第3話 王子の誕生会(1)
「オーロラお嬢様! ドレスメーカーのリズ夫人がいらっしゃいましたよ!」
フォレスティ伯爵家のタウンハウスに、明るい声が響いた。
軽いノックの後、部屋のドアが開いて、オーロラ付きの侍女アリスが飛び込んできた。
侍女の中でも格段に歳が若いアリスは、オーロラと同い年。
興奮してぴょん、と飛び跳ねた。
「お嬢様、ドレスを作るのは久しぶりですねえ。本当に楽しみですわ。ぜひ、可愛いドレスを作りましょう! ささ、お早くサロンへどうぞ」
「アリス、オーロラお嬢様はお勉強中ですわよ?」
うきうき気分を隠せないアリスを軽くたしなめたのは、オーロラの教育係のリンネ夫人だった。
オーロラの母であるアストリッド・フォレスティ伯爵夫人が死去して、はや五年。
オーロラは十二歳になった。
王宮騎士団の騎士であるフォレスティ伯爵は多忙で屋敷にいる時間が少ないため、オーロラの世話役が必要、ということで、リンネ夫人が教育係として雇われたのである。
教育係と言っても、オーロラの身の回り全般に気を配ることも含まれていた。
善良なリンネ夫人は、男親では目の届かないところに気を配ってくれるのだが、オーロラの秘密は当然、知らない。
母を早くに亡くしたオーロラに同情し、できる限り、若い令嬢としての楽しみを経験させたいと思っているリンネ夫人は、結構オーロラに甘い。
今もなんだかんだ言いつつ、オーロラの勉強道具をてきぱきとまとめ、オーロラに声をかける。
「オーロラお嬢様、それでは、お勉強はいったん中断して、ドレスの採寸にまいりましょうか?」
リンネ夫人が声をかけると、静かに机に向かっていた白金の髪の少女がそろりと顔を上げた。
目元を隠す長めの前髪。
首の後ろでまとめられた、地味な髪型。
それでも、色白でなめらかな肌と、整った目鼻立ちは際立っていた。
「リンネ夫人、そのことだけど、このご招待は出席しないとだめかしら?」
年齢のわりには、落ちついた、大人っぽい声だった。
リンネ夫人はオーロラから本を受け取り、さっと机の上に重ねて置いた。
ちょっと困ったように、眉が下がる。
「アレックス王子殿下のお誕生会ですわ。王妃殿下の主催ですから、欠席はできないかと……」
リンネ夫人の言葉に、オーロラは手にしていたペンを机に置いた。
(リンネ夫人は、事情を知らないわ。欠席にしたいと言っても無理でしょうね……。できるだけ、人の前に出ることは避けたいのだけど)
オーロラは落ち着いてリンネ夫人を見上げた。
「リンネ夫人、当日は付き添いとして一緒に来てくださる?」
「もちろんですわ、オーロラお嬢様」
侍女のアリスが嬉しそうにドアを開けた。
「ささ、オーロラお嬢様! ドレスを作りましょう!」
***
オーロラがアリスとリンネ夫人を連れてサロンに入ると、個性的な紫紺のドレスをきっちりと着こなした女性が、優雅に腰を折った。
「オーロラお嬢様、お久しぶりでございます」
ドレスメーカーのリズ夫人が、深々とお辞儀をした。
「すっかり大きくなられましたね。いよいよ王宮に伺う特別なドレスを作られると聞いて、今日は大喜びでまいりましたの」
「ありがとう。今日はよろしくお願いします」
オーロラは口もとで微笑みながら、リズ夫人に会釈をした。
「オーロラお嬢様、どうぞこちらへ」
リンネ夫人はオーロラをソファへ連れて行く。
オーロラが座ると、テーブルの上にまずドレスブックが広げられた。
「まず、デザインを決めましょう。それから採寸を」
オーロラはうなづいた。
オーロラが口数が少ないのはいつものことで、リズ夫人も気にすることなく、てきぱきとおすすめのデザインを見せていく。
「オーロラお嬢様、わたくしの一番のおすすめは、こちらのドレスでございます」
示されたページを見て、オーロラは思わず、ひゅっと息を呑んだ。
それは、純白のシンプルなドレスだっだが、ふわりとしてごく薄い、透き通るような水色のショールを合わせており、胸もとにはピンク色のバラが飾られていた。
スカート部分はフリルが何段にも重ねられ、たっぷりと膨らんでいるのが、いかにも少女向けで、とても可愛らしかった。
「お若いご令嬢にぴったりな、このお年頃らしい愛らしさが引き立つドレスだと思いますわ」
リズ夫人はにこにことしているが、オーロラは顔が青ざめるのを感じた。
(ダメダメ……っ! このドレスは、可愛すぎる……!)
