第27話 求婚
「あ……」
オーロラはドアが開き、入ってきた人物を見て、目を見開いた。
肩より少し長いくらいの黒髪にあざやかな青い瞳をした青年。
背が高く、姿勢のよい立ち姿。
腰に差した剣が自然に見えるほど、体を鍛え上げている。
(騎士様、よね……?)
お茶のテーブルについているオーロラと、部屋に入ってきた青年の目が合った。
「あ……! し、失礼いたしました。もう目覚められているとは知らず」
青年は真っ赤になると、両手をあわあわと振り上げ、しかし部屋から出ることはできず、困ったようにチラチラとオーロラに視線を向けている。
「…………?」
困ったわ、とオーロラは思った。
エマはまだ戻らないし。
ここがどなたのお屋敷かもわからない———。
(この方は、どなたなのかしら)
オーロラも青年をじっと見つめた。
すると青年は赤い顔を手で隠しながらオーロラに話しかけた。
「オ、オーロラ嬢、あの、その、ご気分はいかがですか? 夜会の会場で倒れられて本当に心配しました。何か、必要なものだったり、その、何かあればすぐ手配を」
「…………!!」
オーロラは改めてじっと青年を見つめた。
背が高くて、姿勢がよくて。
肩先に触れる少し長めの黒髪。
そして、あざやかな青い瞳———。
建国祭夜会で自分に手を差し伸べてくれたのは、短い髪をした騎士姿の青年だった。
髪の色は淡いベージュだったが。
しかし、どこかで会ったような、気がした。
(そうだわ。この方と同じ、あざやかな青い瞳をしていた。まさか)
オーロラは大きく目を見開いた。
その時。
パタパタと軽い足音がして、ふたたびドアが大きく開いた。
「オーロラちゃんっ!!」
ばっ!! と音がして、美しい色合いの布がオーロラの目の前にひらりと広がった。
「!?」
オーロラの視界がふさがれる。
気がつくと、オーロラは一人の美しい貴婦人にぎゅうぎゅうと抱きしめられていた。
目の前を覆ったのは、貴婦人が身につけている、ふわふわしたスカーフだったらしい。
「オーロラちゃん、オーロラちゃん……何年ぶりかしら、会えてよかった……」
「あ、あの……?」
「お、伯母上??」
美しい貴婦人をはさんで、黒髪の青年とオーロラが困惑して思わず見つめあった時だった。
「奥様!! 落ち着いてくださいませ。お嬢様はお着替えもまだですのよ? お嬢様、風邪を引いてはいけませんわ、どうぞこのショールをお使いくださいませ」
いつの間にかやってきた侍女のエマが、そっとオーロラの肩に大判ショールをかけてくれた。
「あ、あの———」
ふわふわのショールに埋もれるようにして、オーロラが困惑した表情で貴婦人を見上げると、貴婦人は安心させるようにオーロラの背中をぽんぽんと撫でた。
「ごめんなさいね。びっくりしたでしょう? 本当に久しぶりだから、嬉しくて———エマ、オーロラちゃんのお世話をしてあげてちょうだい。身支度ができたら、わたくしのサロンにお連れしてね。さあ、アスラン、あなたはわたくしと一緒にいらっしゃい。ここは、淑女のお部屋ですのよ?」
貴婦人は優雅なしぐさで立ち上がると、まだ名残惜しげに振り返ってはオーロラを見ている青年を連れて、さっさと部屋を出たのだった。
(うわあ。まるで嵐のような……すごい綺麗な奥様だったけれど……どなただったのかしら。それに、あの青年をアスラン、って)
オーロラの思考がぴたりと止まった。
(アスラン!?)
