第4話 王子の誕生会(2)
「見て! 何、あの子!」
「まあ。……どこのご令嬢かしら」
「ご令嬢!?」
可愛らしい声で叫んだ少女は、ぷっ、と吹き出し、他の少女達は、くすくすと笑い始めた。
「白髪みたいな髪で目を隠して。それにあんな古くさいデザインのドレス! 嫌だわ、おばあ様みたい」
「お母様は一緒じゃないみたいね? 付き添いの女性がいるわ」
「ねえ、本当に招待客なのかしら? 侍女の試験を受けに来たのかもしれなくてよ?」
「まあ……!」
「うふふ。ねえ、皆様、さすがにちょっと意地悪ですわよ?」
くすくす声は周囲に伝染するように、広がっていく。
ここはオルリオン王国、王宮。
お昼過ぎから、王宮には次々と馬車が集まり始めた。
正面玄関に馬車が停まると、馬車の中からは、可愛らしい令嬢達が母親に付き添われて降りてくる。
紳士淑女が行き交う普段の雰囲気とはがらりと変わり、まるでお花かお菓子のような、明るい色合いの、ふわふわしたドレスを身に付けた少女達が、次々と王宮の中へと入っていく。
彼女達の多くが白いドレスを着用しており、デビュタントにはまだ幼いが、立派な令嬢に見えるようにと装った少女達の姿はとても愛らしく、人々の微笑を誘った。
そんな中、オーロラは少女達からの視線を避け、リンネ夫人に隠れるようにして、王宮に入ったのだが———。
王宮の長い回廊を歩いている間に注目を引いてしまったのか、あっという間におしゃべり好きな少女達に見つかって、あれこれと噂される羽目になってしまった。
すでに他の少女よりも背が高く、すらっとしたオーロラ。
長い白金の髪は、金髪が多い貴族の中でも珍しい髪色だ。
おまけに飾りのない白いドレスを着て、前髪で目もとを隠していたら———。
逆に目立ってしまう、ということに、まだ少女のオーロラは思い至らなかった。
(うう……やはりお断りするのが一番だったかもしれないわ)
オーロラはリンネ夫人の隣で体を小さくしながら思ったが、もう遅い。
ここまで来た以上、なんとか乗り切るしかない。
会場に着くと、オーロラはリンネ夫人の隣を離れ、さっと壁際に向かい、大きな観葉植物の陰に入り込んだ。
その機敏な動きに、リンネ夫人は目を丸くした。
「オ、オーロラお嬢様!?」
「しいっ! リンネ夫人、わたくしはいいから、好きに回っていていいわ。ほら、軽食も用意されている。せっかくだから召し上がってきて」
「いえ、オーロラお嬢様、わたくしはお嬢様の付き添いで……おそばを離れるわけには」
「声が大きいわ。リンネ夫人、わたくし、人が多くてもうだめ。ああ……今にも倒れそうだわ。何とか我慢するから、少し一人にしてくださらない? あなたがここにいると目立ってしまうわ。お願い、わたくしを置いて行って」
「でも……」
「約束するわ。何もしない。ずっとここにいると誓うから」
オーロラは、ぐす、っと鼻をすすった。
リンネ夫人が困惑していると、オーロラはドレスのポケットからハンカチを取り出して、長い前髪の下に盛んに押し当てた。
そんなオーロラの頼りないしぐさに、リンネ夫人は胸を突かれた。
(ま、まあ、オーロラお嬢様ったら。泣いてしまわれたんだわ。たしかに、内気なお嬢様には、初めてのお誕生会は刺激が強すぎたことでしょう……ここに来るまでにも、明らかにお嬢様をバカにする令嬢達のささやき声が聞こえたわ)
オーロラの事情を知らないリンネ夫人は、オーロラのことを、極端に内気で繊細な令嬢だと思っているのである。
(こんなにも可愛くて、いたいけなお嬢様なのに……!!)
