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呪われた伯爵令嬢は、婚約破棄にもひるまない  作者: 櫻井金貨
第1章 笑わない伯爵令嬢
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第2話 母の教え

「オーロラ。いい子ね。さあ、こちらにお座りなさい」

「はい、お母様」


 オルリオン王国王都にあるフォレスティ伯爵家のタウンハウス。

 

 街の中心街からは離れたところにある、戸建てではない、メゾネット式のタウンハウスだ。

 面積は広くないが建物は新しく、室内も上品に整えられている。


 フォレスティ伯爵は貴族の次男坊で、生家を継いでいない。

 王宮騎士団に務める騎士伯だったが、隣国の王女であるアストリッドとの結婚の際に、国王陛下から伯爵位を賜ったのだった。

 

 今、母娘は、タウンハウスの一室で、静かな午後を過ごしていた。

 

 磨かれたガラス窓から、柔らかい光が黒白のタイルが張られた床に射し込んでいる。

 ドレッサーの前にちょこんと座っているのは、白金の髪を長く伸ばした少女だ。


 少女の背後に立ち、銀色の髪を優雅に結い上げた貴婦人が、手にした銀のブラシで、少女の髪を優しくとかしていた。


 左手で白金の髪の束を持ち、右手に持ったブラシでとかしていく。

 貴婦人が左手を動かす度に、手首に巻かれた細い銀の鎖が揺れた。


 貴婦人は隣国ノール王国の元王女で、今はフォレスティ伯爵夫人となったアストリッド。

 ノール人らしい銀髪と、青い瞳の持ち主だ。


 アストリッドの娘である少女の名前は、オーロラ。

 彼女は七歳になったばかりだった。


 銀色の髪の母。

 まばゆい光のような、白金の髪をした娘。


 娘の髪は、まるで父の金髪と母の銀髪を合わせたような色合いだった。


 青い瞳の母。

 母の瞳よりもうすい、神秘的なアイスブルーの瞳をした娘。


 髪と瞳の色合いは、母娘で少しずつ異なっているが、その面だちはよく似ていた。

 色白で、傷ひとつないなめらかな肌。

 美しく見開かれた眼。

 小さな鼻に、小さいけれど、ピンク色でふっくらとした唇。


 母娘はおだやかな表情で見つめ合う。


 しかし、アストリッドは銀のブラシでオーロラの長く伸ばした前髪を下ろすと、彼女の美しい瞳をすっぽりと隠してしまった。


 アストリッドは続けて残りの髪をきっちりと後ろに引きつめ、きちきちの三つ編みにまとめてしまう。


 アストリッドは仕上がりを確認するかのように、ちょっと距離を取って、愛娘の姿を見つめた。


 長い前髪を前に垂らして、美しい目元が隠れてしまった顔。

 長い髪はきっちりと後ろにまとめられてしまい、人目を引く白金の髪も目立たない。


 もともと小ぶりなオーロラの顔が、もっと小さく、頼りなげに見えた。


 オーロラが着せられているのは、リボンもレースもフリルも、いっさいの装飾がない、地味なグレーのワンピースだ。


 オーロラはまるで、厳しい寄宿制の学校に通う、訳ありの子どものように見えた。

 全身を検分されながらも、オーロラは一言も発さず、じっと母親の判断を待っている。


「これならいいでしょう」


 ようやく、ほっとしたようにアストリッドが言った。


 アストリッドがそっとオーロラの前髪をかき分けると、小さな、愛らしい顔があらわになった。


(この子も七歳。これからは令嬢同士の集まりに招かれたり、宮廷に上がる機会も増えていく)


(もちろん———男の子との出会いも———。この子を守るためには、わたくしがしっかりしなければ……!!)


