第39話 辺境伯夫人のお嬢様教育(2)
辺境伯夫人アデル、オーロラ、オーロラの侍女エマ、家政婦長のモリソン夫人が集まり、ドレスメーカーの女性を招いて行われている、オーロラのワードローブを揃える発注会議。
注文するドレスの詳細を決めると、もうお昼になっていた。
「ああ、疲れちゃったわあ。エネルギーが切れたみたい。モリソン夫人、お昼の時間だけど、その前にお茶が飲みたいわ。昼食はここに運ばせてちょうだいな」
モリソン夫人が立ち上がろうとすると、アスランが制した。
「私が手配してまいります。夫人はそのまま奥様のお相手を」
アスランはいそいそと部屋を出る。
アデルもさすがに体がだるくなったらしく、「失礼」と断りつつ、両腕を上げて、伸びをした。
「ふう。あとは既製服と小物ね。それは昼食後に選びましょう。……あ」
アデルが何かに気がついたように、オーロラを見た。
「そうだわ。ひとつだけ、わたくしからあなたにプレゼントさせてちょうだい」
そう言うと、ドレスメーカーの女性に体を寄せ、何やら小声で話し始めた。
「あれよ、色はオーロラ色のものを使って。細工師は最高の者を。そしてモデルは……」
「まあ。それは素敵でございますね」
(オーロラ色って何だろう?)
オーロラには、小さくなったアデルの声は聞こえなかった。
しかし、ドレスメーカーの女性はしっかりとうなづいた。
「さっそく手配いたしますわ」
ドアがノックされて、再びアスランがやって来た。
「皆様、お茶の支度ができました」
お茶を飲んでリフレッシュ。
ほどなくして運び込まれた昼食は、アスランの気配りで用意された、ご婦人向けにひと口サイズに切り分けられたロールサンドイッチ。
彩り野菜がたっぷり入ったサンドイッチのほか、果物の入ったフルーツサンドイッチもあり、集まった女性達を大喜びさせた。
おかげで昼食を終えた一同は、再び午後の時間をかけて、ローリーお嬢様のワードローブ作りに励むことができたのだった。
***
「本日は本当にありがとうございました!」
オーロラはサロンの中央で、深々と頭を下げた。
「まあ、ローリーちゃん。そんな大げさな。いいものが選べてよかったわ。あとの整理整頓はエマとラン君にお任せするわね」
「「はい、奥様」」
「少し一休みなさいね。それからお夕食は大食堂で待っているわ」
「はい、アデル様」
ドレスメーカーの女性が注文をまとめ、持ち込んだ荷物を引き上げ、売り上げた既製服はエマに引き渡す。
オーロラはドレスを見下ろした。
今日着ているのは、昨夜着たバーガンディ色のドレスだ。
「お嬢様、お着替えなさいますか?」
侍女のエマが優しく声をかけた。
オーロラはちょっと考えたが、そっと首を振った。
「ありがとう。でも、今はいいわ。ちょっと歩いてみようと思うの。お城の中庭には、どうやって行けるかしら?」
エマがアスランと顔を合わせた。
「ランさん、お嬢様のお供をしては? ここの片付けと衣装の収納はわたしがやっておきますわ。後で保管場所はお知らせしますので」
エマの申し出に、アスランはぱっと顔を合わせた。
「エマ、ありがとう。それでは、私がローリーお嬢様をご案内してきます」
「ふふ、ごゆっくり」
すっ、とエマがバーガンディ色の帽子を差し出す。
ドレスに合わせて今日購入したもののひとつだ。
「お嬢様、海がすぐなので、日差しがきついですよ。どうぞお持ちください」
「ありがとう、エマ。それではちょっと歩いてくるわね」
オーロラはエマから帽子を受け取ると、アスランを振り向いた。
「ラン君。では行きましょう」
***
「ロシュグリー城は五階建で、地上階となるのは、三階からです」
アスランはオーロラを階段室に案内しながら言った。
階段では、オーロラの右手を壁に付けられた手すりに届くようにして、アスランはオーロラの左手を取ってゆっくりと降りて行く。
「最初は慣れるまで、この階段の登り降りが大変かもしれません。特に、女性はドレスが重いですからね。急いで降りて、転んだりしないようにご注意ください」
「ええ。気をつけるわ」
