第23話 婚約破棄(2)
オーロラは寝室に掛けられている、一枚のドレスを見つめていた。
悩んだ挙句、父とリンネ夫人の意見も取り入れて選んだドレスだ。
ドレスは、青。
オーロラのアイスブルーの瞳の色を濃くしたような、落ち着きのある、それでいて明るさもある色合いだった。
事件以来、外出をすることのないオーロラは、リンネ夫人が勧めるままに、体に楽な柔らかい布地のワンピースを着て過ごしていた。
「これでよかったのだわ」
オーロラは、赤っぽいブロンドに茶色の瞳をしたアレックス王子の色がまったく入っていないドレスを見てつぶやく。
先日、王立学園の卒業式の日にオーロラを訪ねて来てくれたセイディから、アレックスがカリナをエスコートして卒業式典に参加したこと、二人が衣装の色を合わせていたことを教えられた。
まもなく、オルリオン王国で最大の行事である、建国祭が開催される。
当日の夜に開かれる夜会は、ほとんどの貴族が出席する盛大なものだ。
オーロラとアレックスの結婚式の告知があるなら、この祭の期間中だと思われた。
(でも、建国祭はもう二日後には開催される。なのに王家からの連絡は一切ない)
オーロラはぎゅっと口もとを引き締めた。
あれほどオーロラを拘束していた王妃からの呼び出しもなければ、夜会出席の打ち合わせはおろか……。
(婚約者なら当然贈られるはずのドレスや装飾品なども、届かない)
「オーロラお嬢様、お茶をお持ちいたしました。少し休憩なさってはいかがですか? ……あら。ドレスに何か、不備でもございましたか?」
ドレスを見つめるオーロラの様子に、何かを感じたのか、リンネ夫人が心配そうに声をかけた。
「リンネ夫人、大丈夫よ。ちょっと眺めていただけなの。建国祭までもうすぐだから」
リンネ夫人は表情を和らげて、テーブルの上に茶器を並べる。
「……このドレスはとてもオーロラお嬢様にお似合いだと思います。何も心配なさらなくても大丈夫ですよ。旦那様も当日はエスコートされるとおっしゃっているではありませんか?」
「ええ。それに会場ではセイディも一緒にいてくれると言っているの」
「そうでございましょう。何も心配なさる必要はありませんよ、オーロラお嬢様」
オーロラはリンネ夫人に誘導されるままに、お茶のテーブルに着く。
(誰もが、気を使って口に出すことはしないけれど)
オーロラは目の前で香りのよい湯気を立てているお茶のカップを見つめた。
(これが最後の務めになるはずだわ。アレックス王子はきっと、わたくしとの婚約を解消されるおつもりでしょう。だからこそ、何も言って来られないのだわ。この夜会さえ終われば、わたくしは王子の婚約者という立場を終えて、気兼ねなく過ごせるはず———)
(わたくしの念願が叶うの。喜ぶべきなのだわ)
オーロラは気遣わしげに見守るリンネ夫人に、そっとうなづいた。
心のどこかで、何か不穏な気配がざわざわとするのを感じながら———。
***
「う……ん。だめね。どうしたって、目立ってしまうわ。こんなにハンサムな青年というのも嬉しいんだけど、困ったものだわ……」
デルマス辺境伯の拠点、ロシュグリー城。
最上階である五階に作られた辺境伯夫妻の寝室の一角に、大きな鏡の前に無言で立つ黒髪の青年がいた。
青年の前には辺境伯夫人であるアデルが寄り添い、青年の黒髪を首の後ろで束ねたり、頭に帽子を被せようとしたりと忙しい。
そんな二人の様子を、大きな体をどっかりと椅子に預けたデルマス辺境伯ルドルフは気の毒そうに見守っていた。
「……目立ってはいけないわ。騎士の服をもっと地味に仕上げて、髪色を隠すのにカツラにしてはどうかしら。黒髪はうまく染まらないのよ。カツラにすれば、色を隠せるから」
アデルの言葉に、黒髪の青年———アスランはぎょっとしたように顔色を変えた。
ルドルフも笑いはしないが、さすがに口もとがぴくぴくとしている。
「誇り高い辺境騎士団の騎士がカツラか? 戦闘中に髪の毛を気にする騎士なんていたら、大笑いだぞ? アスランの支度よりも、自分の支度を気にした方がいいんじゃないか? 建国祭には貴婦人達はめかしこんで来るんだって、いつも大騒ぎをしているじゃないか? アデル、おまえのドレスの仕上がり具合の方はどうなんだ?」
ルドルフはさりげなく話題を変えようとした。
しかし。
アデルはちらっと夫を見たが、あっさりと黙殺した。
ドレッサーから、おしろいが入ったガラス瓶を取り出す。
ふわふわしたパフを手にしたアデルを、アスランは絶望的な表情で見守っていた。
アスランも二十歳。
