第55話 王女の危険なお茶会@王都(4)
「あのね、ローリーさん。アレックスには以前、婚約者がいてね。地味で目立たないおかしな女が婚約者だったのよ」
コレットが話し始めた。
お茶のテーブルについているのは、コレットとオーロラ。
それに、オーロラの婚約者だったアレックス王子が加わった。
オーロラは落ち着いているように見えたが、その内心は揺れ動いていた。
オーロラは『ローリー嬢』として、髪色の違うウィッグを着け、しっかりと化粧をし、オーロラが着なかったようなドレスを身に付けている。
そう簡単に見破られることはない。
オーロラはそう考えて、とにかく貴族令嬢らしく、しっかりとした態度を保とうとしていた。
「……でもねえ、アレックスが嫌って結婚までいかなかったの。まあ、わかるわ。わたくしも同情したわ。あんなに愛想のない、『笑わない伯爵令嬢』じゃね。まあ、無事に婚約破棄をして、アレックスは次にとある公爵令嬢と婚約したいと頑張ったんだけど、お父様が許さなかったのよね」
コレットはイラッとしているアレックスの様子には頓着せずに、のんびりと話し続けていた。
「それでね、わたくしは思ったのよ。それなら、新しい令嬢を探せばいいんじゃない、って。お父様があんなにうるさいとは意外だったけれど———お父様に気に入られる令嬢を見つければ、きっとすぐに立太子してもらえるわよ」
「!?」
「感謝してよね。田舎令嬢のあなたにチャンスを与えてあげるんだから。でも、初めに言っておきますけど、ちょっと可愛いからって、調子に乗らないで。アレックスと婚約したら、当然、わたくしの言うことにはいつも従ってもらいますから」
「はい!?」
(チャンスを与えてあげる?)
オーロラには、コレットの話の流れがよくわからなかった。
そもそもアレックスがオーロラとの婚約を破棄したのは、筆頭公爵家のカリナと婚約したかったからである。
オーロラが去った今、なぜアレックスが新しい令嬢を見つける必要があるのだろうか。
そう、オーロラは夜会でアレックスが婚約を破棄し、国王にカリナとの婚約を願い出たところで退席したので、その後の顛末を知らないのだった。
(まあ、驚いたわ。アレックス殿下は、まだカリナ嬢と婚約してなかったのね)
はっきり言って、オーロラ自身はもうアレックスとの婚約破棄に同意しているので、後のことはどうでもよかった。
「姉上、もう結構です」
ついにアレックスが我慢ができなくなったのか、がちゃんとティーカップを乱暴にテーブルに戻した。
「それとこれとは関係がないでしょう。こんな、辺境から来た、素性もよくわからないような女が、私の婚約者になることはないんですから」
アレックスはそう言い放つと、テーブル越しにオーロラのことをじろじろと見つめ始めた。
「……それで、このブルネットの女が、お茶会で大人気のローリー嬢などと騒がれている当人なのですか?」
久しぶりに会ったアレックスは、悲しいほどに変わっていなかった。
アレックスはけして、残念な見た目の青年ではない。
むしろ、美貌を誇る母に似て、顔だちは整っている。
しかし、アレックスからは言葉や態度の端々に、何をしても自分は尊敬されるし、大切に扱われて当然という意識がちらちらと見え隠れする。
(気が短く、短慮なところも相変わらずね。姉相手だから、これでも我慢しているのでしょうけれど)
(その一方で、母であるミレイユ王妃と姉のコレット王女には言いなりになっている。おそらく二人の言うことには疑問を持つことすらしないんでしょうね)
しみじみとオーロラは思う。
(人って変わらないものね……)
オーロラは久しぶりに見たアレックスの姿を前にして、無言でいた。
心の中で感じたことはいっさい、外に出さない。
オーロラは自分でも気づかないうちに、ちょうどアレックスの婚約者時代と同じような、無表情な顔になっていた。
その表情が、何か、アレックスに引っかかりを与えたのかもしれない。
突然、アレックスは不審げな顔になると、つぶやいた。
「おまえ……オーロラに似ているな?」
壁際に立っていたセイディにもアレックスの言葉は聞こえ、セイディはひゅっと息を呑んだ。
「オーロラですって?」
