第26話 消えた伯爵令嬢
「お嬢様、ただいま戻りましてございます」
礼儀正しくお辞儀をして部屋に入ってきたのは、セイディのお気に入りの侍女だった。
これで何度目か、セイディはオーロラに手紙を書いてきたが、反応がない。
当初は、書いた手紙を下男に託して、フォレスティ伯爵家のタウンハウスに届けさせた。
今回はセイディの気持ちを知る侍女によく言い含め、直接フォレスティ伯爵家の家令に渡すように指示したのだ。
結果は同じ。
手紙は受け取ってもらえたものの、フォレスティ伯爵家の家令に丁寧に『オーロラお嬢様は屋敷に戻られていない』と説明されたという。
「フォレスティ伯爵はご在宅か聞いた?」
「はい、お嬢様。お嬢様のご指示のとおり、伯爵がご在宅か伺ってみたのですが、家令の方はなんとも……『どうぞお察しください』と繰り返すのみでした」
「そう」
シリュー侯爵家のタウンハウス。
二階に整えられた彼女の部屋で、セイディはため息をついた。
侍女にありがとう、と礼を言うと、彼女は再びお辞儀をして退出した。
建国祭の夜会の後、オーロラは姿を消した。
当日の夜会会場は大変な賑わいで、セイディはオーロラと会うことはできずじまいだった。
婚約者のいないセイディは兄のダントンがエスコートを申し出たのだが、兄もまた王宮騎士団の騎士。
勤務が押して待ち合わせの時間に遅れてしまった。
焦ってオーロラの姿を探している最中に、オーロラとフォレスティ伯爵が入場し、すぐさまアレックス王子による婚約破棄騒動が繰り広げられたのだった。
「お父様によれば、フォレスティ伯爵も建国祭以来、騎士団に姿を見せてはいらっしゃらない。退団願いを出されたところ、国王陛下によって慰留されていると聞いたわ」
夜会でアレックス王子が命じた婚約破棄と国外追放。
夜会会場では、コレット王女の取り巻きを中心に、オーロラを嘲笑うような声が主流だったが、貴族達の中には良識を備えた人物も多い。
いくらオーロラが事件に巻き込まれたといえ、仮にも十二歳からの婚約者だ。
正式な調査も待たず、王子側からの一方的な婚約破棄は誠実さに欠ける、というのが貴族達の論調だと聞いた。
しかもオーロラは王子の意向を尊重して、夜会の場で、何の条件を付けることもなく、婚約破棄に同意している。
大臣達はオーロラの態度を、王家への礼を示したとして好ましく受け取ったとも。
(それに、あの場で王子に寄り添うカリナ様は残念なお振る舞いだったとしか)
セイディは眉を寄せた。
もしかしたら王子妃になれるかもしれないという欲。
王立学園では控えめに振る舞ってはいたものの、本来の姿がああだったと言うことか。
(残念なことね)
セイディはため息をついた。
おそらく、オーロラと王子との婚約は解消されるのでは、とセイディは思っている。
しかし、オーロラの名誉は守られなければいけない。
成人しているとはいえ、未婚の若い令嬢に対し、これ以上ことを荒立てるのは賢明ではないと思う者も多かった。
夜会の会場で婚約破棄を宣告されたオーロラの心情を考え、婚約解消にするとしても、オーロラを国外追放にはしないだろう、と王宮騎士団長である父も言っていた。
当初はセイディもしばらくして落ち着けば、オーロラ本人に会えるだろうと思っていたのだが———。
「甘かったようね」
セイディはつぶやいた。
セイディがオーロラに送った手紙はフォレスティ家の家令が受け取ったものの、オーロラからの返事もなく、オーロラの近況についてもわからずじまいのまま。
「オーロラ……」
セイディは優しい茶色の瞳を窓から外に向けた。
夜会ではオーロラと一緒にいると約束していたのに、それが果たせなかったことに、セイディは深い後悔の念を抱いていた。
「オーロラ、心配だわ。どこにいるの? 無事でいるの……?」
オーロラがどこにいるとしても、彼女を大切にする人々に囲まれていてほしい、とセイディは心から祈った。
