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第19話 襲われた伯爵令嬢(1)

「オーロラ!」


 明るい声で呼ぶ声に、オーロラはゆっくりと振り返った。

 紺色のシンプルなドレス姿。

 飾りは少ないが、体に合った、美しい仕立てのドレスだ。


 オーロラは背が高いので、そんなドレスでもよく映えた。


「セイディ」


 白金の長い髪が揺れる。

 もう背中でひっつめることはなく、手入れの施されたつややかな髪は自然に背中に流れていた。


 そして特徴的なアイスブルーの瞳。


 まだ、満面の笑顔、とまではいかないが、セイディにはオーロラの瞳が柔らかい光を帯びているのがわかるのだ。


「ご機嫌よう。今日もいつもどおりのスケジュールですの?」


 対するセイディは、肩までの長さの黒い髪をリボンでまとめた、小柄な令嬢だ。

 とはいえ、セイディはまっすぐで、てきぱきとした活動的な気性。

 子どもの頃には男の子の格好で一緒に遊んでいたと告白して、オーロラを驚かせたのも、今となっては懐かしい。


 オーロラとセイディは並んで、教室に向かって歩き始めた。

 二人は十八歳。

 王立学園の最終学年になっていた。


「静かね」


 セイディが校舎の玄関を振り返って、ぽつりと言う。

 オーロラもすぐその意味を察する。


「ええ。王女殿下が昨年卒業されましたから……ソニア公爵令嬢とイベット侯爵令嬢も。毎朝のお迎えの騒ぎも無くなりました」


 セイディはちらりとオーロラを心配げに見る。


「アレックス王子殿下は相変わらず……?」


「ええ。でも、毎日学園に来られると限らないので」


 セイディはオーロラの顔を見た。

 さりげなく話題を変える。


「ね、オーロラ。そのドレス、とてもお似合いだわ」

「ありがとうセイディ。お父様が選んでくださったの」


 セイディはうなづいた。


「……よかった。お父様が言っていたのだけれど、さすがにあなたのドレスはやりすぎではないかって噂が立ったらしいわ」


 セイディは王妃殿下が、という言葉を出さずに、うまく説明する。

 王宮騎士団の騎士団長を務めるセイディの父は、情報通だった。

 セイディも宮廷内のあれこれをよく知っていて、オーロラに教えてくれるのだ。


「あなたは今年で十八歳。もう成人よ。そろそろ結婚式の準備をする時期じゃないかって。それなのに、子どもならまだしも、まもなく王子妃になろうかという令嬢に、あのドレスは着せられないわよ」


「セイディ」


 オーロラが困った顔で言った。

 誰が聞いているかわからないから、気をつけなきゃ、という表情だ。


「ごめん、オーロラ。さ、教室に入りましょう」


 セイディもちゃんとその意図を察して、表情を引き締める。


 教室にはグランヴィル筆頭公爵家の令嬢であるカリナがすでに座っていた。

 カリナはオーロラとセイディを見もしなかったが、他の令嬢達は会釈をしたり、挨拶をしてくれたりした。


 コレット王女が在籍中は、おっとりとした上品そうな令嬢に見えたカリナだったが、王女と二人の取り巻き令嬢が卒業後は、少しずつ地の性格が出てきたような気がしないでもない。


 オーロラとセイディは教室で一番後ろの席に向かいながら、最前列に一人で座るカリナをちらりと見た。


(結婚式……)


 オーロラはセイディと並んで座りながら、ぼんやりと考える。


(アレックス王子も、ミレイユ王妃も、相変わらずだわ。そんな中で、わたくしは本当にアレックス王子と結婚するの……?)


 セイディが言ったように、たしかにここしばらく、学園内は静かだったし、お茶会などに出席しても、以前ほど嫌な思いをすることもなかった。


 オーロラにとっては、初めてと言えるほど、穏やかな日々が続いていたのだ。


(でも、わたくしにとって、『真実の愛』以外の人と結婚するのは危険でしかない。なんとかして、この婚約を解消しなければ。いよいよ時間がなくなってきたのだわ)


 オーロラはふるふると頭を振った。


 そのまま授業は始まり、午前の授業は滞りなく終了した。

 オーロラは手早く荷物をまとめて手に持った。

 教室のドアを開けると、廊下では一人の護衛騎士が待っていた。


「王子妃教育はほとんど終わっているはずなのだけれど。今日は久しぶりに王妃殿下に王宮へ呼ばれているの」


 驚いて目を見開くセイディに、オーロラは説明した。


「また明日、お会いしましょう」


 オーロラはセイディにそう告げると、迎えの馬車に乗ったのだった。


***



「どうどう……もう少しの辛抱だ。我慢しろよ」


 アスランは一際大きく、立派な馬の首を撫でてなだめてやっていた。

 馬の主人であるデルマス辺境伯ルドルフは王宮内での会議に出席していて、まだ戻ってきていない。


 アスランは他の騎士達と一緒に、王宮の厩舎に馬を移動させていた。


 騎士達の馬は平気なのだが、ルドルフの馬は気難しく、馴染みのない厩舎に入るのを嫌がった。


 仕方なく、アスランはルドルフの馬には厩舎の周りを歩かせ、馬が気に入った場所で足を止めると、縄でつないで待機していた。


(国王陛下か誰かにつかまって話し込んでいるのかもしれない)


 アスランは不満そうな馬の鼻面をカリカリとかいてやる。

 そうするとこの馬は少し落ち着くのだ。


 ようやく、ふんふん、と不満げに慣らしていた鼻音が少しおさまってきたので、アスランはほっと息を吐いた。


「おい、そこのメガネ、辺境伯閣下の従者か?」


 不意に背後から話しかけられて、アスランは肩を硬直させた。


(まずい……人目に立ったか……?)