コレットが驚いて声を上げた。
「まさか! そんなことって———」
アレックスはまっすぐにオーロラを見つめた。
ブルネットの巻き毛。
濃いグリーンのアイカラーを施した目もと。
胸もとがスクエアに開いた、令嬢らしいドレス。
静かに椅子に座っているローリー嬢と、婚約者だったオーロラの姿は、たしかに似ても似つかない。
しかし、この雰囲気だ。
感情が凍ったような、無言で感情を抑えているような感じが———。
「おまえ、立ってみろ」
突然、アレックスが言った。
「オーロラはかなり背が高かった。宮廷でもあいつほど背が高い令嬢はあまり見たことがない。ローリー嬢とやら。立ってみろ」
「わかりました」
オーロラはそう答えると、そっとテーブルに立てかけていたステッキをしっかりと右手で握った。
ドレスのスカートに隠れるように持ち替える。
アレックスの言葉を受けて、オーロラは静かに立ち上がった。
怖れることなく、アレックスの前にまっすぐに立つ。
オーロラのアイスブルーの瞳が、アレックスの茶色い瞳を見つめる。
アレックスにとっては、この距離感は記憶にあるオーロラとの距離感に、よく似ていた。
他の令嬢達より高い目の位置から自分を見るオーロラの視線に、自分を内心では嘲笑っているのではないか、とよく不愉快な気持ちになっていたからだ。
「!!」
アレックスの顔がみるみるうちに真っ赤になった。
「やはりおまえか! オーロラ!! どういうつもりだ!」
アレックスはオーロラに詰め寄った。
「そうか、私に許しを乞うつもりで来たのか? まあそうだな。カリナとまだ正式に婚約していないし、まだ自分にも可能性があると思ったのだろう。愚かな」
アレックスはそう言うと、まんざらでもなさそうに笑った。
じろじろとオーロラを上から下まで見下ろした。
「しかし、変われば変わるものだな? 髪は染めているのか? 髪色は違っているが———それに、そんなドレスを着ているのも初めて見るな。なかなか、そうしていると、一人前に令嬢に見える」
「アレックス!? どういうこと? この令嬢が、まさか、本当にオーロラだと言うのでは———」
コレットの言葉に、アレックスは笑った。
「姉上、信じられないでしょうが、オーロラです。十二歳で婚約して、六年ですよ。気に食わない婚約者でしたが、その顔はよく覚えています。そうだな、オーロラ?」
オーロラは深く息を吸った。
「何のお話をされているのやら。わたくしにはわかりかねますわ、王子殿下。わたくしは辺境伯閣下とは遠縁に当たる者。ローリー・デルマスと申します」
オーロラは表情を変えることなく言い切った。
次の瞬間、アレックスの顔が怒りで真っ赤になった。
「……このっ! 前から気に食わなかったが、やはりおまえは変わらないな! 少しは見た目がよくなったと思ったが、その性格は死んでも変わるまい」
アレックスはさらに一歩足を進めると、オーロラにつかみかかった。
「ちょっとアレックス!! 何してるの!? アレックス———」
コレットが悲鳴を上げた。
王女の悲鳴に、部屋に待機していた騎士達が動こうとするが、アレックスはすかさず騎士に向かって「邪魔をするな!」と叫んだ。
二人の騎士は困惑したように顔を見合わせてしまった。
「おまえのせいで、立太子ができない!」
しかし、そう叫んだアレックスに、オーロラは冷ややかに言い返した。
「それも、オーロラのせいですか? そろそろ、国王陛下が立太子させない意図をお考えになってはいかがですか?」
「!!」
その瞬間、アレックスがキレた。
アレックスにどん! と力まかせに突き飛ばされて、オーロラは床の上に倒れこんた。
コレットの悲鳴が響き渡る中、セイディは弾かれるようにサロンを駆け抜けた。
ドアに飛び付き、開けようとして、鍵がかかっているのに気づく。
———ドアの外には、アスランとダントンがいるのに!
「ダントン!!」
セイディは必死で叫んだ。
しかし、返事はない。
ドアの脇には、花台が置かれていた。
セイディは花台の上から花瓶を叩き落とした。
派手な音がして、ガラスの花瓶が割れる。
そして花台を掴むと、セイディは全身の力を込めて、ドアに叩きつけた———。
ぐわしゃっ!!
