第31話 辺境生活の始まり(2)
「それでは、改めて大事なお話をするわ」
そう言って、アデルは話を切り出した。
デルマス辺境伯領。
辺境伯の住まいであるロシュグリー城の五階は、領主一家の居住空間となっていた。
夫妻の寝室と浴室、リビングルーム、私的なサロン、浴室付きの客用寝室、召使いの控室を備えている。
ひとつ下の四階は仕事と社交に関わる空間が集められている。
多目的に使われる大広間と控えの間、会議室、領主の執務室、アデルの書斎、客人を通すサロン、大食堂がある。
領主であるルドルフ、領主夫人のアデル、アスラン、オーロラ。
家令のワトソンと執事のスチュワート、侍女のエマ、エマの母であるモリシア夫人は今、五階にある私的なサロンに集まっていた。
アデルがわざわざ五階に全員を集めたのには理由があった。
それは、オーロラの存在だ。
「まず紹介します。こちらのご令嬢は、オーロラ・フォレスティ伯爵令嬢です。アレックス王子殿下の婚約者でしたが、先日の建国祭夜会で王子に婚約破棄され、国外追放を言い渡されました」
アデルの紹介に、まあ! とモリシア夫人が息を呑んだ。
オーロラは着席のまま、深くお辞儀をした。
「オーロラ嬢は、わが辺境伯領にて、秘密裏に保護することに決めました」
アデルはまず、一番重要なことから話を始めた。
ぐるりと一同を見回して、反応を確かめる。
幸い、全員が状況を察したようだった。
「……そのため、オーロラ嬢にはロシュグリー城に滞在いただきますが、その素性は公にはしません。後で仮のお名前を考えるつもりよ。それに、この容姿だと目立ってしまうので、お姿も少し変えましょう。エマとモリシア夫人は手伝ってちょうだい。それから当面、エマはオーロラ嬢の専属侍女としてお世話をしてあげて。モリシア夫人にはエマの代わりに、わたくしの侍女になってほしいの」
モリシア夫人がうなづいた。
「かしこまりました、奥様」
スチュワートとワトソンの兄弟は、痛ましげにオーロラを見て、うなづきあっている。
「オーロラちゃん、紹介するわ。この二人は兄弟で、お兄さんのスチュワートは執事としてルドルフ様とわたくしの仕事を手伝ってもらっているの」
アデルはオーロラに向かって微笑むと、テーブルに集まっているメンバーの紹介を始めた。
「弟さんのワトソンには城の家令を務めてもらっているわ。モリシア夫人は、エマのお母さんで、以前はわたくしの侍女をしてくれていたのよ。今は家政婦長を務めているのだけれど、またわたくしの方も見てもらうことにするわ」
「お心配り心からお礼申し上げます。色々とご面倒をおかけして心苦しく、申し訳ありません。皆様、お世話になります。どうぞよろしくお願い申し上げます」
オーロラがふたたび深く頭を下げると、アデルはそっと首を振った。
「オーロラちゃん、遠慮しないで。これはね、わたくしのためでもあるの。フォレスティ伯爵とも話はついているし、心配しないでね。今日はゆっくりして、明日になったら今後のことも相談しましょう」
スチュワートとワトソン兄弟の兄の方があごをさすりながら言う。
「……お嬢様の婚約破棄と国外追放についてですが、その後、国王陛下からは何も正式な発表がないようですよ? 国外追放は王子様が言っただけですから、決定になることはないだろうと王都新聞に載っていましたね」
「……兄上! そんな呑気なことを言っている場合ですか! たしかに、噂のグランヴィル公爵令嬢が新しい婚約者になったとの話も聞かないですが。まあ、王宮の中で揉めているんでしょう。それより、お嬢様の方が大変なことに!」
弟の方が、弟といってももう五十歳は過ぎているのは確実だったが、ダン! とテーブルを叩いた。
「お年頃のお嬢様にとって、大変な侮辱ですよ! うう、もし私の娘がそんなことになったらと考えると……!! 胸が張り裂けそうです! それに、このお嬢様のどこがご不満だったのか、私には一向にわかりかねますね」
「……ワトソン落ち着きなさい」
兄のスチュワートが眉を八の字にしてささやいている。
そんなやりとりにオーロラが目を丸くしていると、モリソン夫人がオーロラに声をかけた。
