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呪われた伯爵令嬢は、婚約破棄にもひるまない  作者: 櫻井金貨
第1章 笑わない伯爵令嬢
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第8話 笑わない伯爵令嬢(1)

「オーロラ、これから学園に行くのかね? お父様は王宮に向かうから、送って行こう。学園はどうせ同じ道の途中にあるからね」


「お父様」


 明るい光が差し込む、フォレスティ伯爵家のタウンハウス。

 一階にあるダイニングルーム。


 オーロラは久しぶりに父と一緒に朝食を取っていた。

 オーロラは十四歳。

 十二歳でアレックス王子と婚約してから、早いもので二年が経った。


 オーロラは背筋をまっすぐに伸ばして、上品に座っている。

 長い白金の髪は背中でひとつに編んでいるが、前髪はもう、以前のように目もとを隠すことはない。


 印象的なアイスブルーの瞳が、まっすぐに父を見つめていた。


 少し大人っぽくなった顔に、落ち着いた表情を浮かべている。


「オーロラ、学園は制服はないと聞いたが、その格好で行くのかい?」


 フォレスティ伯爵が心配そうにたずねた。


 オーロラが着ているのは、襟が詰まった、グレーのドレスである。

 ぴったりした袖は長く、フリルやレースなどの飾りが付いていないドレスは、オーロラの年齢には大人っぽすぎた。


 このドレスはむしろ、上級侍女や家庭教師が着るようなドレスである。


「王妃殿下からの贈り物ですから」


 オーロラは表情も変えずに、さらりと返した。

 その言葉を聞いて、フォレスティ伯爵は表情をくもらせる。


 フォレスティ伯爵は淑女の装いに詳しくはなく、王宮騎士団の騎士として、仕事一筋の男である。

 そんな彼でも、宮廷での噂は、嫌でも耳に入ってくる。


 静かに朝食を食べているオーロラからは、すでに子どもらしさが抜け、いつの間にか立派な令嬢としての態度が身についていた。


 同時に、いくら飾り気のない服装をしたとしても、オーロラの美しい顔だちや印象的な白金の髪、アイスブルーの瞳は隠しようがない。


 オーロラのよさを殺すようなドレスばかり贈るミレイユ王妃に、どうしても、意図的なものを感じてしまうのは、気のせいではないのではないか。


 フォレスティ伯爵は心配そうに愛娘を見つめる。


「オーロラ。その……学園はどうだね? 王子妃教育にも通っているだろう? 大変ではないかい?」


 父の心配げな言葉に、しかしオーロラは淡々と言葉を返した。


「慣れましたわ。学園は午前中だけですし……午後からは王子妃教育なので、学園での宿題は夜にやらなければいけませんけど」


 でも大丈夫です、とオーロラは言葉を続けた。

 そんな様子のオーロラに、フォレスティ伯爵もその頑張りを無にするようなことは言えない。


「そうか。何かあったら、お父様に言いなさい。私でも多少のことはできるからね」

「ありがとうございます、お父様」


 オーロラの表情は動かない。

 やや伏し目がちな視線。

 口もとは軽く結ばれたまま。


『お父様!』

『お母様!!』


 満面の笑顔でフォレスティ伯爵と今は亡き妻のもとに駆け寄ってきた幼い少女の姿はもうない。


 フォレスティ伯爵は、王宮で聞いた、娘に付けられた忌まわしい呼び名を心の奥底へと封じ込める。

 そっと娘の手を握った。


「約束だよ、オーロラ」


 馬車は軽快に走り続け、やがて貴族の子弟が通う、王立学園の由緒ある建物が見えてきた。


***



「ご機嫌よう」

「ご機嫌よう」


 貴族の子弟が通う、王立学園校舎の前。

 馬車寄せで降り立った令嬢達が、挨拶を交わしていた。

 中でもひときわ人目を引く、三人の令嬢がいた。


「まぁ、今日のドレスは素敵ですわね」

「ありがとう。そういえば、来週のお茶会にお召しになるドレスはもう用意されました?」


「ええ。お母様がさっそく選んでくださったの」

「わたくしは、まだです———」


 色とりどりのドレスを着た三人の令嬢達が楽しげに挨拶を交わしている。

