第35話 ローリーお嬢様と従者ラン君(2)
「やはり、ここはメガネではありませんか、兄上?」
「うん……。まあ、メガネが手っ取り早くはあるんだけど、いかにも文官、という感じじゃないかな?」
「文官で構わないでしょう? 『ラン君』は従者ですから」
「ああ、そうだったね」
「そうですよ。髪はどうしますか?」
「カツラはやめよう。地肌が蒸れて、後々発毛に問題が出たら気の毒だ」
「そうですね。髪の毛は大事ですからね!」
「私としてはポニーテールがいいと思うんだけど」
「ポニーテールですか……?」
「従者っぽい感じがするよね」
「う〜ん」
「あ、ポニーテールと言っても、小さな女の子じゃないんだから、そんなに高いところで結ばないで?」
「はいはい。わかっていますよ、兄上」
デルマス辺境伯家に仕える兄弟、弟で家令のワトソンが首をひねりながらも、器用にヘアブラシを扱って、アスランの髪をひとつにまとめた。
男三人がああでもない、こうでもないと試行錯誤をしているのは、スチュワートとワトソンが共同で使っている事務室の中だった。
机や椅子の上には、男性用の服が何枚も広げられている。
「……まあ、悪くないですかね」
「ワトソン、タイを決めよう。ひらっとしたスカーフみたいのがいいんじゃない? アスラン様はイケメンだから」
「……兄上、目立ってはいけないんですよ? 地味に、周囲に埋もれるような感じにしないと」
ワトソンはしゃべりながらも手は忙しく動かして、あれでもない、これでもない、とスカーフをあれこれいじり回していた。
「ああ———このジャケットがいいね。私が若い頃のだけど、いかにも従者っぽい感じになる」
「兄上、またそういう適当なことを……」
執事のスチュワート(兄)と家令のワトソン(弟)の目が、アスランに注がれた。
ワトソンが首をかしげた。
「いいですね?」
「だろう?」
二人は一緒にうなづいた。
シンプルな白のシャツに、地味なこげ茶のトラウザーズ。
同じ色のジャケットを着て、襟もとにはひらっとした白のスカーフを巻く。
ちょっと長めの黒髪は後ろでまとめてポニーテールに。
どうしても目立つ印象的な青い瞳は、レンズの厚いメガネで隠す。
そこには妙に姿勢がよくて、背が高い、謎のメガネ従者ラン君が立っていた。
「アスラン様、よくお似合いです!!」
アスランが顔を赤らめた。
「スチュワート、そう思う? ちゃんと従者に見えますか? 何しろ、オーロラ嬢のそばにいるには、従者になるしか———」
「従者に見えると思います。若いお嬢様の中には、見た目のよい若い男性を従者として連れ歩いて喜ぶ方もいらっしゃると聞きました。アスラン様ならまさに適役と言えましょう」
「兄上! それってアスラン様が外見だけと言ってませんか!? フォローになってませんよ!」
ワトソンはスチュワートを背後からつつく。
「ところでアスラン様、アスラン様が本物の従者に見えるように、少し練習をした方がいいのではと思いますが、いかがでしょう?」
「それはいいね。俺も従者としての振る舞い方を身につけたいし」
ワトソンはにっこりとしてうなづいた。
「それでは、まずお嬢様の従者としての心構えから———」
こうしてスチュワート(兄)&ワトソン(弟)による、お嬢様の従者としての心構えの授業が始まったのだった。
***
「何よりもお嬢様の身の回りが快適であるように、あらゆることをを整える、それがあなたの役割です。よろしいですか、あらゆることです。その判断もあなたの仕事です。時には汚い仕事もあるかもしれませんが、お嬢様のお目を汚さないこと。いいですね?」
「わかりました」
「男性の従者は通常、男性のご主人様のお世話をするのが仕事です。今回はオーロラお嬢様の従者ですが、若い男性としてお世話ができない部分もありますから、侍女のエマと協力して進めてください。従者の仕事としては、まず身の回りのあらゆるお世話が第一。衣装の管理からお着替えのお手伝い、お嬢様が望まれるすべてのお世話をします」
「わかりました」
「次にお食事の際はつききりでお世話をすること。お食事の給仕はもちろん、お飲み物の手配・給仕。お嬢様が特別な食器などをお持ちなら、その維持・管理も仕事です」
「わかりました」
「そして何より、一番望まれているのは、お嬢様の外出時のお供です。当日のスケジュールを決め、必要なことを手配し、当日はお嬢様に付き添って、問題なくスケジュールをこなせるようにお世話をします。馬車や護衛の手配も行ってください。また当日、お嬢様の手荷物をお持ちするのも、従者の役割です」
「わかりました」
「お嬢様の衣装や身の回りの品物についても、知っておく必要がありますね。エマに頼んでおきましょう。新しいお衣装を手配する時には、アデル様にお伺いし、エマも同席させてください」
「わかりました」
「業務報告は私達に提出。私達からアデル様にお届けします。毎日です。よろしいですね?」
「わかりました」
アスランは言われたことを几帳面にノートに書き込んでいたが、やがてふと顔を上げた。
「俺からの質問もいいでしょうか?」
「もちろんです。あ、でも従者ですから『俺』ではなく『私』にしましょう」
「わかりました」
家令のワトソンがうなづくと、アスランは言った。
「せめて、短剣は持ちたいのですが、どうやって持てばいいでしょうか?」
ワトソンは「ぐほっ」と妙な咳をした。
「……短剣ね。短剣ですか。兄上、どうしましょうか?」
ワトソンが兄で執事のスチュワートに言うと、スチュワートはちょっと考え込んだが、元々は騎士で辺境伯の副官だった男はあっさりと「いいんじゃない?」と言った。
「剣を使える侍女を令嬢につけることもありますしね。アスラン様は実際に騎士なのですから、短剣は身につけてもいいかと思います」
スチュワートはそう結論づけると、ワトソンが考え込んだ。
「問題は、短剣を忍ばせる場所ですね。足に着けてもいいけれど、動いて見えちゃうと困りますしねえ。腰の後ろに着けてはどうかな? 斜めにして、右手で抜きやすいようにすれば。馬車の中には長剣を隠しておきましょう。馬車の中にも同乗するわけですから、緊急時には、その剣を使っていただくことにして」
「ありがとうございます」
「……わかりました。それでは、アスラン様の装備については、兄上と別途相談していただくことにしましょう。では、今日はまず、食事の際のお給仕についてやりましょうか?」
「はい!!」
従者ラン君のデビューも、まもなくのようだ。