 アストリッドは、表情をゆるめることなく、ふう、とため息をひとつつく。


「オーロラ。お母様の言うことを忘れてはいけませんよ。お母様とのみっつのお約束、言えるかしら?」


「はい、お母様」


 オーロラが少女らしい声で、はきはきと答える。


「オーロラはお母様が一緒でなければ、お外に行ってはいけません。オーロラは、知らない人とお話ししてはいけません。オーロラは男の子には近づいてはいけません———」


「よくできましたね。オーロラ」


 アストリッドは、オーロラをぎゅっと抱きしめた。

 再び、オーロラの前髪を下ろして、少女の顔を半分隠してしまう。


「オーロラは人と目を合わせないようにしてね。人の関心を引いてはだめなの」

「はい、お母様」


 アストリッドはオーロラを抱き上げて、椅子から下ろすと、手をつないで一緒にソファに座った。


「呪いのお話は、覚えているわね?」

「はい、お母様」


「あなたは『真実の愛』を見つけないといけないわ。本当に心から愛する人を見つけてちょうだい。それだけが、この呪いに勝つ方法なの。あなたはまだ小さくて、わからないかもしれないけど、結婚するお相手が『真実の愛』の相手でないと、その人は死んでしまうのよ。だから約束して。『真実の愛』を見つける、って」


「はい、お母様」


「このお話を知っているのは、お母様とオーロラだけよ。お父様も知らないの。もしお母様が誰かに呪いのことを話したら、オーロラは死んでしまうの。だから、お母様は誰にも話しません。オーロラ、あなたも人に話してはだめ」


「はい、お母様」


 小さなオーロラは、きまじめな顔をして、何度もうなづいた。

 そして、何かに気づいたらしく、はっと顔を上げた。


「お母様。お父様は、お母様の『真実の愛』なのですか……?」


 アストリッドは、驚きで目を見開いた。

 オーロラを見つめていたが、やがて、アストリッドの表情は柔らかく変わり、オーロラにうなづいた。


「ええ。そうなのよ、オーロラ。お父様は、わたくしの『真実の愛』なの。だから安心して。あなたもきっと、あなたの『真実の愛』を見つけることができるわ———」


***



 それは、特別なことは何もない、ごく平凡な一日だった。

 オーロラはそっと記憶を探る。


 オルリオン王家に忠誠を誓う騎士である父、フォレスティ伯爵は王宮騎士団で勤務していた。

 一方、留守を預かる母、アストリッドは一人娘のオーロラと午後を過ごしていた。


 いつものように。


 オーロラは、その日のお茶が一階のサロンに用意されたことを覚えている。

 南向きの、暖かな部屋だ。


 いつものように、母の好きな銘柄のお茶が用意され、オーロラの好きなエンジェルケーキがケーキスタンドの一角に載せられていていて、わくわくしたのを覚えている。


 オーロラは、その日のことを、まるで古い写真を見るかのように、細かいところまで思い出すことができた。


『お父様が戻られるまで、ご本を読んであげましょう。オーロラ、先にお部屋に戻っていなさい。すぐ行きますからね』


『はい、お母様』


 オーロラは何も不安になることなく、母の前でお辞儀をして、部屋を出る。

 二階にあるオーロラの部屋までは、階段を上がればすぐだ。


 しかし、その約束は、果たされることはなかった。

 オーロラに本を読む。

 けして難しい約束ではなかったのに。


 オーロラは約束の本をきちんとテーブルの上に載せた。


 待っても待っても、母からオーロラに声がかけられることはなかった。

 それでも自分の部屋で静かに待ち続けるオーロラのもとに、慌てふためいた侍女がやってきたのは、もう午後も遅くになってからのことだった。


『お嬢様、いい子ですから、このままお部屋にいてくださいね。お父様にはもう連絡しました。すぐに戻られるはずです。お父様のお話を聞いてください』


 オーロラの心が、ざわっとする。


 その後、オーロラが何を尋ねても、侍女はいっさい答えてくれることは、なかった。

 オーロラの夕食が、食堂ではなく、彼女の部屋に用意された時、オーロラは子どもなりに、何か異変が起こったことを確信した。


 時だけが経っていく。

 寝る時間になったので、オーロラは一人で着替えて、ベッドに入った。


(お母様。お元気でいらっしゃるかしら?)


 オーロラは母を心配した。


 その夜遅く。

 ようやくオーロラの部屋にやってきた父は、憔悴しきった表情をしていた。

 そして、決定的な言葉をオーロラに告げたのだった。


『オーロラ。待たせて悪かったね。さあ、お父様と一緒においで。……お母様とお別れを、しよう』


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