 二人は金髪、一人は黒髪。

 学園の方針として、華美な服装は禁じられているが、そこは年頃の少女達。


 装飾を抑え、ドレス丈も短めだが、それぞれが明るい色調のドレスに身を包んでいた。


 金髪の令嬢が、馬車から降りたオーロラに気づいた。


「見て。『笑わない伯爵令嬢』のご登場よ」

「毎日毎日、制服のようにグレーのドレスをお召しね」

「なぜグレーなのかしらね? ねずみ色の髪に合わせたのかしら?」


 ぷっと吹き出す声が重なる。


「あなた、それはひどいわよ? あの子の髪は一応白金の髪なんだから」

「白金ねえ。やはりねずみ色じゃない? 『笑わない伯爵令嬢』には、ねずみ色がとてもお似合いよ」

「…………」


 金髪の令嬢達が話を続け、黒髪の令嬢は、困惑したように口を閉じた。

 黒髪の令嬢は小柄で、髪を肩くらいに切り揃えているのが目を引く。


 その様子を見て、オーロラは足を止めた。

 集まっている令嬢達は見覚えがあった。


 二人の金髪の少女達は、クルーガー公爵家令嬢のソニアと、カリフ侯爵家令嬢イベット。

 小柄で黒髪の少女は、シリュー侯爵家令嬢のセイディだ。


 毎朝、こうして玄関先で待っている。

 しかし直接オーロラに声をかける者はいない。

 なぜなら———。


「あ! ご到着ですわよ」


 ひときわ豪華な馬車が停まった。


 令嬢達が一列になり、馬車の扉が開くのを見守る。


(もう少し早く来ればよかった)


 オーロラは後悔するが、すでに遅い。

 オーロラもまた、令嬢達と少し距離を置いて、馬車から人が降りてくるのを見守った。


「コレット王女殿下、アレックス王子殿下、ご機嫌いかがですか」

「本日もご一緒できて光栄ですわ」


 令嬢達が次々に声をかける。


「ご機嫌よう、皆さん」


 従者が馬車の扉を開き、すらりとした少年が降りてくる。

 少年は優しい笑顔で馬車の中に声をかけた。


「お気をつけて、姉上」


 赤みがかったブロンドに、茶色い瞳をした少年。

 馬車の中からは同じ色の髪と瞳をした少女が少年に手を差し出す。


「コレット王女殿下、アレックス王子殿下」


 少女が馬車から降りると、令嬢達はいっせいにカーテシーをした。

 オーロラも深く頭を下げる。


「まあ。オーロラもいたの」


 しかし、コレットはただそう言っただけで、さっさとオーロラの前を通り過ぎた。


「さあ、カリナ嬢、足もとに気をつけて」


 優しく、思いやりの感じられる声。

 オーロラの婚約者であるアレックス王子は、最後に馬車から降りてくる人物に手を差し出していた。


 オーロラの目が見開かれる。


(カリナ嬢……グランヴィル筆頭公爵家の令嬢だわ)


「ご機嫌よう、皆さん」


 ほがらかに挨拶をするカリナに、ソニアとイベットがわっと走り寄る。

 カリナの金色の髪がふわりと揺れた。

 おっとりとした微笑みを浮かべたカリナだったが、あっさりとオーロラを無視した。


 カリナはほっそりとした手をアレックスに預ける。

 アレックスの視線がオーロラをとらえ、そのまますっ……と視線を外してしまった。


 アレックスもオーロラに何も言わず、カリナをエスコートして、校舎の中へと消えて行った。



「オ、オーロラ様……」


 おずおずとした声が聞こえ、オーロラが振り向くと、 まっすぐな黒髪を肩くらいで揃え、明るい茶色の瞳をした小柄な少女が立っていた。


 その優しげな目に、涙が浮かんでいる。


「セイディ嬢」


 オーロラは小声でささやいた。


「……さ、早くコレット殿下を追ってください。わたくしと話しているところを見られたら、後で何を言われるかわかりませんわ。さあ」


「でも。なぜ、アレックス王子殿下の婚約者であるあなたに、あんなことを」


 セイディがまっすぐにオーロラを見つめた。

 その思わぬ芯の強さを感じさせる視線に、オーロラは目を見開く。


 セイディ・シリュー。

 小柄で優しげな少女だが、武家の出身。

 シリュー侯爵家は、王都を守る騎士団長を輩出してきた、名誉ある家柄だ。


(たしかお兄様がいて、騎士だったような)