「お嬢様のお部屋は五階ですが、外出時以外は下まで降りることもあまりないかもしれません。せいぜい、大食堂のある四階に降りるくらいでしょう。たいていのことは五階で間に合うはずです。むしろ、庭のお散歩が一番、大変かもしれませんね。中庭は二階にもありますが、騎士の訓練場も併設しています。広いのは一階の庭の方ですから」
アスランはそう言うと、柔らかなまなざしでオーロラを見つめた。
「そうね。でも、少し歩きたかったの」
オーロラは言った。
「フォレスティ伯爵家のタウンハウスは、戸建ての屋敷ではないのよ。二階建てのデュプレックス式のアパートメントになっていて。あまり散歩できるお庭はないんです」
二人のコツコツ、という規則正しい足音が階段室に響く。
「お父様はお母様と結婚する前は、騎士伯だったと聞きました。結婚の際に爵位をいただいたのだという話ですわ。父は……あの容姿で誤解されやすいのですが、派手なところのない、実直な男性なのです。華やかな生活にはまったく興味がなく、騎士としての訓練の方が何倍も大事、そんな父ですの」
「王宮騎士団のフォレスティ伯爵のことは、辺境でもよく聞きますよ。騎士達に尊敬されている方だと伺いました」
オーロラがぱっと顔を上げてアスランを見た。
「……ありがとう、アスラン様。あ、ラン君」
オーロラは嬉しそうに顔を赤くした。
「そ、それで。王宮にもよく行きましたけれど、あそこは建物が大きくて、たくさん歩きましたけど、廊下を歩いても、あまり楽しくはなかったんですの」
オーロラは肩をすくめた。
「お庭は素敵でしたけれど、いつもただ通るだけ。なかなかお庭で過ごす時間はありませんでしたから。それで———このお城に来て、窓から海を見て、あちこち歩いてみたいと思ったんです。何もかもが珍しくて。ここなら、廊下を歩いただけでも楽しいと思いますわ」
「お嬢様が少しでも楽しいと思ってくださるのが、何よりです」
アスランは楽しそうにオーロラの話を聞いていた。
考えてみれば、オーロラとはいつもとんでもない状況で顔を合わせていた。
初めての出会いは、オーロラが十四歳の時。
アスランは、王宮の中庭で、まるで姿を隠そうとしているかのような彼女と出会った。
(そして、騎士にしてほしいと言ったんだった)
アスランはオーロラの手を取って階段を降りながらそっと顔を赤くする。
(オーロラ嬢がアレックス王子の婚約者と知ってショックではあったけれど、その後に起きた事件の比ではなかった)
それはオーロラ十八歳の時。
王宮からの帰りに、オーロラは暴漢に襲われたのだ。
(オーロラ嬢はアレックス王子の婚約者であるのに、帰りに護衛騎士を付けない王妃の采配。明らかに待ち伏せされたにも関わらず、事件の解明をおろそかにした。そしてオーロラ嬢の名誉を傷つけたのだ)
アスランは今でも事件のことを怒っている。
汚らしい床に横たわったオーロラの姿を思い出す度に、自分の怒りをコントロールすることなど不可能だと思い知らされる。
そして国一番の行事である、建国祭。夜会会場での、貴族達の面前での、婚約破棄。
(いくら。いくらこの一連の出来事がきっかけでオーロラ嬢を辺境で保護することができたとしても、俺は不幸中の幸い、などと思わない。オーロラ嬢はあんな扱いを受けていい人ではない)
オーロラは、アスランの目線のちょっと下を、言われたそのとおりに足もとに注意してそろそろと階段を降りている。
ブルネットのくるくるとした髪はウィッグだとわかっているが、これもこれなりに愛らしいな、とアスランは思う。
オーロラの美しいアイスブルーの瞳はそのままだし、着ているバーガンディー色のドレスは今までオーロラが着ていたドレスと比べて、格段に装飾がされていて、若い令嬢らしくてとてもいいと思う。
アデルは「まあ、地味なドレスよ、これ?」なんて言うけれども、オーロラが着ているせいか、とても可愛いドレスに見える。
それに、胸もとは広く開いていて———。
そこで、アスランは慌てて視線を逸らした。
騎士ともあろう者が、真上から令嬢の『絶対領域』を覗き込んでどうする!?
あぶない、あぶないとアスランは冷や汗をかいた。
(オーロラ嬢は……気がついていないな?)
アスランはほっとする。
しかし、この調子では、とてもオーロラを一人でお茶会なぞに出せない、とアスランは思った。
若い男どもがやってくるお茶会だと?