花台が壊れる派手な音。
その音に負けじとオーロラは叫んだ。
「近寄らないで!」
オーロラは手に持っていたステッキを、アレックスの喉に向かって突きつけた。
ブルネットの髪が乱れて、顔にかかっている。
左手で髪を払うと、強い光を放つアイスブルーの瞳が、アレックスを射るように見つめていた。
「この女!」
アレックスが叫び、再びオーロラに手を伸ばそうとした時、激しい音がして、外からドアが破られた。
「ローリー嬢!!」
サロンに飛び込んだアスランの目に飛び込んだのは、床の上に倒れ込んでいるオーロラの姿。
ブルネットの髪は乱れ、ドレスもぐしゃぐしゃだったが、それでも右手に握ったステッキを、まっすぐにアレックスに突きつけている。
セイディはドアの前に散らばった花台の残骸の前に、力なく座り込んでいた。
「貴様。ローリー嬢に何をした? 何をするつもりだった?」
アスランがアレックスの服をつかんで、オーロラからぐいと引き離す。
コレットがまた悲鳴を上げた。
アスランは剣を抜いてはいない。
それにもかかわらず、有無を言わさぬ迫力と、明らかな怒りが、アスランの体を取り巻いているのが見えるようだった。
「お嬢様」
アスランはそっとオーロラを助け起こすと、ダントンを見た。
「お嬢様、少しだけ時間をください。ダントン、お嬢様を頼む。安全なところへ」
「承知した」
ダントンがオーロラを抱えるようにして、サロンの入り口に向かって行く。
壊されたドアの脇で、セイディがようやく立ち上がっていた。
その前を、コレットの侍女が一人、早足で駆けて行った。
「セイディ、おいで。大丈夫か?」
「は、はい」
セイディも震えながらダントンの腕につかまった。
オーロラとセイディが安全な距離に移動したことを確かめて、アスランはアレックスに向き直った。
「貴様、ローリー嬢にこれ以上関わるなら、容赦はしない」
「何だと!? 無礼な! 誰に向かって口を聞いているつもりだ! 私は王子の———」
「知っている。貴様がアレックスだということは」
アスランは沈んだ声で言った。
「———残念なことだ。おまえのような男が、王子だとは」
「何だと?」
アレックスは激怒してつかみかかろうとして、その手を何かに弾かれた。
「痛っ……」
アレックスがうめいた時、硬い金属の感触が、胸に感じられた。
「!?」
アレックスが視線を落とすと、自分の胸の中央に、短剣が突きつけられていた。
(い、いつの間に!?)
鞘からは抜かれていないが、胸に感じるその金属の重み。
アレックスは背筋が冷えるのを感じた。
黒い髪をぴたりと首の後ろでまとめ、妙なメガネをかけた従者。
なのに、この迫力はなんだ?
その時、ようやく部屋に待機していた騎士達が慌てて剣を抜き、王子に短剣を向けるアスランへとドタドタと向かってきた。
しかし、アスランは短剣を構えて、ほんの数回。
まるで手合わせのように打ち合わせただけで、騎士達の剣を弾き飛ばし、彼らを床に沈めた。
その早技にアレックスは思わずぞくりと体が震えるのを感じた。
そんなアレックスを憐れむように見ると、アスランは無言でサロンを出て行った。
廊下ではダントンがオーロラとセイディと共に待っている。
「急いで王宮を出ましょう」
アスランはオーロラの手を取って、早足で歩き始めた。
***
その窓からは、速度を上げて王宮から出て行く黒の馬車が見えていた。
ミレイユは密かに呼び寄せていた青年を振り返った。
ミレイユと一緒にいたのは、柔らかな金色のウェーブがかかった髪の、やせた青年だった。
ミレイユは上品に微笑む。
「ローリー嬢は王宮を出ましたよ。さあ、後を追いなさい。あなたの『真実の愛』なのでしょう?」
「王妃殿下、心よりお礼申し上げます!!!」
金髪の青年はそう言うと、心から嬉しそうにして、急いで部屋を出て行く。
青年は急いでオーロラを追った。
ミレイユが密かに付けた、王妃の『影』とともに。
黒の馬車に続いて、みすぼらしい馬車が王宮の敷地を出て行く。
その後を、馬に乗った黒づくめの騎士達が続いた。
ミレイユは窓からそんな様子を見ながら、一人つぶやいた。
「オーロラが幸せになるのは許せない」