「ふふ。すみませんねえ、お嬢様。この兄弟はちょっとうっとおしいところはあるんですが、いい人達なんですよ。あ、ちなみにご想像のとおり二人とも独身です」
「!? い、いえ。そんな想像はしていませんでしたわ」
「モリソン夫人!!」
「その情報、必要ですか!?」
兄弟が真っ赤になって抗議した。
とはいえ、モリソン夫人はすでにオーロラに話しかけていた。
「オーロラお嬢様、ええと今日のところは、『お嬢様』とお呼びしますね。明日からはまた、奥様のご指示のとおりに……」
「ありがとうございます、モリソン夫人」
オーロラとモリソン夫人とのやりとりを見て、家令のワトソンは「なんとしっかりしたお嬢様でしょう! こんな愛らしい方が婚約破棄だなんておいたわしい……!」と叫び、執事のスチュワートもワトソンと顔を見合わせ、深くうなづいていた。
***
「わぁ……可愛いお部屋ですね」
オーロラのために用意された部屋に入ると、思わずオーロラは感嘆の声を上げた。
背後に付き添うエマが嬉しそうにうなづく。
オーロラの部屋は最上階の五階に用意された。
ルドルフとアデルの居住空間が設けられている階だが、来客用の寝室も用意されている。
寝室には浴室や衣装部屋、リビングルーム、さらにはサロンまで付属しており、不自由なく過ごせるように造られていた。
(本当に大きなお城だわ……)
オーロラは感嘆する。
オーロラのために用意された部屋は西南にあり、窓からは広大な海が見える。
オーロラはまず寝室に入って、周囲を見回した。
壁紙は淡い水色で、デルマス地方の風景が描かれていた。
大きな木製のベッドは、白と青のベッドリネンで整えられていた。
海を見渡す大きな窓の前には、ドレッサーが置かれている。
白いドアの向こうには白と青で統一された浴室があり、出窓には不思議な形をした、白い置き物が飾られていた。
不思議そうに眺めているオーロラに気づいて、エマが微笑みながら言った。
「それは貝殻ですよ。浜辺にたくさんあるのです。昔、奥様はお散歩の度に貝殻を拾って来られまして。珍しかったんでしょう。これはその当時の名残で、一番形のいいものを残してあるんですよ」
「まあ、わたくし、初めて見ましたわ」
オーロラはわくわくしながら、貝殻を持ち上げてみた。
「わぁ、意外と重いんですね!」
「それは大きいですから。小さいものは、お嬢様の爪くらいの大きさしかないんですよ」
「まあ! こんなものが砂浜にあるなんて、不思議だわ。散歩に行くのが楽しみになりますね」
オーロラが感心していると、エマはくすくすと笑った。
「奥様と同じですわ。王都のご婦人方は貝殻が珍しいんですのね」
エマはもうひとつの白いドアを開けて、衣装部屋を見せてくれた。
ベッドと同じ木製の棚が壁際に並んでいる。
今ハンガーにかけられているのは、ほんの数着だ。
ロシュグリー城に着く前、ソレトの町で買ったデイドレスが二着。
コルセットを必要としない、軽いワンピースが一着。
細かな白いレースで飾られた化粧着。
床の上には柔らかな室内履きが一足、置かれていた。
タオルや下着はきちんとたたんで、棚の上に重ねられていた。
「旅の間にお召しになっていたものは今洗濯しています。乾いたらこちらに持ってきますね。ドレスを作ったら、ここもすぐいっぱいになりますよ」
エマは楽しそうに言う。
「さてと。こちらはリビングルームです。サロンに続くドアと、廊下に出るドアがあります」
エマは寝室の隣にある、広々とした部屋にオーロラを連れてきた。
リビングルームの壁紙は淡い紫色だ。
部屋の中央にはソファとコーヒーテーブルが置かれ、壁側のコーナーには、小ぶりのダイニングテーブルと椅子が置かれている。
「こちらに朝食を用意いたしましょう。奥様も普段、朝食はお部屋で召し上がります。昼と夜は四階の大食堂で召し上がることが多いのですが、今日はお嬢様のお食事はすべてこちらにお持ちするように言われております」
「わかりました。ありがとう、エマ」
オーロラがうなづいた。
「リビングルームにお運びしますね。明日は奥様がお嬢様のお支度をするとおっしゃっていますので、その後は食堂にも行かれると思いますわ」