リンネ夫人はようやくうなづいた。
オーロラの顔に手を押し当て、オーロラに熱がないことを確かめる。
「それでは、少し失礼いたします。念のためにオーロラお嬢様が休める休憩室の場所を確認してまいりましょう。すぐに戻りますので、ここから動かないでくださいね」
「ありがとう、リンネ夫人」
オーロラは息も絶え絶えな声で、お礼を言った。
ようやく、後ろを振り返り振り返り、リンネ夫人が歩いていき、柱の向こうに姿が消えた瞬間、オーロラは素早く周囲を見回した。
会場はそこそこ広く、あちこちに設けられたテーブルごとに、令嬢達が集まって、談笑をしている。
見た感じでは、席は指定されているようではなく、親しい者同士、あるいは家格の近い者同士が自然に座っているようだ。
保護者や付き添いは、別のテーブルに集まっている。
オーロラが壁際から会場内を観察していると、司会役らしい男性が話し始めた。
おしゃべりが止み、令嬢とその保護者達は、司会役を見上げる。
「皆様、本日のご出席、ありがとうございます。まもなくミレイユ王妃殿下、並びにアレックス王子殿下がお見えになります。その際はどうぞ、一度立ち上がってお迎えください」
オーロラは観葉植物の陰から、中庭に降りるらしいガラスのドアを見つけた。
ためらうこともなく、壁伝いにさっと歩いていく。
何の飾りもないシンプルなドレスは歩きやすく、オーロラはあっという間にドアを開けて、庭へと降り立つことができたのだった。
会場から割れんばかりの拍手が聞こえてくる。
王妃と王子が登場したのだろう。
オーロラはドレスを両手で持ち上げた。
何の飾りもない、シンプルなドレスは軽くて、動きやすかった。
オーロラは勢いよく、ぱっと駆け出す。
白金の髪がなびいて、オーロラの顔がすっかりあらわになった。
なめらかな白い肌に、繊細に整った、小さな顔。
金色のまつ毛で覆われた大きな目はまるで北国の湖のような、印象的なアイスブルーだった。
固く結ばれていた口もとがゆるむ。
「……ふふ!」
オーロラは淡いピンク色の唇をきゅっと上げて、笑った。
両手を振って、思いきり駆け出す。
誰も気がつかない、小さな令嬢の脱出劇だ。
こんなことをする令嬢がいるとは誰も思わないだろう。
(あんな意地悪なことばかり言う令嬢達と、一緒にお茶を飲むなんてごめんだわ)
オーロラは庭の木々の奥へと駆け込み、まるで緑のじゅうたんのような芝生の上に腰を下ろすと、両手で口を押さえながら、思いきり笑ったのだった。
(なんて爽快なんでしょう!)
ごろごろとはしたなく、芝生の上を転がって遊ぶ。
オーロラが抱えている秘密には、人の命がかかっている。
母が亡くなった後、秘密を知っているものは、オーロラただ一人。
いや、呪いをかけたミレイユ王妃がいる。
明らかにオーロラの母とオーロラに悪意を持っている、高貴な女性。
ただ、オーロラはミレイユと実際に会ったことはなかった。
オーロラはたった一人で、ミレイユと戦わなければならない。
たとえフォレスティ伯爵邸にいる時でも、オーロラは気を張って過ごしていた。
ただ、今、この瞬間だけは。
「わたくしは、自由!」
オーロラは芝生の上に寝そべって、笑った。
その様子は、年相応に幼くて、愛らしくて。
そして、ノール王国のバラと謳われた、美しかった母の面影を宿し、とても魅力的だった。
「お母様、わたくしは、けして負けません。きっと、生き延びてみせます。誰の命も危険にさらしたりはしません……」
オーロラは小さな声で、つぶやいた。
気持ちのいい午後は少しずつ、日が傾いていく。
オーロラは気づかないうちに、うとうととして、芝生の上で眠りに落ちていった。
***
「……君は、誰? まさか、本物の眠り姫なの?」
それからどれくらい経っただろう。
ふと誰かが話しかける声に驚き、オーロラはぱっと起き上がった。
あまりに開放感を味わったせいか、芝生の上で笑いながら、いつの間にか眠ってしまったらしい。
目の前には、赤っぽいブロンドの髪を綺麗にとかし、くりくりとした茶色の瞳をした少年が、興味しんしん、といった様子で、オーロラのことを見つめていた。
「きれいな目の色だね」
「!!」
オーロラはぎょっとして、思わず背後に飛びすさった。
「ど、どなたですの!?」
少年!? 男の子!?
ああ、お母様は何て言っていたっけ!?
『オーロラは男の子には近づいてはいけません。
オーロラは人と目を合わせないようにしてね。人の関心を引いてはだめなの』
ああ、大失敗だわ!
オーロラは泣きそうになりながら、必死で前髪をかき集め、目の前にかぶせる。
「た、大変失礼ではございますが、わたくし、これにて」
うつむきながら立ち上がり、オーロラはその場から逃げようとした。
「待って!」
「!?」
なんと、少年がオーロラの手をしっかりと握っているではないか?
オーロラはもう、意識が飛びそうだった。
「お離しくださいませっ!!」
つい叫ぶと、腕をぶん! と大きく振った。
すると、少年は慌てたように頭を下げた。
「す、すまない。つい。ご令嬢の腕をいきなりつかむなんて、失礼でした。……あなたのお名前を教えてくださいませんか?」
オーロラは固まった。
まずい、まずい。
頭の中で鐘が鳴り響いている。
お母様は、何て言っていたっけ……!?
オーロラはじりっと背後に下がった。
もう、無礼でも仕方がない。
(逃げよう!)