オーロラははっとして貴婦人と青年が出て行ったドアを見つめた。
***
「まぁ、アスランたら。落ち着きなさいな」
日あたりのよい、明るいサロンには、軽やかな雰囲気が漂っていた。
白い壁には、少しくすんだ淡い色調で、バラが描かれている。
家具は伝統的なものだが、大きすぎないもの、色が濃すぎないものが選ばれているせいか、圧迫感とはまったく無縁だ。
女主人として堂々と座っているのは、コットン地にグレーのストライプが染められた布で仕立てられたデイドレスに身を包んだ貴婦人だった。
柔らかな金髪はふんわりと結い上げ、青い瞳が輝いている。
アデル・デルマス辺境伯夫人だ。
アデルの隣に妙に距離を詰めて座っている大男は、もちろん、夫のルドルフ・デルマス辺境伯。
一人がけのソファに座り、そわそわしているのは、長めの黒髪に人目を引くあざやかな青い瞳をした青年。
アデルの甥である、アスランだった。
「アスラン、もうカツラは着けないのか? 昨日は、あれはあれで見ていて面白かったが。あの髪色も悪くない。少々、頭が軽そうに見えるのが難だが」
ルドルフにしてはきちんとした服装をして座っているが、間が持たないらしく、先ほどから次々にテーブルに並んだクッキーをつまんでいる。
「……ダーリン、そわそわするお気持ちはわかりますが、クッキーはそれくらいになさってね? オーロラちゃんが来る前に、盛り付けの形が崩れてしまいますわ」
「すまん」
「それにアスラン。あなたは騎士だから剣を下げているのは当然だけれど、どうしてそうちょこちょこ剣を触る必要があるのかしら? 護衛ならここにはわたくしの護衛騎士のマシューもいますし、閣下の護衛もいるでしょう? あなたは身内としてここに座っているのだけれど」
「は。申し訳ございません。いやでも、オーロラ嬢にお会いするのですから。俺、いや私はオーロラ嬢の騎士ですから、その」
まさに挙動不審。
あたふたとするアスランに、アデルは額を押さえた。
騎士達は笑いをこらえるのに必死だ。
「奥様、オーロラ嬢がお越しになられました」
マシューがアデルにそっと声をかけた。
「!」
アデル、ルドルフ、アスラン。全員の視線がサロンのドアに集中する中、一人の令嬢が静かに入室し、美しくカーテシーをした。
「オーロラ・フォレスティでございます」
アスランが顔を赤くし、目を見開いてオーロラを見つめた。
オーロラが着ていたのは、白のデイドレスだった。
コットンの柔らかな素材。
白のデルマス地方特産のレースで飾られ、淡い青のリボンがアクセントに付けられていた。
ほっそりとして長身、長い白金の髪をしたオーロラに、白のドレスはよく似合っていた。
「…………!!」
アスランはオーロラの姿に釘づけでもはや目を離せない。
「オーロラ嬢、さあ、そこにお座りなさい」
すると、ついさっきまでつまみ食いに忙しかったルドルフがクッキーの粉を手からはたき落とし、突然辺境伯らしい威厳でもって、オーロラに話しかけた。
オーロラはルドルフを見て、目を大きく見開いた。
ちんまりとソファに座っていてもわかる、人並外れて大きな体。
肩や二の腕がパンパンなのは、ぎっしりと体に付いた筋肉のためだろう。
首も太く、日に焼けた肌。
濃い茶色の髪を無造作に頭に撫で付けていた。
まるで大型動物のようなのだが、にこりと笑った時に、緑色の目が愛想よく細められ、一本の糸のようになってしまった。
(ま、まあ。不思議だわ。大男なのに、なんだか、お可愛らしい方)
オーロラがびっくりしていると、すっとアデルの護衛騎士マシューが寄ってきて、オーロラをテーブルにエスコートしてくれた。
アスランが「しまった!」という表情をしても、素知らぬ顔でまた定位置に戻る。
「私はルドルフ・デルマス。デルマス辺境伯領の領主だ」
ルドルフが穏やかに言った。
「これは妻のアデル。それに妻の甥のアスランだ。驚いただろうが、妻がいきさつを説明するから、心配しないでくれ。あなたのお父上とも話はついているから」
(辺境伯ご夫妻ですって!? それに、お父様もご存知? 一体、どんな話になったというの?)
オーロラが目を見開いてルドルフを見つめた。
その様子を、ルドルフは嬉しそうに見守っていた。
「大きくなったね、オーロラ。あなたは赤ちゃんだったからなあ」
「オーロラちゃん。わたくしはあなたのお母様の親友だったのよ? あなたが生まれた時、わたくし達もあなたを見にこっそり辺境から王都に行ったのよ」
ルドルフの言葉にかぶせるようにして、アデルが続けた。
「事情があって、滅多に王都には来ないようになって。まあ、用事があれば行くけれどね。あなたのお父様に会ったのも、それ以来のことよ。まあ、相変わらず見目麗しくてびっくりしましたわ」
アデルはにこにことして話し続ける。
「あなたのお父様と話し合って、あなたをこのまま辺境へ連れて行くことに決めたのよ。オーロラちゃん。しばらく、身を隠しなさい」
「え……?」
オーロラがアデルを見つめる。
「アレックス……王子はあなたに婚約破棄と国外追放を命じたのよ。国王陛下はそのとおりにはしないだろうけれど、周囲は騒がしくなるでしょう。このまま落ち着くまで、王都を離れた方がいいわ」
「でも……」
「このまま行くの。後のことは、お父様にお任せなさい。あんな不愉快な話ばかりがまかり通る社交界とは距離を置くべきよ。わたくし達が責任を持って、あなたを守るから。一緒に辺境へ行きましょう」
「…………」
「今は、あなたの召使いも連れては行けないわ。急にあなたの侍女も姿を消したら、皆、あなたの行方を気にするでしょう。でも、落ち着いたら、必要な人を呼び寄せればいいわ」
どうやらアデルは本気らしい。
しかし、どうしてここまでオーロラに力を貸してくれようとするのだろう?
