちゃん。……なぜだろうか。顔を見ると、妙に違和感がある。元気がない。早く起きたから、まだ目が覚めていないのだろうか? それにしては、声に張りがない。もしかして。一つの可能性に思いつき、彼女に投げかける。
「……ねえ、りんちゃん。もしかして、徹夜した?」
「……い、いやぁ? そ、そんな徹夜など……してはいないがぁ?」
嘘だ。露骨に目をそらし、声が震える彼女を見てすぐに気づく。……こちらに越してきて、1週間くらいだったろうか? 一度、彼女が徹夜をしていたことがある。徹夜は身体に悪い。まだ彼女は成長期だ。あの時は少しだけ注意して、それ以来していなかったのだが。
「……ねえ、りんちゃん。夜更かしは、身体に悪いんだよ?」
「い、いやぁ……まあ、その……け、んきゅうがはかどったというかぁ」
「例えそうでも。それで倒れたら、元も子もないでしょ? 徹夜は肌にも悪いし、脳にもダメージはいくんだよ? 折角可愛いし賢いんだから、しっかり寝ないとダメでしょ?」
「う、ぐ……」
ばつが悪そうに、彼女は目線をそらす。肩をすくめる様は、まるで段々と小さくなっていくようだ。
「まったく……朝ご飯は冷蔵庫に入れておくから、一回寝てきなさい。おじさん達にも心配がかかっちゃうでしょ? 研究して徹夜して……それで倒れたら、研究もできなくなっちゃうかからね? 分かった?」
「う……わ、分かったよ、お姉ちゃん……寝てきます……」
項垂れたまま、彼女は立ち上がり、リビングの扉へと向かっていく。──やっぱり徹夜をしたからだろう、少し足取りが重い。
ただ、彼女は結構素直だ。私が注意したことは、しっかり聞くし、迷惑をかけるようなことも……あんまり、しない。きっと、彼女なりに理由はあったはずだ。帰ってきたら、ちゃんと聞いてあげよう。
「うん。起きてお腹が空いてたら、メモ書いとくから、しっかり温めて食べるようにね? じゃあ、おやすみ」
「うん、おやすみ……」
彼女の後ろ姿を見て、ちゃんと部屋に入ったことを確認した後、私は戻って、自分で作った朝ご飯を、ニュースを見ながら食べていた。
適当に流し見していると、話題は最近話題の、銃撃事件へと切り替わる。ただ、その内容は思いも寄らないことだった。
『本日未明、インターネット上の掲示板を利用し、銃器を販売していたとして、指定暴力団“五九道組”の組長、五九度史春が銃刀法違反の疑いで逮捕されました。警察は、容疑者が銃乱射事件に関与していたと発表しています』
「……え、首謀者?」
どうやら、銃撃事件の背後には、暴力団がいたらしい。ニュースによると、掲示板の書き込みから、“銃を乱射する人材”を見つけて、供与していたらしい。
首謀者が逮捕されたのは驚きだったが、それよりも驚きなのが、次いで逮捕された、無職の男性。何と彼は、在里凪温泉で銃乱撃を起こす予定……ということを、取り調べで供述したのだとか。
「……もしかしたら、巻き込まれてたかもね。怖いなぁ……にしても、なんで捕まったんだろう……?」
『……警察の発表では、ダークウェブ上へのアクセス記録から、容疑者を捕まえたとしています。専門家として、情報学に詳しい、別道教授にお越し頂いております。……教授、今回の逮捕については──』
ニュースは、逮捕時の映像からスタジオへ。眼鏡をかけたひげ面の男性が、キャスターからの問に答える。
『警察の捜査で発見した可能性も高いですが……ダークウェブへのアクセスは通常、複数地域のサーバーを経由しますから、特定の難易度は極めて高い。よほど凄腕のハッカーが警察に協力したか、あるいは暴力団の組員が情報を漏らしてしまった……というのが、真相ではないんですかねぇ……』
「……へえ……ハッカー、ねえ……」
もしかして、りんちゃんだったり──は、しないかな。彼女はあんまり、世間に興味も無いし。警察が頑張ったのだろうな。まあ、何はともあれ、安心だ。
朝ご飯を食べ終わったので、テレビを消して、仕事へ向かう。普段なら、りんちゃんが玄関で見送ってくれるのだが、今日は一人だ。少しだけ寂しいけれど、大事なのは彼女の健康だ。
「いってきまーす」
深呼吸を一つして、私は会社への道を歩き始めた。