オーロラは助けを求めるように、隣に座っているリンネ夫人を見上げた。
(わたくしは万が一にも、人の注意を引いては、いけないのよ! 亡くなったお母様が何度も何度もわたくしに言い聞かせていらしたわ)
オーロラは心の中で焦っているが、オーロラが呪いをかけられていることなど知らないリンネ夫人は、熱心にドレスブックを見つめている。
『オーロラはお母様が一緒でなければ、お外に行ってはいけません。オーロラは、知らない人とお話ししてはいけません。オーロラは男の子には近づいてはいけません』
オーロラの頭の中で、亡き母の言葉が、ぐるぐると回っている。
『オーロラは人と目を合わせないようにしてね。人の関心を引いてはだめなの』
リンネ夫人が、オーロラを見て、デザインブックを見て、またオーロラを見た。
にっこりと微笑んで言う。
「オーロラお嬢様、このドレス、お嬢様にとてもよくお似合いにりますわ。お嬢様はとてもお美しいお顔だちをしていますし、髪と目のお色にもぴったりです。……お嫌ですか?」
そう問われて、オーロラはそっとうなづいた。
大人二人は困ったように顔を見合わせる。
「……ねえリズ、どうしてこのドレスを勧められましたの?」
リンネ夫人がそうたずねると、リズ夫人は、実は……と話し始めた。
「今回の王子殿下のお誕生会にはほとんどの貴族のご令嬢が招かれているようです。王子様は十二歳になられますが、とりわけ、十四、五歳までのご令嬢を集めて、婚約者候補を王妃殿下が選ばれるのでは、そんな噂がございます」
「まあ」
「そのお年頃では、デビュタントはまだですわ。それで、王子殿下とお年の釣り合いそうなお嬢様方は、皆さん、今回のご招待がデビュタントのようなお気持ちで、白のドレスを選ばれているそうです。わたくしどものお客様にも、多くおられますわ。それで、僭越ながら、オーロラお嬢様にも白のドレスがいいのではと思いまして———このデザインをお持ちいたしましたの」
リズ夫人は丁寧に彩色されたデザインを見せながら、どこかワクワク顔。
リンネ夫人は口元に手をやりながら、思案げだ。
オーロラはこれは困ったと思いながら、うつむいて懸命に頭を働かせていた。
(人目を引いてはいけないのに、王子様の婚約者候補なんて、とんでもない話だわ!)
オーロラは顔を右にかしげる。
(もういっそ、お父様にお願いして、欠席にしては。しかし、これまであらゆるお誘いを断ってきたし、さすがに王子様のお誕生会は欠席させてはくれないでしょうね……)
今度は左に顔をかしげた。
(どうせ当日は、みんなこれでもかと着飾って現れるに違いないわ。やはりいつものように顔を隠して、何の飾りもない地味ドレスを着て壁際に立ち、タイミングを見てお庭に逃げるしかない……!!)