オーロラはそのまま、ウサギのように、だっと駆け出してしまった。
「君、待って!」
背後から少年の叫び声がしたが、幸い、オーロラを追ってくることはなかった。
オーロラはそのまま庭園を走り抜け、見覚えのあるドアの前に出た。
お誕生会はまだ続いているようだった。
オーロラが眠ってしまったのも、それほど長くはなかったのだろう。
右手で前髪をささっと下ろし、そろり、とガラスドアから中に入ると、「オーロラお嬢様!」という声がして、真っ青な顔色をしたリンネ夫人がオーロラに飛びついた。
「どこへいらしたのかと……心配いたしました。もう、旦那様にご連絡するしかないと……」
ひそひそ声でささやきながら、涙ぐんでしっかりとオーロラを抱きしめるリンネ夫人に、オーロラは前髪の下で、目を丸くした。
「し、してないわよね? まだ?」
「まだでございます」
オーロラはほっとため息をついた。
「リンネ夫人、ごめんなさい。ねえ、もう、退出してもいいのではないこと? わたくし、もう疲れてしまって」
リンネ夫人もうなづいた。
どうも、彼女もオーロラがいなくなったりして、かなり気疲れしてしまったようだった。
「さようでございますね。では、これで失礼いたしましょう」
オーロラとリンネ夫人は、二人で人目に立たないようにして、静かに会場を出た。
王妃にも王子にも挨拶をしていなかったが、もういいだろう。
大体、ミレイユ王妃はオーロラの事情を知っているのだから。
一方、静かに会場を出る二人の後ろ姿を、赤っぽいブロンド髪の少年が、見つめていた。
「誰か」
少年が声を発すると、どこからとなくバラバラと数人の騎士が現れた。
「あの少女は、どこの令嬢?」
騎士達はお互いに顔を見合わせると、困惑したように首をひねった。
「すぐ調べます」
そう言って、数人の騎士達が少女の後を追った時だった。
「アレックス? どこにいるの? こちらに来て、皆さんからのご挨拶を受けなさい」
少年は「あ」といたずらを見つかったような表情になった。
急いで手で髪を撫でつけ、服を整える。
「……お母様。今、まいります」
少年は赤みがかったブロンドを揺らしながら、豪華に装ったミレイユ王妃の元へ、歩いて行った。
***
アレックス王子のお誕生会から一週間経った頃、フォレスティ伯爵のもとに、一通の手紙が届いた。
差出人には、なんとヘンリー国王陛下の御名が記されている。
伯爵がおそるおそる手紙を広げると、折り入って話したいことがあるから、会いにくるようにという内容だった。
「……心当たりがまったくない……」
フォレスティ伯爵は、真っ青になって考え込んだ。
「まさか、騎士団の誰かが国王陛下のご不興をかってしまった……? いや、もしかして私の働きにご不満で、辺境送りに、あわわわわ! いや左遷してやるというお話でも……?」
フォレスティ伯爵はぐるぐると考え込んだが、さっぱりわからない。
考えても仕方がないので、指定された日時に、国王陛下の執務室へお伺いすることにした。
そして無事に国王陛下と会ったフォレスティ伯爵は、血相を変えて、王宮からすごい勢いで馬車を走らせて戻ったのだった。
「オーロラ! オーロラ!!」
廊下から聞こえてくる声に、オーロラとリンネ夫人は顔を上げて、思わず見つめ合った。
「……お父様の声かしら?」
「そのように聞こえますね?」
リンネ夫人は刺繍の道具をまとめてテーブルの上に置くと、立ち上がった。
オーロラとリンネ夫人は、お昼までの時間をオーロラの私室で過ごすことが多い。
学科を主に進めつつ、合間に読書をしたり、刺繍をしたりするのだ。
午後は庭園を散歩したり、お茶の時間を楽しんだりして、ゆっくり過ごす。
「オーロラ!」
ドアが開き、フォレスティ伯爵が部屋に飛び込んできた。
はあ、はあ、と肩で息をしている。
「アレックス王子殿下のお誕生会で、何があったのだ!? 何かお父様に内緒にしていることがないかね?」
「お父様に内緒? いいえ」
オーロラは本気で困惑し、首をかしげる。
「そんなことがあるものか。オーロラ、よく思い出しなさい」
「旦那様、一体、何があったのですか?」
オーロラとリンネ夫人が困惑していると、フォレスティ伯爵が言った。
「国王陛下が、おまえとアレックス王子殿下との婚約の打診をされたのだ!!」
オーロラはぴたりと動きを止めて、父を見上げた。
それは、ありえない。
なぜなら。
(わたくしはアレックス王子に会っていないのだもの)
何かの手違いだろう。それなら。
「お断りしてください」
「オーロラ! 国王陛下だぞ!? お断りできるわけがないだろう!」
フォレスティ伯爵家に、悲鳴のような、伯爵の声が響き渡った。