(いや、大丈夫のはずだ。今は騎士ではなく質素な従者の格好をしているし、髪も見えないように帽子の下に隠してる)


(目だけは隠しようがないが、メガネをかけて、なるべく人と目を合わさないようにしてきたし———)


 しかし、帽子とメガネで変装し、従者にしても少々おかしな格好になっている、という自覚はあった。


 アスランがそろそろと注意深く振り返ると、親切そうな顔をした赤毛の騎士が立って、うらやましそうに馬を見つめていた。


「まあ、そう警戒するな。私は王宮騎士団の者だ。ジョハンという」


 男は屈託なく話しかけ、返事をしようか戸惑っていたアスランに、構わず自分から握手をした。


「これは立派な馬だなぁ。さすが、辺境伯閣下だ。おまえにもよく懐いているように見えるな。しかし、こいつの世話をするのも大変だろう」


 ジョハンはそう言うと、愛情を込めて、馬の鼻先をカリカリとかいてやる。

 馬は気持ちよさそうに目を閉じた。


 その時だった。


 王宮の中庭を突っ切って、一人の令嬢がやってきた。


(…………!!)


 アスランは心臓が止まるかと思った。


 侍女も付き添いもなく、堂々と足早に一人で歩いてきた令嬢は、肩からさらりと流れる、長い白金の髪をしていた。


 シンプルな紺のドレスを着て、以前のように顔を隠すこともなく、印象的なアイスブルーの瞳があらわになっているが、間違いなくあの少女だった。


「ジョハン様」

「オーロラ嬢」


 ジョハンが軽く騎士の礼を取る。


(オーロラ! やはり、あの時の……!)


 アスランはあわてて帽子のつばを下げて、深々と礼をする。

 下を向いたアスランには見えなかったが、オーロラはアスランにも会釈をしてくれたようだった。


 さらりとドレスが揺れる様を、アスランはドキドキしながら見守った。


「王妃様のご用が済みましたの。これから家に帰りますので、ご報告をと思って」

「ありがとうございます。お父上はまだ勤務中ですが、お一人で大丈夫ですか?」


 オーロラはうなづいた。


「王宮からタウンハウスまでは三十分もないわ。護衛騎士も王宮から外へは付かないのが通常ですし、大丈夫です。慣れていますから」


 オーロラはそう言って、丁寧に会釈をした。


「馬車を正面玄関に回しておきます。くれぐれも気をつけて」

「はい。ありがとうございます」


「ジョハン……殿、あの方は」


 アスランはそろそろと顔を上げた。


「オーロラ・フォレスティ伯爵令嬢。アレックス王子殿下の婚約者です。もう成人されたので、まもなく結婚されるという噂ではありますが———」


 ジョハンは心配そうに口を閉ざして、歩いて行くオーロラに視線を向けた。

 アスランもオーロラの後ろ姿を見つめる。


(王子の婚約者? もうすぐ結婚する? なのに、侍女はもちろん護衛騎士一人付いていないなんてことがあるのか? しかも今の会話のやりとりだと、いつものことのようだが)


「あなたが辺境伯の縁者と見込んでお話しするが、オーロラ嬢の父上は王宮騎士団に勤めている。実直で穏やかな人柄で、騎士団でも尊敬されている騎士の一人だ。そんな人の一人娘をあんな……。我々はせめて王宮にいる間だけでも、彼女に何もないようにと、密かに見守っているのです」


 ジョハンの声には、やりようのないいらだちが込められている。

 アスランはうなづいた。


(彼女に……オーロラ嬢に初めて会った時も、明らかに様子がおかしかったな)


 もう四年も前になる。

 王宮の中庭で見つけた、泣いている少女。


 明らかに人目を避けようとしていた少女は、その一方で、誰か守ってくれる人を必要にしているように見えて。


 思わず、騎士としてエスコートをすることを申し出てしまった。


(慌てていたので本名のアスラン、と名乗ってしまったけれど、まだ覚えてくれているだろうか———) 


 アスランがオーロラの後ろ姿を見送っていると、ぽん、とジョハンに肩を叩かれた。


「それでは私はここで失礼する。念のために、オーロラ嬢が馬車にちゃんと乗るところを確認しておきたいからね」


「あ、はい。ジョハン殿、お会いできて光栄でした」


 アスランは深々と頭を下げた。

 ジョハンはそんなアスランの肩を、もう一度ぽん、と叩いて裏道を通って王宮の表側へと向かっていく。


 たとえ面識がなくても、同じ騎士。騎士には互いを尊敬し、信頼する気風がある。

 騎士の姿をしていなかったアスランに、きちんと騎士として接してくれたジョハンもまた、実直な男なのだろう。


 アスランは仲間扱いをしてくれたことが、とても嬉しかった。

 同時に。


(ルドルフ様はまだ時間がかかるかもしれないな。その間に、これから馬でちょっとオーロラ嬢の後をつけて、安全を確認することもできる———)


 それは単なる思いつきだった。

 理由はいくつもあった。


 オーロラ嬢には、騎士が付いていないから。

 オーロラ嬢の父は騎士だから。

 ジョハンがオーロラ嬢の安全を気にしていたから。


 ちょっと見守るだけの気持ちで。


(貴婦人をお助けするのが、騎士の務め)


 アスランは剣を腰に差し、辺境伯の愛馬に飛び乗った。


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