第2話 雛鳥たちの門出
銀桂騎士団養成所の入所試験は、フィオナが想像していた以上に過酷なものだった。 石畳の広場に集められた受験生は千人余り。その誰もが、フィオナとは違い、自信に満ち溢れて見えた。上等な服に身を包み、従者らしき人間を伴った貴族の少女。鍛え抜かれた肉体を持つ、武家の娘。その視線、佇まい、そのすべてが、農村と孤児院しか知らないフィオナを気圧した。
近くにいた受験生同士が噂する。合格者は五人に一人以下らしい、と。その言葉が、冷たい風のように肌を撫でた。
最初の試験は、単純な長距離走だった。ただひたすら、丘陵に設けられた道を、限界まで。 肺が焼け付くように痛み、足は鉛のように重くなる。景色は流れ、意識が朦朧とし始めた頃、脳裏に浮かんだのは孤児院の窓から見上げた、あの丘の上の養成所だった。あの場所へ行きたい。その一心だけで、フィオナは泥を啜るように前へ進んだ。 疲労困憊のまま大講堂へ押し込まれ、震える手でペンを握り、筆記試験を受ける。歴史、法律、戦術理論。頭が働かない。ただ、必死に知識を絞り出した。
続く魔力測定では、水晶に手をかざすよう指示された。フィオナが手を置くと、水晶はかろうじて、淡い光を灯した。隣の少女の水晶が眩いばかりの輝きを放つのを横目に見て、フィオナは自分の才能の平凡さを突きつけられ、唇を噛んだ。
最終試験は、4人一組での集団面接だった。 冷たく厳かな大講堂。三人の教官の厳しい視線が突き刺さる。そして、フィオナと同じ組には、ひときわ目を引く三人の少女がいた。 プラチナブロンドの髪を誇らしげに揺らし、背筋を伸ばす長身の少女。漆黒の短髪に、獣のように鋭い瞳を持つ小柄な少女。そして、どこか儚げで、それでいてすべてを見透かすような不思議な雰囲気の、栗毛の少女。
「なぜ、騎士になりたいか。一人ずつ、簡潔に述べよ」
教官の一人が、静かに問うた。
最初に口を開いたのは、プラチナブロンドの少女だった。その声には、一切の迷いがなかった。
「セリス・フォン・シルヴァスタインと申します。我が家は代々、王家に仕える武門の家系。物心ついた時から、銀桂の騎士となるべく育てられてまいりました。騎士となること。私にとって、それは当然の義務でございます」
次に、鋭い瞳の少女が、挑戦的な光を宿して答えた。
「エリアナ。周囲からはそう呼ばれている。貧民街の出身だ。私のような者が、自分の足で立ち、誇りを持って生きる道はここしかない。ここで落ちれば、待っているのは盗賊になるか、娼婦になるかのどちらかだ。私は、自分の未来をこの手で掴み取るために来た」
三番目の栗毛の少女は、胸に手を当て、夢見るような、それでいて切実な声で語り始めた。
「木こりのエリックの娘、リナです。北方の辺境から来ました。幼い頃から、ずっと夢を見てきました。大切な人たちが、得体の知れない何かに苦しめられる夢です。そして、騎士になった私が、その人たちを救う夢も……。これは比喩ではありません。毎夜のように、その光景を見るのです。だから、私には、騎士になる以外の道は考えられませんでした」
三人の、揺るぎない動機。フィオナの番が来て、心臓が大きく鳴った。声が震える。それでも、言わなければならなかった。
「……ウェスターリー村のフィオナ、と申します。私の故郷は、オークの襲撃で、無くなりました。父も、母も……目の前で殺され、私も、殺されるはずでした」
言葉を紡ぐたび、あの日の光景が蘇る。煙の匂い、血の匂い、母の冷たくなっていく手。
「それを、一人の銀桂の騎士が、救ってくださいました。放心していた私を、王都まで……献身的に介抱してくださいました。私は、あの騎士のようになりたいのです。ただ、守られるだけの弱い人間ではなく、誰かの絶望の中に差し込む、一筋の光となれるような……そんな人間に、なりたいのです」
後日、合格者の番号が張り出された時、フィオナは自分の番号を見つけても、しばらく信じられなかった。
噂では、試験で最も重視されるのは、才能や知識ではなく、その「動機の強さ」だったという。養成所での厳しい訓練は、生半可な覚悟では耐えられないからだと。
孤児院を去る日、寮母は皺だらけの手でフィオナを抱きしめ、声を上げて泣いた。弟や妹のように過ごした子供たちも、皆、涙ながらに彼女を見送った。 「私たちのヒーローになってね、フィオナ!」 その言葉を胸に、フィオナは涙を拭い、丘の上の門をくぐった。
入所式は、大講堂で厳粛に執り行われた。壇上に立った騎士団長は、この騎士団の成り立ちを語った。
かつて、領主たちが血と土地を巡って争いを続けた「鉄と血の時代」。それを終わらせた建国の女王アストリアは、女性が強くその身に宿す魔力、「マナ」を体系化し、戦闘に応用した。そして、跡目争いや権力欲とは無縁の乙女たちを集め、ただ王国への純粋な忠義を誓う、比類なき直属の武力として「銀桂騎士団」を創設したのだ、と。
式の最後に、新入生全員が起立を命じられた。そして、声を揃えて、「銀桂の誓い」を立てるのだ。
フィオナの胸に、故郷を焼いた炎と、あの銀色の騎士の姿が鮮やかに蘇る。 あの絶望と、あの希望。その両方が、今の自分を作っている。 ありったけの想いを、決意を、その声に乗せる。
「――声なき民の盾であれ!」
(ーーお父さん、お母さん、どうか見守っていてください。)
「――王国の揺るがぬ刃たれ!」
(ーー私を救ってくれた、あの騎士のように。)
「――ただ、純粋なる忠義を!」
(ーー弱く、力無き者を守れる者に、私はなります。)
数百の少女たちの声が、大講堂にこだまする。
それは、まだ何者でもない雛鳥たちが、自らの未来を懸けて立てる、最初の誓いだった。
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