第29話 辺境伯夫人の決意
「まぁ! 明るく見えるわね。オーロラちゃん、よく似合うわ」
「さようでございますね。お嬢様、とてもお綺麗です」
鏡の前で、辺境伯夫人アデルとアデルの侍女エマにほめられて、オーロラは顔を赤くした。
アデルがオーロラに着せたのは、自分自身も辺境から王都への往復で活用しているという、婦人用の乗馬服をアレンジした旅行用のドレスだった。
上半身は体にぴったりとした長袖の上着になっており、上着の下には通常のドレスよりも丈が短く、膨らみ過ぎない動きやすいスカートが合わせられている。
襟もとにはレースのスカーフを巻き、頭の上には陽射しをさえぎる、つばの大きな帽子を合わせていた。
上着は落ち着いたモスグリーン。
帽子とスカートはバラ色だ。
今までグレーや茶色といった落ち着いた色ばかり着ていたオーロラにとっては、生まれて初めてと言ってもいいくらいの華やかな色合わせだった。
アデルは同じデザインで、上着は濃紺、スカートと帽子はえんじ色。
動きやすさを重視した装いでもけして地味にはならない。
オーロラは美しくて華やかなアデルを眺めては飽きることがないほどだった。
(本当に素敵な方。お綺麗で、センスもよくて)
今日はデルマス辺境伯領に出発する日だ。
オーロラはアデルの寝室に呼ばれ、旅の身支度を整えられていた。
「昨夜ちょっとサイズを調整してよかったわね。とりあえず、辺境に着くまでに着るものがあればいいわ。向こうに着いたら、どうせ新しくドレスを仕立てることだし」
「何から何までありがとうございます」
「まあ、遠慮しないで。わたくしの楽しみでもあるのだから。わたくしには子どもがいないでしょ? アスランは息子のようなものだけど、男の子にドレスを着せるわけにはいきませんからね」
アデルはてきぱきと身支度を済ませると、最後まで使っていた手回りのものをエマに預けた。
「あなたの使うお化粧品などはもうエマがまとめていますからね。道中、宿を取るけれど、どこもいつも使っている場所だから、安心ですよ。不便はありませんからね。さあ、行きましょう」
「はい、デルマス伯夫人」
アデルが足を止めた。
眉を困ったように寄せる。
「嫌だわ、オーロラちゃん。アデルって呼んでちょうだい。デルマス伯夫人なんて、歳をとったような気がするわ」
オーロラは微笑んだ。
たしか、辺境伯閣下も昨日、同じようなことをおっしゃっていたような。
「ふふ。では、アデル様」
アデルはにっこりと微笑み返して、オーロラの手を取って、階段を降りて行った。
オルリオン王都にあるデルマス辺境伯家のタウンハウス。
すでに辺境騎士団の騎士達が隊列を組み、ルドルフとアスランが馬車の前で待っていた。
辺境騎士団の色である、ロイヤルブルーの騎士服に身を包んだ騎士達の姿は、圧巻の眺めだ。
「アデル、オーロラ嬢の面倒を頼むぞ」
「はい、ダーリン。任せてちょうだいな」
ルドルフがその太い腕でアデルを抱え上げ、ひょいと馬車に乗せる。
次にオーロラにも手を伸ばしたが、さっとアスランが割り込んで、オーロラの手を取った。
「オーロラ嬢、足もとにお気をつけて」
「は、はい。ありがとうございます、アスラン様」
二人の背後で、ルドルフが侍女のエマと笑っていた。
「まあいい。アスラン、おまえはマシューと一緒に馬車に付け。オーロラ嬢は長旅には慣れていないはずだから、気をつけてやれよ」
「は、閣下。かしこまりました」
「待って。アスラン、城に鳩を送ってちょうだい。出発することを知らせておかないと」
アデルが馬車から声をかけると、アスランはうなづいた。
そのまま馬車の後ろに回り込み、何かをしている気配がした。
(鳩、って何だろう?)
