第68話 真実のキス
オルリオン王国王宮は、長年待たれていた王太子の誕生に湧きかえっていた。
無事に立太子の礼が終わり、夜の晩餐会を迎える前、王宮内はたくさんの明かりが灯され、まるで昼間のようだった。
国内外からの招待客が、最上級の正装に身を包み、場を華やかなものにしていた。
とりわけ、衝撃的だったヘンリー国王の譲位の予告。
長い間隠されていた、第一王子ルイベルトの遺児、アスラン王子の登場と、人々の話題には事欠かなかった。
晩餐会が始まるまでの間、磨き抜かれた回廊でも、何箇所も設られた休憩用のサロンでも、人々は集まって会話に花を咲かせていた。
王宮の中庭にも照明がいつも以上に取り付けられて、中庭に降りてきてベンチに座ってくつろぐ人々もいたが、王宮の中庭もかなり広い。
アスランがオーロラの手を取ってやってきた辺りは大きな木が茂っており、かすかに話し声やグラスの触れ合う音などが聞こえてくるものの、人の姿を見ることはなかった。
そんな中、アスランは真剣な顔をして、オーロラの前にひざまづいている。
「オーロラ嬢、いや、オーロラ、この木を覚えている?」
アスランがオーロラに話しかけた。
「この木はね、オークの木。王宮の中庭の主みたいな木なんだ。よく王家の子ども達がこの木の下で遊んだんだって。オーロラ、あなたに初めて会った時、伯母上が懐かしそうにそんな昔話をしてくれてね。それで、この木を見に来ていたんだ。ええと、実はちょっと脱走したんだけどね……いつも保護者と騎士付きで疲れちゃって」
アスランは立ち上がると、オークの木の前で、オーロラの両手を取った。
「あの日から、あなたのことを忘れたことはなかった。最初は名前しか知らなかったけれど、やがてあなたの置かれていた状況も知った。———あなたがいたから、俺は辺境騎士団の正騎士になれた。あなたを守るためなら、どんな訓練にも耐えられるし、どんな努力でもしようと思った」
アスランのあざやかな青い瞳が、まっすぐにオーロラを見つめている。
「オーロラ、あなたを愛しています。結婚してください」
「アスラン様———でも、あなたは王太子です。それに、すぐに国王の座につかれる方」
「あなたこそ、十二歳からアレックス王子の婚約者だった。アレックスは王太子になろうとしてただろう? あなたはそんなアレックスの妃になるために、長年王子妃教育を受けていた。そんなあなたが王太子妃にふさわしくない、などと言わないでください」
アスランの視線はまっすぐで、少しの疑念もない。
オーロラは動揺して、つい、ローリーお嬢様と従者ラン君だった頃のように叫んでしまった。
「でも、わたくしの呪いはどうするの!? わたくしがもし『真実の愛』以外の相手と結婚したら、その人は死ぬのよ!? それに———それに———アデル様が教えてくれたの。ミレイユ王妃は、この呪いを解くことはできないって」
オーロラは涙をためた目で、アスランを見上げた。
「わ、わたくしは、誰とも結婚しません。そう、決めたの」
アスランと結婚できないから、誰とも結婚しない。
なぜなら、アスランこそがオーロラの『真実の愛』なのだから。
(でも、それを告げることはできない……!!)
