第18話 初めての友達
「フォレスティ伯爵、オーロラ様、こんな時間にお伺いして、大変失礼いたしました。どうしても、今日中にオーロラ様にお詫びをしたくて……」
フォレスティ伯爵とオーロラが夕食後にくつろいでいたリビングルーム。
暖炉で火を焚き、部屋は暖かく整っていた。
そこに案内されて入ってきたのは、オーロラの王立学園の同級生であるセイディ・シリュー侯爵令嬢だった。
小ぶりの花束を抱えたセイディが震えた。
バラやアジサイ、カラー、ラナンキュラスなど、白い花ばかりを集めた花束だ。
身につけているのは、シンプルな紺のドレス。
いつも不安げに王女達のとりまきの一番後ろにいたセイディだったが、今のセイディは一人でもしっかりと立ち、堂々として見えた。
セイディは深々と頭を下げた。
彼女の短く切った黒髪がさらりと流れて、顔をおおい隠す。
その髪がかすかに揺れていた。
「あんな嫌がらせを止めることもできずに、本当にごめんなさい……!」
セイディは深々と頭を下げ、動くことがない。
オーロラとフォレスティ伯爵は驚いて顔を合わせた。
フォレスティ伯爵がこほん、と咳をした。
「……オーロラのお友達なのだろう? おまえに任せよう。セイディ嬢、あなたのお父上にはいつもお世話になっていますよ。さ、顔を上げて、お座りになってください。お食事はもう済まされましたか?」
「は、はい」
「では、お茶を運ばせましょう。さ、そこに立っていないで、お座りください」
「で、でも、ご迷惑をおかけしては……。父にもそう言われていますし、今も父は馬車で待っているのです」
「団長閣下が? では、ご挨拶をしてきましょう。セイディ嬢、あなたはどうぞここでゆっくりなさっていてくださいね」
フォレスティ伯爵はそう言って微笑むと、リビングルームを出た。
「セイディ嬢」
オーロラが言った。
「こんな格好でごめんなさい。お父様が今日はもうゆっくりしろ、とうるさくて。どうぞ座ってくださいな。もうすぐ侍女がお茶を持ってくると思いますから」
「は、い。あの……オーロラ様」
セイディは目をぎゅっとつぶりながら、ばっ! と白い花束を差し出した。
「本当に……ごめんなさい」
「セイディ嬢」
「どうぞ。お詫びのしるしです……」
目をぎゅっとつぶっているセイディは、涙をこらえているかのようだった。
オーロラは白い花束を受け取る。
「お詫びは受けます。あれはあなたのせいじゃないのに……謝ってくださって、ありがとう」
オーロラはそう言うと、きゅっとくちびるを引き締めた。
「さ、座って」
セイディはオーロラと向き合って、ちょこんとソファに腰を落とす。
「失礼いたします。お嬢様、お茶をお持ちいたしました」
ノックの音がして、侍女のアリスが茶器を持って入ってきた。
「ありがとうアリス」
「この時間なので、ハーブにお花とドライフルーツを合わせたブレンドでご用意いたしましたの。お茶菓子も軽いものを」
アリスがティーカップによく蒸したお茶を注ぐと、ベリー系の甘い香りがふわっと漂った。
「おいしそうね? セイディ嬢、いただきましょう」
「はい、オーロラ様」
アリスが退室すると、しばらく静かにお茶を味わう音だけになった。
「オーロラ様、わたくし……」
ぽつり、とセイディが話し始めた。
「わたくし、オーロラ様が憧れだったのです!!」
「え!?」
オーロラはぎょっとして、思わず真顔でセイディを見つめる。
すると、セイディの表情が緩んできて、そして意外なことに、セイディはゆっくりと笑い始めた。
最後には大笑いになるほどに、笑う。
「セ、セイディ嬢!?」
オーロラが戸惑っていると、セイディは涙を指先でぬぐい、きゅっと切なそうな笑顔を見せた。
「……わたくしをセイディ嬢、と呼ぶなんて。オーロラ様はやはりわたくしのことは、覚えていないんですのね……」
セイディはしゅん、としてうつむいた。
「もっともわたくしは、今も昔も、人より小さくて、気も弱くて、頼りない人間ですけれど———」
「……え」
