第24話 婚約破棄(3)
「麗しきミレイユ王妃殿下にご挨拶を申し上げます」
ミレイユは愛らしい声で丁寧に挨拶をするグランヴィル筆頭公爵家令嬢のカリナを振り返った。
うやうやしくカーテシーをしているのは、華やかに装ったカリナだった。
光沢のある茶色い絹のどっしりとしたドレス。
赤いリボンがドレスの胸もとから裾に至るまで飾られ、カリナはまるで高価な人形のように見えた。
「カリナ嬢。よく来たわね。さ、こちらにいらっしゃい」
ミレイユはほがらかに挨拶を返すと、王宮内奥深く、王妃の私室に招かれて少々表情が硬いカリナの手を取って、室内に招き入れる。
ミレイユはドレッサーの前にカリナを立たせると、そっと平たい箱から何かを取り出して、カリナの首の後ろで留めてやった。
「……! 王妃殿下、これは?」
「王妃殿下、なんて他人行儀ね。ミレイユと呼んでちょうだい」
ミレイユがカリナから離れると、カリナの胸もとには、大粒のルビーのネックレスが輝いていた。
ミレイユは目を細めてカリナを見つめた。
何よりもミレイユが気に入っているのは、王家にゆかりの人間らしい、カリナの金色の髪だった。
赤みのない、ひそかにミレイユが子ども達の髪がこうだったらと願ってやまない、混じり気のない金髪。
その前には、ぼんやりとした薄い茶色の瞳や、平凡な顔だちなどは問題ではない。
顔など化粧すればどうにでもなるし、王家が所有するたくさんの宝飾品で飾り立てれば見栄えもするだろう。
何より。
カリナは疑問もなく、ミレイユの言いなりになってくれる。
「カリナ嬢、まあ、お贈りしたドレスがぴったりだわ。それにそのネックレス……あなただからこそ、特別に王家所有の宝飾品をお貸しするのよ。よくお似合いね。さすが、筆頭公爵家の令嬢だわ」
「過分なお褒めにございます。心よりお礼を申し上げます」
カリナはドレスの裾を引いて、丁寧なカーテシーをした。
おとなしそうなカリナだが、プライドは驚くほど高い。
何よりも、そのプライドをくすぐれば、思うままに動いてくれる。
ミレイユにとっては、扱いいやすい娘だった。
(何を考えているのかわからない、オーロラと違ってね)
カリナは嬉しそうな表情を隠そうとして、頬を赤く染めていた。
彼女の視線は、自分の胸できらめくルビーのネックレスに釘づけだ。
「将来の王太子妃には、あなたこそふさわしい。伯爵令嬢ごときとは、雲泥の差ね」
ミレイユは微笑みながらカリナに甘い蜜を注いだ。
もちろん、自尊心の高いカリナは、心の中で「そんなことは当然だ」と思っているだろう。
しかし、それを表に出すほど愚かでもない。
(コレットはまもなく嫁ぐでしょう。コレットがいなくなったら、あの子のように動いてくれる娘が必要になるわ。今は少し甘やかして懐かせ、手駒にしてしまえばいいわ)
カリナはコレットの後釜にぴったりのように、ミレイユには思えた。
その時、ドアを叩く音をがした。
「母上。そろそろ会場に向かいましょう。カリナはこちらに来ていますか?」
「アレックス」
すっかり正装姿を整えた息子が入ってくると、ミレイユはあざやかな笑顔を浮かべた。
「いよいよ、建国祭夜会ね。アレックス、任せましたよ」
「母上、ご心配なく。カリナ嬢、さあ行こうか」
「はい、殿下」
ミレイユは腕を組みながら部屋を出ていくアレックスとカリナを満足そうに見つめていた。
***
フォレスティ伯爵家の馬車は、王宮正面玄関に到着した。
オーロラは深呼吸をすると、馬車から身を乗り出した。
「オーロラ。さ、足もとに気をつけて」
濃紺と金。
華やかな王宮騎士団の正装に身を包んだ父が、そっと手を差し出した。
「はい、お父様」
オーロラは父に手を預けて、落ち着いて馬車から降りた。
王宮騎士団の騎士である父。
オルリオン王国最大の行事に休暇を願い出るなんて、大変なことだったに違いない。