とんでもないことだ。俺が不埒な輩を阻止しなければ! と、アスランはオーロラが『真実の愛』を探していることをすっかり忘れて、固く心に誓うのだった。
しかし、そんな誓いはあっけないほど早く試練にさらされてしまう。
アスランがオーロラを連れて城の二階にある中庭に出ると、「あ! ローリーお嬢様だ!!」という歓声が響き、同じ階にある騎士の屋外訓練場から、わらわらと大量の男どもがやってきたのだった。
(しまった!! こいつらが訓練場にいることを失念してしまった。不覚!!)
「お嬢様、ご機嫌いかがですか?」
「昨夜のお食事はおいしかったですか?」
「今日も大食堂にお越しに?」
(こ、こいつら、調子が良すぎる……!)
アスランは本気でイラッとした。
その時だった。
「ローリーお嬢様、まだ閣下からのお話はありませんが、もし専属の護衛騎士が必要でしたら、ぜひ私にお声をおかけください」
「!!!!」
なんてことを言うのだ!
アスランが怒って声の主を振り返ると、そこには騎士仲間でも特に親しい、レオナルドが立っていた。
金髪碧眼、イケメンの若者で、貴族出身にも関わらず、剣の腕も若手で一二を争う。
手合わせも数え切れないほどしてきた相手だ。
アスランがメガネ越しにレオナルドを睨むと、レオナルドは飄々と笑ってみせた。
(くそう)
何か一言言ってやろうか、アスランが口を開きかけた時だった。
「お申し出、ありがとうございます」
オーロラが優雅にカーテシーをした。
「ですが、わたくしにはもう、心に決めた護衛騎士がおります。お気持ちだけありがたくちょうだいいたします」
長年王子妃教育を受けてきたオーロラだ。
臆することなく答える姿には、気品と威厳があふれていた。
「その方は、かなりの腕なのでしょうか?」
レオナルドが小首を傾げながら言うと、オーロラはうなづいた。
「ふふ。実は見たことはないのですが、心からその方のことは信頼しております。ですので、剣の腕を心配する必要はございません」
その瞬間、おおっというどよめきが上がった。
「な、なんと!!」
「そこまで信頼されている騎士! 一体誰なんだ。よほどの腕なのだろうな。見たことはないと言いつつ、信頼されているなんて」
「同じ騎士として、うらやましすぎる……!」
アスランの顔が真っ赤になった。
(え、まさか、その信頼している騎士って———まさか、まさか……)
アスランの心臓は、オーロラへの期待でばくばくと激しく打ち始めていた。
もちろん、アスランの頭の中には「それって俺のことですか……?」という言葉がぐるぐると渦を巻いている。
「ロ、ローリーお嬢様、お庭はこちらです。ご案内しましょう!」
あまりにも騎士達が盛り上がるのに怯えたアスランは、慌ててオーロラを中庭への通路に案内した。
「はい、ラン君。でも、あの、わたくし、一度騎士の皆さんの訓練を見学してみたい———」
「いやいやいやいや、今日はダメです!! 閣下の許可を取らないといけないですからね! それにこいつら汗くさいですから! さ、お嬢様、こちらへどうぞ!?」
「はい??」
不思議そうな表情のオーロラをぐいぐい引っ張っていくメガネ従者に、レオナルドは笑いをこらえた視線で見送った。
その日の夕食も、オーロラは大食堂に姿を現した。
騎士達は大喜びだったが、もやもやとするアスランは、その夜、一人で訓練場で稽古をし、邪念を払ったのだった。
「アスラン」
ようやく落ち着いたところで、アスランはアデルに声をかけられた。
「明日はローリーちゃんのお嬢様教育ですよ。あなたも必要ですから、ちゃんとわたくしの書斎に来てちょうだいね? それからこれ」
アデルは本を一冊、アスランに渡した。
「明日の教材です。今夜中に読了しておくこと。いいですね?」
「はい、かしこまりました」
軽く返事をして、アデルを見送った後に、本のタイトルを見たアスランは絶句した。
「何だこの本———っ!?」
その本とは、もちろん『真実の愛』を研究できる一冊———ローデール王国の有名作家、シンプソン夫人の宮廷恋愛小説のベストセラー本『悪役令嬢と運命の恋〜これは、真実の愛が生んだ、信じられない愛の物語〜』だった。