オーロラは力尽きた。
言葉なく、アスランの前に立ち尽くす。
アスランは、そんなオーロラを前にしても、あきらめなかった。
オーロラの手を離さずに、ゆっくりと話しかけた。
「オーロラ。俺は、死んでも構わないと思っている。それでも、あなたを愛している」
「アスラン様、だめです……っ! そ、そんな。一国の王太子が死を口にしてはいけません———」
「オーロラ」
アスランはオーロラをそっと抱きしめた。
そしてゆっくりと、オーロラの白金の髪を撫でる。
「大丈夫……落ち着いて? もちろん、そう簡単に死にはしないよ。あなたの気持ちを教えてほしい。あなたは、婚活お茶会にも参加したでしょう? 素敵な人に出会った? これが『真実の愛』だと思える人は、いたの?」
「それは———」
「俺は、どうだろうか? あなたは、俺を『真実の愛』だと感じてくれている?」
オーロラはアスランを見つめた。
「あ……」
オーロラの顔がみるみる赤くなる。
「わ、わたくしの『真実の愛』は……」
オーロラの手が震えている。
アスランはしっかりとオーロラを引き寄せ、体を支えた。
「わたくしの『真実の愛』は、アスラン様、あなたです」
次の瞬間、オーロラはアスランの腕の中で、これ以上ないほどぎゅっと抱きしめられていた。
「オーロラ! ありがとう……! あなたの気持ちを教えてくれて。よかった……うわ、すごい嬉しい」
「アスラン様、あの、その。ええと」
「オーロラ、じゃあ、俺達は相思相愛だね?」
「で、で、ですね?」
アスランは、そんなオーロラの挙動不審ぶりに微笑んだ。
今のオーロラは、完璧な表情を保った、完璧な令嬢ではない。
そんなちょっと幼い姿もまた、可愛いのだが———。
(いやいや、にやけている場合ではないぞ)
アスランは、きりっとした表情を作った。
「そんなオーロラ嬢に、提案があります」
「はい!?」
「今、ここで結婚式を挙げましょう」
「はいいいいい!?」
オーロラはレディらしくない声を上げてしまい、思わず両手で口もとを押さえた。
「結婚式、ですか?」
アスランは笑った。
「そう。ここで、二人きりの結婚式を挙げるんだ。そして、呪いが解けるか、確かめる。本番の結婚式で俺が死んだら、会場は阿鼻叫喚になるでしょ? ここで試してみよう」
「アスラン様っ!!」
「まあ、それは冗談だけど、悪いアイデアではないと思う。二人で結婚を誓って、キスをする。そこでもし死ななければ———」
「『真実の愛』ですね! 呪いが解けた、ということに?」
勇気を出して、確かめる。
二人は見つめ合った。
でも、もし———。
二人は、言葉に出さなかった可能性を、考えざるを得ない。
もし、『真実の愛』でなかったら?
(俺にとって、オーロラ以外、『真実の愛』はあり得ない)
(わたくしも同じです。アスラン様が『真実の愛』でないなら、『真実の愛』なんて、存在しない)
静けさだけが広がる中、二人はお互いの瞳の中に、答えを受け取った。
無言で、でも呼吸もぴったりに、二人は手をつないだ。
ゆっくりとオークの古木の前に立つ。
「私、アスラン・オルリオンはオーロラ・フォレスティを愛し、結婚します」
「わ、わたくし、オーロラ・フォレスティは、アスラン・オルリオンを愛し、結婚します」
アスランの手がそっとオーロラの顔に触れた。
「オーロラ。もし、俺が死んでも、後悔はない。今も、これからも、俺の『真実の愛』はあなた一人だ」
覚悟を決めたアスランに、オーロラはうなづいた。
「わたくしも。わたくしの『真実の愛』は、アスラン様、あなた一人です」
アスランの端正な顔が近づき、オーロラは目を閉じた。
オーロラのくちびるに、柔らかいものが触れた。
オーロラの顔にさらり、とかかったのは、きっとアスランの髪だろう。
柔らかくて、どこか緑の香りがした。
そして次の瞬間、オーロラの全身が光に包まれた。
「オーロラ!?」
焦ったようなアスランの声が聞こえる。
しかし、オーロラは眩しくて目が開けられない。
「アスラン様!!」
オーロラの悲鳴に、遠くから駆け寄ってくるダントンの声も聞こえた。
「アスラン殿下! オーロラ嬢!!」
「オーロラ!!!」
オーロラは苦しくなって、ついに立っていられなくなった。
体のバランスを崩したオーロラを、アスランが抱き止める。
「オーロラ! オーロラ!!」
オーロラは薄れゆく意識の中で、何度も自分の名前を呼ぶ、アスランの声を聞いた。
そして思った。
(良かった……アスラン様は、生きている。アスラン様が生きているなら、わたくしは死んでもかまわない———)
「オーロラ…………!!!」