しかし、エスコートのいないオーロラのために、父はやってくれたのだ。
「さあ、顔を上げてごらん。オーロラはとても美しいよ。日に日にお母様にそっくりになっていく。私が付いているから、何も心配しないでいい。お父様がおまえを守ってあげるからね」
「お父様ったら」
オーロラは父の腕に手を預けて一緒に歩きながら、目に涙が浮かぶのを必死でこらえた。
(大丈夫よ。人々が何を言うかはわかっている。だから、大丈夫。アレックス王子はわたくしのエスコートはしないでしょう。でも、王子の婚約者として、これが最後のお役目なのだから———)
王宮の正面玄関前の馬車寄せには、次々と馬車が止まり、着飾った貴族達が行き交って大変な混雑だった。
フォレスティ伯爵はオーロラを誘導して、スムーズに王宮内へと入っていく。
入り口に立っていた騎士が二人を見てにっこりと笑ってくれた。
「オーロラ嬢、楽しんでくださいね。その青いドレス、お父上の正装とよく合っていますよ」
赤毛の騎士だ。
フォレスティ伯爵が苦笑した。
「ジョハンのやつ。調子がいいんだからなあ」
オーロラはそんな父の姿を見て、くすりと笑った。
しかし、そんな時間は長く続かなかった。
始まりは、夜会の会場となる大ホールへ向かう回廊だった。
貴族の夫人や令嬢達があちこちに集まっては噂話に興じている。
「オーロラ嬢よ」
その一声で、周囲のざわめきが消えた。
一斉にオーロラに視線が集まる。
オーロラと、エスコートしているフォレスティ伯爵を見る目。
オーロラのドレスを値踏みする視線。
「青のドレスだわ」
その声に、くすくす声が広がった。
婚約者であるアレックス王子でなく、父親にエスコートされて登場したオーロラ。
アレックスの色が入っていないドレスは、王子からの贈り物がなかったことを示していた。
「当然よ。だって、あの方はもう———」
「ええ。婚約者を名乗る資格などありませんわ」
「よくも堂々と王国の行事に参加できるものですわね」
「普通だったら、恥ずかしくて人前に出られないかと。本当にお心が強くて羨ましいですわ」
「だからこそ、愛されてもいないのに、何年も婚約者をやっていられたのでしょうけど」
オーロラ本人を前にして、もう遠慮する様子もなくなったようだった。
あからさまな嘲笑。
人々がざわめき始めた様子に、フォレスティ伯爵がオーロラの手をぐっと握った。
「オーロラ、行こう。相手にするな。私がついている」
「は、はい。お父様」
オーロラは父について足早に廊下を進む。
大ホールに近づくにつれ、二人を見つめる目は冷たくなり、人々はぴたりと話すのを止めた。
ひんやりと冷たい雰囲気が広がっていく。
「フォレスティ伯爵ならびに、ご息女、オーロラ嬢です」
フォレスティ伯爵とオーロラの到着を告げる声に、夜会会場は静まり返った。
まるで、波のように人々がさっと左右に分かれ、二人に道を開ける。
フォレスティ伯爵はオーロラの手をしっかりと握って、ゆっくりと歩いていく。
正面奥に一段高く作られた座席には、ヘンリー国王とミレイユ王妃が座り、その手前には、アレックス王子の姿があった。
アレックスは一人の令嬢を伴っている。
光沢のある茶色のドレスに、大きな赤いルビーのネックレスを着けた令嬢。
グランヴィル筆頭公爵家令嬢のカリナだった。
カリナからは、今までのそつのない感じは完全に消え去り、まるで挑戦するかのような強い視線が、オーロラに注がれている。
明確に自分の敵を見る目だ。
どくん、とオーロラの心臓が嫌な音をたてた。
(ま、さか。こんな———大勢の人々の前で……?)
アレックス王子が嫌悪をあらわにオーロラをにらむと、父であるヘンリー国王を振り返って言った。
「父上、フォレスティ伯爵令嬢オーロラとの婚約を破棄してください」