 セイディの父であるシリュー侯爵は、オーロラの父が勤める王宮騎士団の団長。

 セイディも実直な父に似て、まっすぐな性分なのだろう。


(だから不誠実なふるまいに動揺したのね)


 セイディはずっと体が弱かったと聞いている。

 領地で静養していて王都に戻ったのは、つい最近ではなかっただろうか?


(もしかしたら、まだ王都の令嬢達に慣れていないのかもしれない)


「セイディ嬢、王女殿下の取り巻きは、公爵家と侯爵家、有力貴族の令嬢ばかりです。侯爵令嬢のあなたが殿下と一緒にいないと、困ったことになりますよ。さあ」


「オーロラ様」


 オーロラはセイディを振り切るために、わざとコレット達とは反対側に足を進める。

 しばらくして振り返ると、セイディはようやくコレットの後を追ったようだった。


***



『オーロラはお母様が一緒でなければ、お外に行ってはいけません。

 オーロラは、知らない人とお話ししてはいけません。

 オーロラは男の子には近づいてはいけません』


 母を亡くし、十四歳に成長したオーロラは、母との最初の約束を守ることはできなくなってしまった。


 しかし、今でも外出は必要最低限、社交も王家と関わるもの以外はいっさい断っていた。


 知らない人とは話さない、男の子には近づかない、このふたつの約束は今も固く、守り続けている。


 人と目を合わせないこと。

 できるだけ口を開かないこと。

 人の関心を引かないこと。


 それらは、オーロラの命を守るためのものでもあるのだ。

 同時に、オーロラに近づく男性を守るためのものでもある。


 オーロラの顔は無表情になり、感情を表に出さないのが当たり前になった。


(王妃様から贈られる地味なドレスだって構わない。わたくしは人の注目を集めたくなんてない)


(アレックス王子殿下と婚約している限り、他の男子が近づくことはないはず。それはありがたいわ)


(でも、願わくば、アレックス殿下には、わたくしとの婚約を早く解消してほしい)


『笑わない伯爵令嬢』


 いつしか、オーロラに付いた、不名誉な呼び名。

 優しい父がひそかにオーロラのために心を痛めているのを、オーロラは知っていた。


 オーロラは大人びて物わかりのいい『いい子』になれる一方で、感情が爆発することがあったり、体を動かすことが好き、という一面もあった。


『笑わない伯爵令嬢』と言われるほどに感情を押さえること、人目を避け、ひたすら目立たないように振る舞う自分。


 それは本当のオーロラの姿とは違う。


(でも、わたくしは構わない!)


 オーロラはいったん玄関から校舎を出ると、裏庭を突っ切って、小走りに走り始めた。


(わたくしは、こんなことくらいで、傷つかないわ!!)


 オーロラはぎゅっと、両手を握りしめ、教室に続く回廊に駆け上がった。


 オーロラは知らない。


 母の教えを守っていて、いつのまにか、表情を失ってしまったオーロラの顔。


 彼女の顔がどんなに印象的で、どんなに美しいか。

 誰にも微笑まず、誰にもなびかず、それでもオーロラはまっすぐに顔を上げて歩く。


(ミレイユ王妃、わたくしは、けして忘れないわ。あなたがわたくしに『真実の愛』の呪いをかけたこと)


 それでも。


「けしてあきらめない。わたくしは、けして負けない」


 オーロラは、ときどき泣き言を言いそうになる自分自身に、そう約束する。

 あきらめさえしなければ、きっといつか、心のままに、思いきり笑うことができる、そんな日がきっとやってくる。


 オーロラはひとつ深呼吸をすると、教室のドアを開いて、中に入った。


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