さすがに『美女と魔獣』と噂されるほどの大男であるルドルフには及ばないが、身長もぐんと伸び、鍛えた筋肉がついた体は、宮廷貴族の青年達の体格を軽く凌駕する。
辺境騎士団の騎士服を身につけ、剣を腰に差した姿は、どこからどう見ても一人前の騎士だった。
(うう……王都に行きたいと言ったのは俺だが、まさかカツラやおしろいを付けろと言われるとは)
甥として伯母に逆らわず、じっと立ち尽くすアスランだったが、心の中は絶望でいっぱいだった。
とはいえ、アデルは悪気がないし、一生懸命なのだ。
これもアスランのためにやってくれている。
なぜなら、アスランの身元がばれては大変なことになるから。
それがわかっているから、アスランはひたすらアデルが納得するまで鏡の前に立ち続けるしかなかった。
「アスラン、肌の色も変えましょう。少しおしろいをはたいて……でもこの青い瞳は隠しようがないわね……また、メガネをかけてみる?」
「!?」
さすがにアスランも固まった。
先月、王都に行った時には、たしかにメガネをかけ、帽子までかぶった。
服装も地味な従者姿だったので、アスランも仕方ないかと納得したのだ。
しかし、今回は建国祭である。
騎士姿で行くと決めたのに、メガネなんてかけたら、それこそいかにも怪しく見えて目立つのでは———。
アスランが動揺していると、ため息をついてルドルフが助け舟を出してくれた。
「アデル。騎士がメガネをかけてどうする。仮面を着けている方がまだしも説得力がある。顔に粉を塗って、カツラを被せれば十分だとしておけ」
アデルはしぶしぶうなづいた。
ぶつぶつと「さっそくオーダーのカツラを用意させなくちゃ」なんて言っている。
ルドルフは笑いをこらえて、アデルを背後から抱きしめた。
「ご苦労様。おまえはいつも細かいところまで準備をしてくれるから、助かる」
その言葉を聞いて、アデルは機嫌を直した。
まるで魔獣のようなごつい夫の腕の中で、くるりと振り返る。
「甥がハンサムなのも困りものね。ダーリン、どうしてもアスランを王都へ連れて行かないといけない?」
「アデル。何よりもアスラン本人が望んでいるんだ。彼ももう大人だ。何でもおまえの好きにはできないだろう」
「アスラン」
アデルのうるっとした目で見つめられ、視線をそろっと外すアスラン。
「……どんな格好でも、伯母上のご指示のとおりにしますので。どうぞ私を王都へ連れて行ってください」
礼儀正しく頭を垂れる甥っ子に、アデルはため息をついた。
ルドルフはアスランにうなづくと、視線で「もう行っていいぞ」と許可を出した。
アスランはぱっと笑顔になり、礼をするといそいそと辺境伯夫妻の寝室を飛び出していく。
ゴツい顔と図体に似合わず、ルドルフはロマンチックな男なのだ。
美しい妻のご機嫌をどう取るのかを見学するのはまだ遠慮したい。
(伯母上の心遣いはありがたいが、カツラに化粧か。ぞっとしないな)
アスランは困ったように眉を寄せたが、王都に行けるのなら、我慢しなくては。
建国祭はオルリオン王国最大の行事だ。
王都にいるオーロラも出席するはず。
……元気でやっているだろうか?
アスランはオーロラのことを思うと、心が痛かった。
未婚の令嬢なのに、あんな事件に巻き込まれてしまった。
アスランと縁があるのだろうか、偶然顔を合わせる機会が続いた令嬢。
今では、アスランは彼女がアレックス王子の婚約者であるオーロラ・フォレスティ伯爵令嬢であると知っている。
この前の王宮帰りでの事件も、結果としてオーロラの身を守ることはできたものの、その後に続く醜聞からは守ることができなかったのが悔やんでも悔やみきれない。
もっと明確に、オーロラの名誉を守るような形で、彼女を助けてあげることはできなかったのだろうか?
アスランはいまだに後悔の念にさいなまされていた。
オーロラをフォレスティ伯爵家のタウンハウスに送り届けた際も、アスランは自分の名前を明かさなかった。
明かした方がよかったのだろうか。
アデルに激怒されるのは明らかだが、身元を明らかにすることで、オーロラを守ることができたのではないか。
まさか、あんな中傷でしかない噂が広がるなんて。
未婚の令嬢、しかも王子の婚約者であるのに、何ということだろう。
(俺が、オーロラ嬢の騎士だったなら、あんな噂、吹き消してやるのに)
(もし彼女に何かがあったら、俺が守ってあげたい)
アスランは固く心に誓う。
カツラくらい何だ。顔におしろいだって塗ってやる。
伯父夫妻の仲が良すぎるので、旅の間いたたまれないこともあるだろうが、それくらい何だ。
アスランが想うことはただひとつ。
(オーロラ嬢。あなたにもう一度、会いたい)