オーロラはふと疑問に思ったが、出発の慌ただしさの中で、尋ねる時間はなかった。
侍女のエマも馬車に乗り込むと、ルドルフとアスランは馬にまたがった。
アデルの護衛騎士であるマシューとアスランが馬車の両サイドに位置どる。
この馬車の他にも、召使いの馬車や荷物を載せた馬車が続いた。
「出発!」
ルドルフが吠え、デルマス辺境伯家の一行は領地に向かって出発した。
オーロラは馬車の窓から外を眺める。
その時、一羽の白い鳩が、大きな弧を描いて青空に飛び上がっていくのが見えた。
***
「オーロラちゃん! お食事よ、戻っていらっしゃい。ねえエマ、オーロラちゃんを迎えに行ってちょうだい」
「はい、奥様」
遠くからアデルの声が聞こえた。
一面に続く、まるで海のような草原の中で、オーロラは振り返った。
馬車が止まり、馬車から外された馬達が水場へと誘導されていく。
馬車の隣には天幕が張られ、折り畳みの椅子やテーブルが広げられている。
別な天幕からは煙が上がり、そこで調理が行われているらしいことがすぐわかる。
王都を出てはや数日。
しかし国境線に位置する辺境伯領はまだまだ先だ。
オーロラもだいぶ馬車の旅に慣れたものの、こうして休憩の度に少し外を歩いては、足の疲れを癒していた。
さわやかな風が草原を吹き渡り、オーロラのドレスを揺らす。
一面の緑に、所々に黄色の花が咲いているのが見える。
「静かだわ。誰もいない。誰もわたくしを見ないし、誰もわたくしのことを噂したりしないんだわ」
オーロラはゆっくりと両腕を伸ばした。
まるで太陽に届け、とばかりに、ぐんと伸ばしてみる。
体から余分な力が抜け、深い呼吸と同時に、オーロラの表情が柔らかくなっていく。
(『笑わない伯爵令嬢』か。そう言われるのは嫌だったけれど、たしかにそのとおりだったかもしれない。でも今は)
「気持ちいい……すごく体が楽になっていくわ」
「オーロラお嬢様……! どちらにいらっしゃいますか? お食事ができましたよ、お戻りになってください」
「エマ! すぐ行くわ」
オーロラはドレスの裾をつまむと、ブーツを履いた足で、さくさくと草原を駆け始めた。
このブーツは、旅を始めてすぐ、背の高いオーロラにはドレスが短くなり過ぎたことに気づいたアデルが街で買ってくれたものだった。
くるぶしの先まで柔らかく包む革のブーツは歩きやすく、オーロラはとても気に入っていた。
(どこまでも歩いて行けそう!)
白金の髪が揺れ、帽子のリボンが背後になびく。
草の間から突然現れたオーロラに目を丸くしたエマの表情がおかしかった。
オーロラはくすくすと笑い出した。
「ま、まあ、オーロラお嬢様!」
エマが心臓を押さえてよろめく。
「オーロラお嬢様ったら、意外にも足が早いんですのね? さあ、まいりましょう。奥様がお待ちですよ」
「ええ、エマ」
馬車まではもうすぐだった。
オーロラはエマと並んで、ゆっくりと歩く。
そんなオーロラの様子を、遠くからアスランが静かに見つめていた。
目を優しげに細めて。
ただ、ひたすらにオーロラを見つめていた。
***
オーロラにとって、初めての馬車での長旅。
王都を発ってからはすでに一週間が過ぎた。
窓の外には美しい田園風景が続き、旅にも慣れたオーロラは馬車の中でついぼんやりとして、ときどきカクンと頭を揺らしていた。
すると、オーロラの肩にふわりとショールがかけられた。
はっと目を開けると、穏やかに微笑むアデルの顔がある。
「少しお眠りなさいな。疲れが出る頃よ。休憩の時には起こしてあげるわ」
オーロラはうなづいた。
「あり……がとうございます」
そう言ったかと思うと、オーロラは次の瞬間、壁に頭をもたれさせて、眠りに落ちた。
「……眠られたようですね、奥様?」
エマの言葉に、アデルはうなづく。
オーロラはかくりと頭を左に倒して、目を閉じていた。
白金の髪。金色のまつげが白い肌に影を落としていた。
旅行中とはいえ、アデルとエマが心を配り、髪をちょっと巻いてみたり、明るい口紅を塗ってみたりした成果か、オーロラは愛らしい、年相応の令嬢に見えるようになっていた。