うつむきつつもオーロラは思わず、ぐっと両手を握りしめた。
(頑張るのよ、オーロラ。王子様があなたの『真実の愛』であるわけがないわ。まあ大丈夫だと思うけど、もし万が一にも王子様に選ばれてしまったら、わたくしは将来王子様を殺してしまうわ! そして王子様の殺害犯として処刑されるに違いない。それを思えばこれくらい)
オーロラは心を決めた。
ぐい、っと顔を上げて言った。
「これは嫌です」
「え!?」
オーロラはテーブルの上から白い紙を取り上げると、そばにあったペンで、さらさらと絵を描いた。
「これでお願いします」
リンネ夫人とリズ夫人が、思わず顔を合わせる。
「オーロラお嬢様?」
リンネ夫人とリズ夫人がオーロラを困惑したように見つめている。
オーロラはきっぱりと言った。
「このデザインで作ってください。そうでなければ、お誕生会には行きません!」
***
そうして苦労して準備したドレスが出来上がり、アレックス王子のお誕生会当日がやってきた。
「オーロラ、とても美しいよ。さすが我が娘だ。お母様に本当によく似てきたね」
「お父様、ありがとうございます」
フォレスティ伯爵のタウンハウス。
玄関前のホールで、アレックス王子の誕生会に出かけるオーロラは、父の見送りを受けていた。
父であるフォレスティ伯爵は王宮騎士団の騎士。
王家の人々の護衛も務める、華やかな職務である。
王宮騎士団の色である、濃紺と金の騎士服に身を包んだフォレスティ伯爵は、姿勢よく立ち、年齢よりも若く見えた。
実は、オーロラの父は、アストリッドと結婚する前から、オルリオン王国随一の美男として有名な存在だった。
整った顔だち。混じりけのない金髪に青い瞳。
今でも王宮で貴族令嬢や夫人達をときめかせているという父は、娘の目から見ても、華やかで魅力的に見えた。
(お父様は、娘であるわたくしより、よほど魅力的で素敵だと思うわ……!)
オーロラは大人しく、父が娘の装いを確認するのに任せた。
父の表情がだんだん曇っていくのを、オーロラは切ない気持ちになって見守る。
「し、しかし……もう少し、この髪型はどうにかできなかったものかね……? これが王都での流行なのかい? 前髪がちょっと、長いのではないか。おまえのきれいなアイスブルーの瞳がすっかり隠れてしまっている。お父様、おまえの目が大好きなんだけど」
「お父様、ご心配なく。もちろん、王都での最新流行ですわ」
オーロラはあっさりと嘘をついた。
オーロラの母である、アストリッドは、誰もが認める美人だった。
何しろ美形が多いことで有名な、隣国ノール王家の王女だったのだから。
しかし、そんな母が愛した父は、たしかに容姿に恵まれた美男であったものの、それよりも、まっすぐで人を疑うことを知らない、穏やかな性格が魅力的な男性だったのだ。
今も、あっさりと娘に丸め込まれようとしているように———。
「そ、そうなのかい? それにしても、そのドレスはまったく飾りがないのだね? ちょっと地味じゃないかい? そうだ、亡くなったお母様の宝石をちょこっと着けてみてはどうかね?」
「大丈夫ですわ。わたくし、まだ十二歳ですから。お母様の立派な宝石を着けるには早すぎます」
「ふむ。オーロラ、お母様のブレスレットは着けているかい?」
父の言葉に、オーロラはちょっと困ったような表情をして、左手を差し出した。
そこには、細い銀の鎖が巻かれている。
「着けていますわ。これは、お母様の形見ですもの」
フォレスティ伯爵は眉を下げると、オーロラの額にそっとキスをした。
「そうか……すまないね。お父様はけして、おまえの晴れ姿にケチを付けるつもりではないんだよ。ただ、お父様は無骨な騎士で、女性のことはよく知らないから……すまなかったね、オーロラ。リンネ夫人、この子はとても内気で感じやすい子だから、大勢の人の前で心配だ。どうかよく気をつけてやってください」
「はい、旦那様。どうぞご心配なく」
ようやく、王宮に向けて出発できそうだ。
オーロラは付き添ってくれるリンネ夫人を見上げる。
父は最後の注意事項を、リンネ夫人に伝えているところだった。
「何かあれば、王宮の騎士に、誰でもいいから言伝を頼むといい。私も仕事で王宮に詰めているから」
「かしこまりました」
「お父様、お仕事頑張ってください。大好きですわ。それでは、行ってまいります」
もう出発してもいいだろう。
オーロラは背を伸ばして、騎士姿の父の頬にキスをした。
何の飾りもない、シンプルな白のドレスの裾がひらっとしたが、オーロラは危なげもなく一人で馬車に乗り込み、父に向かって手を振った。
リンネ夫人も、にこにこしながら馬車に収まる。
フォレスティ伯爵邸から、王宮に向かって、馬車は走り始めた。