***
オーロラはゆっくりと目を開けた。
ぐっすり眠ったように、体が軽くなり、疲れが取れている。
オーロラが体を起こすと、美しいカットレースを施された夜着を着ていることに気づく。
ぱりっとした清潔なベッドリネン。
近くに置かれた椅子の上には、きちんと畳まれたガウンが置かれている。
カーテンの向こうから、陽の光が差しているのが感じられた。
窓辺には香りの控えめな、淡いピンク色のバラが飾られていた。
「ここ、家じゃないわ……」
オーロラは驚きとともにベッドから出た。
足もとに置かれていた室内履きに足を入れる。
夜着も、室内履きも、オーロラのサイズにぴったりだった。
「お嬢様、お目覚めになりましたか?」
オーロラが顔を上げると、お盆を持った侍女がちょうど部屋に入ってきたところだった。
侍女はてきぱきとお盆をテーブルに載せると、オーロラの元にやってきた。
ガウンを取って、オーロラの肩にかけてくれる。
「ご気分はいかがですか?」
侍女が親切そうな微笑みを浮かべて、オーロラを見つめている。
オーロラはうなづいた。
「ありがとう。気分はいいわ。疲れが取れたような気がします」
オーロラの答えを聞くと、侍女は嬉しそうにうなづいた。
「さっそく、奥様にご報告しなくては。お嬢様、朝のお茶をお持ちいたしました。お水もこちらに。何か食べるものをお持ちいたしますね。それからお着替えをお手伝いいたします」
侍女は手慣れた様子で、オーロラを椅子に座らせた。
「ありがとう。あの……」
「あ。お嬢様が夜会でお召しだった青いドレスは、お手入れを済ませまして、衣装部屋に収めております」
オーロラは目を見開いた。
「まあ、ありがとう。でも、ドレスではなく、あなたは———」
侍女はオーロラの質問を察して、お辞儀をした。
「あ、失礼いたしました。わたくしはエマと申します。奥様の専属の侍女です」
「エマ、ここはどなたのお屋敷なのかしら? それに、父もこちらにお世話になっているのかしら?」
オーロラに尋ねられて、エマはうなづいた。
「奥様がお話になると思います。どうぞ心配なさらないでくださいね。ここは安全です。それでは、どうぞお茶を召し上がってください。わたくしは少々失礼致します」
エマはそう言うと、再びお辞儀をして、部屋を出て行った。
オーロラは部屋の様子を眺める。
仕事を熟知し、丁寧な働きをする侍女。
美しい部屋。
ここが立派な屋敷なのはたしかだった。
客用の寝室なのだろう。
そこは、伝統的な花柄の壁紙が貼られた、女性向けの部屋だった。
ベッド、サイドテーブル、テーブルと椅子。
大きな鏡の付いたドレッサー。
衣装部屋に続くドアも見えた。
ドレッサーには化粧品やブラシ、手鏡といったこまごまとしたものがすでに揃えられているし、衣装部屋にもドアの隙間から、何かが収められているのが見えた。
窓の外には緑の芝生と大きな木。
部屋の奥には、浴室に続くらしいドアもあった。
目の前の茶碗から、よい香りがしている。
オーロラは喉が渇いていた。
水の入ったグラスから水を飲み干すと、お茶にも手を伸ばす。
オーロラはぼんやりと窓の外を眺めた。
(あれは、夢だったのだろうか?)
勝ち誇ったように喋り続けるアレックス王子。
アレックスの隣で微笑んでいたカリナ。
着飾った人々でいっぱいの王宮大ホール。
『父上、フォレスティ伯爵令嬢オーロラとの婚約を破棄してください』
『父上もご存知のとおり、オーロラは王子の婚約者の身でありながら、あろうことか暴漢に襲われ、純潔を失い、名誉を汚されました。父上の唯一の後継者である王子の婚約者にはふさわしくありません』
まざまざと記憶によみがえってくる情景に、オーロラの顔が青ざめた。
慌ててティーカップを置く。
(いいえ。あれは夢ではない)
その時、部屋のドアをノックする音がして、静かにドアが開いた。