最後にオーロラがサロンを覗くと、そこは一転して淡いバラ色の壁紙が貼られた、女性らしい印象の部屋に整えられていた。
壁際に置かれたテーブルには、アンティークらしい、ピンク色のバラ模様のティーセットがお盆に載せられて置かれていた。
どの部屋も、どっしりした茶色の木製家具なのだが、花や草木の浮き彫りが施されていて、とても華やかだ。
「こんな家具は見たことがないわ」
オーロラは興味深げに家具を見て歩く。
「この家具は、デルマス地方の独特の家具なんですよ。オーク材の重い家具なのですが、お花などの浮き彫りを施して、明るい印象にしているのです。実は、このお部屋は奥様がご結婚前にしばらく使われていたお部屋で、揃えている家具は、旦那様のお母様がデルマス地方になじんでほしい、という想いで一式揃え、ご結婚のお祝いにしたものなのです」
「まあ」
「それが、さすがあの旦那様のお母様らしいというか、豪快な方でして。一式どころか将来の子ども部屋にも使える勢いで揃えてしまわれたのです。奥様は大きな家具は結婚後のお二人の寝室に使い、小ぶりなものはお客様用のお部屋にと振り分けられたのですよ。前の奥様はもう亡くなられましたが、アデル様をとても気に入られて、もうそれはそれは可愛がっておいででした。もう、旦那様よりも可愛いと公言されてましたからね」
エマは楽しそうに笑う。
てきぱきとリビングルームのテーブルにお茶の用意をするとお辞儀をした。
「わたくしはこれで。どうぞゆっくりお過ごしくださいませ。お昼にはお食事をお持ちいたします。……何か、ご入用なものがありましたら、遠慮なくお知らせくださいね。ご本ですとか……刺繍のお道具など、ご用意いたしましょうか?」
オーロラはちょっと首をかたむけた。
「そうだわ。何か、書きもの一式があると嬉しいわ。考えごとをしたり、お許しが出たら、お父様にお手紙を書いたりしたいのです」
エマはうなづいた。
「かしこまりました。手配いたしますね」
そしてエマは退出し、オーロラは部屋に一人、残された。
「ふう」
大きく、深呼吸をひとつする。
美しい部屋。
窓から見える、壮大な海の景色。
ここはデルマス辺境伯領の、ロシュグリー城で。
この部屋には自分のものは何ひとつない。
母の肖像画はここにはないし、父もいない。
オーロラを幼い頃から面倒を見てくれているリンネ夫人も、気心の知れた侍女のアリスもいない。
「……今まで、こんなふうに、一人になったことなんて、なかったわ」
何もかもが違う。
誰もが親切だけれど、オーロラの親戚でもなければ、昔からの知り合いでもない。
一瞬、心細くなってうつむいたオーロラだったが、花のような、温かな紅茶の香りが部屋に漂っているのに気がついた。
「そうだわ。エマがお茶を入れてくれたんだった」
エマはてきぱきと働く、気持ちのいい侍女だ。
オーロラは王都のタウンハウスに残してきた侍女のアリスを思い出す。
(泣いていないかしら……)
オーロラと年が近く、まだ少女らしさが抜けないアリスは、心優しく、いつも一生懸命な侍女だった。
お互いに子どもの頃から知っていて、まるで家族のようにオーロラのことを心配してくれる。
オーロラはそろそろと椅子を引き出し、お茶のテーブルに着いた。
ポットから熱いお茶をカップに注ぐ。
ゆっくりと味わって飲むと、深いベルガモットの香りが、感じられた。
「おいしいわ。エマはお茶を入れるのも上手なのね」
オーロラはつぶやいた。
建国祭とそれに続く夜会。
アレックス王子から言い渡された婚約破棄と国外追放。
それでも、こうして、人の好意を感じられることは、本当にありがたいことではないだろうか?
「わたくしは安全に、このロシュグリー城の美しいお部屋にいる」
オーロラは窓際に行って、青々とした海を見つめた。
「お父様も賛成されたとおっしゃっていた。きっと近いうちにお父様やセイディや、リンネ夫人やアリス……きっとみんなに会えるわ。わたくし……、わたくし、ここで、頑張ってみよう」
初めて見る海。
それは、ちょっと怖いけれど、とても美しくて。
「挑戦するのよ、オーロラ」
オーロラは海を見ながら、心を決めた。