(いくら、お母様の友人だったにせよ、ここまでしてくださる方なんていないわ)
「出発前に、父に、会えますか? 夜会の後、まだ父と話せていません。それに、一人だけ、大切な友人がいるのです。彼女に手紙を渡してはいただけないでしょうか?」
アデルはそっと首を振った。
「気の毒だけれど、今は、だめよ」
「着替えなどを届けてもらうことは?」
「オーロラちゃん。何も心配しないで。必要なものは揃えるわ。でも、あなたが安全に王都を出られるチャンスは、わたくし達が辺境に帰る日だけなの」
話が始まってからは、ルドルフも黙っていた。
話はすべてアデルを信頼し、任せているようだ。
オーロラが考え込んでいると、アスランが意を決したようにオーロラを見て、話し始めた。
「オーロラ嬢」
オーロラはすっと立ち上がり、オーロラの前にひざまづいた。
ルドルフが細い目を限界まで大きく見開いた。
アデルは両手を両頬に当て、「まあ!」という表情だ。
「俺は無事に辺境伯領の正騎士になりました。どうぞ俺を、いや私をオーロラ嬢の騎士として仕えることを———」
「アスラン様!?」
アスランはぱっと顔をほころばせた。
「名前を覚えてくださって嬉しいです!」
オーロラは顔を赤くした。
「あ、あ、あの、あなたは王宮でお会いした時の騎士様ですよね? わたくしが十四歳の時に、王子妃教育から抜け出して、王宮の中庭で———」
「はい!」
「建国祭夜会でお会いした、ベージュ色の髪の騎士様も、もしかして……?」
アスランは顔を輝かせて、ぱっとオーロラの両手をつかんだ。
「はい、そうです! 覚えていてくださって、嬉しいです。どうぞ私を騎士に、あるいはもしよければ、私と結婚———」
「結婚!?」
「アスラン!!」
オーロラの声と、アデルの叫びが重なった。
「まあ、あなたときたら、どさくさに紛れてオーロラちゃんに求婚しているの!? お待ちなさいってば! こんな大変な時に」
アデルはアスランの服をぐいと引っ張って、ソファに引き戻した。
「はあ。オーロラちゃん、ごめんなさいね? この坊ちゃんは、いい子なんですけど、時々暴走しちゃうのよねえ」
「伯母上、私は暴走など……ふんがっ!!」
奇妙な音がして、アスランは言われたとおりにソファに戻った。
ルドルフが口もとを押さえて、何やら苦しげな咳をしていた。
「と、ともかく! そういうわけなので、オーロラちゃん、明日は辺境に向かいます! それまでにお支度をしておいてね?」
「あ、あの!」
オーロラが声を上げた。
思い詰めたような顔をして、まっすぐにアスランに向き合う。
「もうひとつだけ質問があるのです! もしや、あなたが、あの———わたくしが馬車で襲われた時に助けてくださった方なのですか? 布を被せられていて、お姿を見ることはできなかったのですが、あざやかな青い瞳を見た気がして。あれも、あなたが———」
オーロラは身を乗り出して、必死になってアスランに訴えた。
アスランがちらりとアデルとルドルフを見る。
ルドルフがそっとうなづいた。
アスランはひとつ、深呼吸をする。
「はい。あれは私でした。閣下の王都行きに同行して、私は王宮で閣下が戻られるのを待ちながら、馬の世話をしていました。その時にあなたが護衛騎士もなくお屋敷に戻られると王宮の騎士の方々が話されているのを聞いて。……勝手ながら、ただ、あなたが無事に屋敷に戻られるのを見届けよう、というだけの気持ちで、馬車の後をつけました」
オーロラの声が震えた。
「そ、そうでしたか……結果として、あなたのご懸念は現実となってしまったということなのですね」
オーロラは深々と頭を下げた。
「……改めまして、わたくしを助けてくださり、本当にありがとうございました。落ち着きましたら、必ず、父からもお礼をいたします。今は、わたくしの気持ちをお伝えすることしかできませんが、心より感謝しております」
アスランはそっと首を振った。
「お礼などとんでもない。今でも、もっと他にできることはなかったか、と」
「いいえ。アスラン様、あなたはできる限りのことをしてくださいました。あの、もうひとつだけ質問があるのですが」
オーロラは顔を上げて、まっすぐにアスランを見た。
オーロラの唇が小刻みに震えていた。
「大事なことなのです。あの———あの、わたくしを襲った男達は、どうなりましたか?」
サロンは静まりかえっていた。
アスランがためらうと、オーロラはさらに言葉を重ねた。
「あの男達は、死んだのですか?」
アデルが口もとに手をやり、不安そうに椅子に寄りかかっているルドルフを見やった。
ルドルフが細い目を開けた。
のっそりと体を起こす。
「オーロラ嬢、それは、どういう意味だろうか? 私達は、あなたのためにできるだけのことをしようと思っている。だから、何が知りたいのか、説明してくれないだろうか?」