「オーロラ様! 騎士団の子ども達の中で、セイディという名前の、小さくて弱々しい騎士団長の息子を覚えていませんか!?」
「騎士団長の……息、子さん……?」
オーロラは首をかしげた。
シリュー騎士団長の息子といえば、騎士団の子ども達の中でも一際抜きん出た存在のダントンがいた。
そして。
もう一人———。
「……あっ!! まさか、あれが、あなただったのですか!?」
セイディはぱあっと顔を輝かせ、ぎゅっとオーロラの手を握る。
「はい! 小さくて、弱々しくて、怖がりの性格なのに、わたくしは昔からお父様のように立派な騎士団長になるのが夢だったのです! 子どもの頃はわがままを言って、男の子の服をよく着せてもらっていて、騎士団の子ども達が一緒に遊ぶ時も、男の子のふりをしていました……オーロラ様、あなたとも一緒に、遊んだのです……。期間は短かったのですが……わたくしは、療養のために領地へ行ったので……」
セイディの一生懸命に語る話に、オーロラの記憶がよみがえってくる。
オーロラはうなづいた。
「ええもちろんよ。覚えているわ!」
「オーロラ様は、あの時から、とてもお綺麗で、その、いつもお洋服は地味なお召し物でしたし、前髪を長くして顔を隠されていましたけれど、わたくしは一緒に遊んでいて、オーロラ様がとてもお綺麗なお姿をしているのに、気がついていました———」
そうだ。
そうだった。
小柄な黒髪の少年セイディ。
仲良くなったけれど、突然、姿を消してしまった。
身体が弱くて、領地で静養すると聞いたのだったわ———。
あの厳しかった母が、いくら騎士団の子ども同士だといえ、セイディと一緒に遊ぶのを許したのは、セイディが女の子だと知っていたからに違いない。
「あなただったの———」
「はいっ!」
セイディは泣きそうな顔で言った。
「オーロラ様は、大切なお友達だったのに、アレックス殿下の婚約者に決まってから、わたくしは今までのように一緒に遊べなくなってしまいました。王立学園に入ってからも……侯爵家の令嬢は、王女殿下や公爵令嬢に逆らってはいけない、と、父からも口を酸っぱくして言われて」
セイディはふるふると頭を振った。
「あんな、オーロラ様にひどいことをしたくなかったのに!」
「セイディ嬢、お父様のおっしゃるとおりよ。わたくしは大丈夫。だから、あの方達に逆らってはダメ。そんなことをしたら、今度はあなたが攻撃されるでしょう。それにあの香水瓶のことだって、あれは王女殿下があなたに命令してやらせたことよ。あなたがやっただなんて、わたくしは思っていない」
「でも!! オーロラ様は、わたくしの大切なお友達なのです!」
セイディが叫んだ。
「わたくしは、自分の大切なお友達に、あんなことはしたくないのです!」
「セイディ嬢……」
「セイディ、です」
「え」
セイディが涙にぬれた顔を上げた。
柔らかく微笑む。
「あの頃は、セイディ、と呼んでくださいました。また、お友達になっても、いいですか? どうぞ、わたくしのことは、セイディ、とお呼びください」
オーロラはセイディを見つめた。
(友達……わたくしを大切なお友達だって、言ってくれた)
オーロラの固かった表情が、ぎぎっと緩んだ。
そして、たしかにぎこちなかったけれど口角が上がり、微笑んだ。
「セイディ! それなら、わたくしのことも、オーロラと呼ばなきゃだめよ!!」
オーロラの言葉を聞くと、セイディはまた泣きそうになって叫んだ。
「オーロラ!!」
「セイディ」
「オーロラ」
二人の少女は、抱き合って泣いた。
そして部屋の外では、ドア越しに二人の会話を聞いていたフォレスティ伯爵とシリュー侯爵、リンネ夫人とアリスが顔を合わせて、やはり泣きそうな表情をしていたのだった。
「オーロラ。わたくし、変わりたいの。わたくしも、あなたのように、いつでも堂々としていたい」
「セイディ。わ、わたくしは、あなたと一緒に、また笑いたいわ」
オーロラとセイディは、もう一度、両手をぎゅっと握りあった。
二人は見つめ合って、ゆっくりと微笑んだのだった。