落ち着いた表情に、地味な飾りのないドレスを着たオーロラからは、いつも緊張感が漂っていたのだが、今のオーロラはより自然な表情をするようになっていた。
「すごく元気になったとは思ったけれど、まだまだ無理しているところもあると思うの。この子は本当にしっかりした子だから」
アデルはぽつりと呟いた。
「エマ、この子は本当にアストリッドに似ているわ。今でも信じられないの。アストリッドがもうとうに亡くなってしまったなんて。大切な親友だったのに。わたくしが辺境に行ってからは、もう会えることはなくなってしまった」
アデルはオーロラのほっそりとした左手首をそっと撫でた。
そこには銀色の細いブレスレットが付けられていた。
アデルの左手にも、同じブレスレットがある。
「このブレスレットね、アストリッドとお揃いなのよ。このブレスレットを見た瞬間にわかったの。この子がアストリッドの大切な子だって」
アデルは顔を上げた。
「この子に対するミレイユの意図は明らかだわ。復讐よ。アストリッドの代わりに、オーロラを不幸にしようとしたの。おそらく、最初から婚約破棄をさせるつもりで、婚約させたのだと思うわ。そして王子妃教育という名目で、あの子を虐げた。アレックスとコレットにもあの子をいじめるように躾けたのでしょうね」
「……何ということでしょう。なぜ、王妃殿下は、そんなことまでして———」
「それは簡単よ。なぜなら、ヘンリーは本当はアストリッドを妃として望んでいたのだから」
「まあ」
「ヘンリーの妃候補は二人。ノール王国王女のアストリッドと、子爵令嬢のミレイユ。ミレイユもね、優秀な人ではあったのよ。すでにとある侯爵家に養子となる話も進んでいたし。でも……ヘンリーはアストリッドを望んだけれど、アストリッドはオルリオンに来て、ある青年騎士と恋に落ちたの」
「では……それがオーロラお嬢様のお父上ですか?」
「そうよ。ヘンリーは結局ミレイユを妃に迎えたけれど、それはヘンリーにとって一番の選択肢ではなかった。ミレイユもそれを知っているわ。ミレイユはそんなヘンリーを許せなかったのね。ミレイユは自分は選ばれなかったという意識に今も悩まされているのかもしれないわ……」
アデルはそっとオーロラの額に落ちた長い髪を後ろに撫でつけてやった。
「でもその気持ちをアストリッドやオーロラに向けるのは間違っている。ヘンリーはたしかにアストリッドを愛していたのかもしれない。でも、王妃として選んだのはミレイユよ。ミレイユもそれはわかっていたはず。その上で、王妃の座を選んだのは、ミレイユ自身なのだから。わたくしは、選んだものには責任が伴うものだと、思っているわ」
アデルは顔を上げて、静かに窓の外を見つめた。
金色の髪は帽子の下に収まるように、小さくまとめられていたが、ふわりとしたおくれ毛が耳元で揺れていた。
柔らかな青い色合いの瞳は、はっきりとした意志をたたえ、窓の外の景色に向けられている。
旅行用のドレスに身を包み、けして派手な装飾品を身につけているわけではないのに、その表情、そのたたずまい。
アデルには隠すことのできない気品が満ちていた。
「わたくしはね、エマ。たとえ辺境に送られたとしても、わたくしの責任を忘れてはいないの。だからこそ、アスランとオーロラを、王家から守ると決めたのよ」
馬車はカラカラと軽快な音を立てて進んでいく。
そろそろ夕暮れが近づこうとしていた。
どこまでも続く草原の先が、明るいオレンジ色に染まろうとしていた。
ほぼ消えかかっていた馬車道が、数日ぶりにはっきりとしてきた。
ただの草原ではなく、手入れのされた牧草地が広がり始める。
白くぽつぽつとして見えるのは、羊の姿だ。
「まあ、奥様! 辺境伯領に入ったんですわ」
エマが嬉しそうな声を上げた。
アデルも窓に体を寄せる。
「本当ね……!」
アデルはそっと、傍らで眠るオーロラの肩をそっと揺すった。
「オーロラちゃん、起きてごらんなさい。デルマス辺境領に入りましたよ」
オーロラは慌てて体を起こすと、アデルとエマに笑われながら、夢中になって窓の外を見つめたのだった。




